日々のこと・きもち

見えないものを描くのはむずかしいな

2018-08-19

帰省は“昭和”というくにへの心の旅!?

一昨日、金沢を経由して友だちと会って東京に戻ってきた。これが近年のお盆、お正月帰省のパターンになりつつある。

たった数日母と実家にいるだけで、すっかり東京の自分を忘れてしまう。東京―実家は、他国に行くより遠いような気がする。そんな私にとって金沢は緩衝地帯でもある。

友だちと夕ご飯を食べながら、近況をあれやこれや話すうちに、元の自分の感覚を思い出していく(大げさか(^_^;))。

上野着。深夜12時の山手線には、たくさんの東京人の顔があった。ふだん見慣れているはずの、その顔、顔…。それがちがって見える。

どういったらいいんだろうか。刺激に晒され、順応している顔だ。疲れているだろうが、ぬぼわぁ-んとはしていない。夜の飲み会などの後だからだろうか。

東京と実家はなんて異なる世界なんだろう

私が行っていたところは、富山県の中でも“昭和”というくにだったのかもしれない。私にとって、遠くて近い、近くて遠いところなのだ。

どこかにある…神が降りる場所

昨日は、趣味の色えんぴつ画の生徒作品展のための絵を仕上げていた。

以前、黒部峡谷のトロッコ電車の車窓(といっても、開放車両で窓はない)から撮ったうなうなづき湖が題材だ。

うなづき湖は、黒部ダムのためのダム湖、つまり人造湖なのけど、深い森とエメラルドグリーンの湖水に神聖さを感じて心惹かれた。

8月の色えんぴつ講座はお盆帰省中で、実家にいた私に「先に作品名を知らせて」とLINEが来た。

タイトル…、私の心の中では、「神が降りる場所」「神が遊ぶ場所」なのだ。もちろん、あくまで私のイメージ。

神は物質ではないから、神性を感じる場所、自分の中の聖霊の存在を感じる場所という意味だ。

だけど、とても、そんな大仰なことは言えない。「『うなづき湖①』『うなづき湖②』でお願いします」と返した。

聖霊が喜ぶ、神聖な、というイメージはあるのだけど、それをどう表現したらいいのかわからなかった。

お気に入りの本に『アナスタシア』(響きわたるシベリア杉 シリーズ)があるが、その女神のような主人公、アナスタシアが湖畔に姿を現しそうなイメージを描きたかったんだけど…。

見えないものを肉眼で見えるように描くのは難しいな。

根気が続かず、「なんか違うけど、まぁ、いっか」と額装に世界堂に向かった。

絵を見て、自分が聖霊を思い出せばいいわけだから、目的は達成されているかな。

わりと涼しくて過ごしやすい。天然の風が心地いい。

実家でもエゴトラップにまんまと引っ掛かる

2018-08-17

実家でワークブックを開くも…

帰省前は、家でACIMワークを進めようと、ワークブックをコピーして持ってきた。

しかし、実家では、ほとんどできなかった。

意志が脆弱なためか、実家の空気に飲まれてしまい、その気がなくなってしまう。

母は半分独り言のように、床に就くまで話しかけてくるから、自分の考え自体がまとまらなくなる、というのもある(これを私は「脳ジャック」と呼んでいる)。

今朝こそはと「仕事をするから、しばらく話しかけないでね」と、物置として使っている部屋に入ってドアを閉めたが、まもなく「ちょっと~」と声をかけられて中断。

「なぁに~?」と声を上げると、

化粧をしながら部屋に入ってきて、「日焼け止めって、化粧した後から塗ってもいいかな?」ときて、ずっこけた。

「どっちでもいいんじゃない?」

「そうやね、わかった」と部屋を出ていった。

4,5日ならいいけど、母と一緒にずっと住むのはやっぱり難しい、と思う。

赦すべきお題はちゃんと提示されていた

そうして、再びワークに戻ろうとした時、ようやく気づいた。

母の横やりは、私のエゴの横やりに他ならないと。

それに対して私はいつもイライラしてしまって、まんまとエゴトラップに引っ掛かっているのだ。

それこそが、今ここで赦すべきお題として出てきていたのだった。

実家が、私のACIM(A couese in miracles)から遠いと思っているのは、ACIMをコントロールしたい私のエゴなのだ。神は常にそばにいる。

今朝は猛暑から一転、初秋を含んだひんやりとした東風が窓から入ってきた。

その風の感覚が、生まれてから18年、この地に住んでいた記憶を呼び起こした。

体の細胞に眠っている無意識が揺り動かされる感じ。

ここにも、まだまだたくさん赦すべきことが、眠っている。

老母と老娘、水族館へ

2018-08-16

高校野球、高岡商業、第3回戦

今日は、高校野球、富山県代表の高岡商業の三回戦があった。

テレビの前で手に汗にぎって応援した。

これまで関心も持ってなかったくせに、「ベスト8に入って」と願った。

が、惜しくも3-1で、大阪桐蔭(北大阪)に敗れた。

ざんねん!

でも、よく頑張った。とくにピッチャーの山田君が印象的だった。すっかりファンになった。

高校野球というのは、何しろ球児たちの顔がいいんだな。邪気のない前向きな表情を見ているだけで、心が洗われる。若さはピュアで美しいと感じた。

こういうふうに惹きこまれたのも、富山県勢が活躍していたからかな。

母と、水族館へ

富山市で最高気温38.1度を記録した昨日、母と小さな遠足に出かけた。

県内唯一の水族館、魚津水族館に出かけたのだ。

規模が小さな古い水族館だし、寂れているのかと思ったら大違い。お盆シーズンだけあって、小さなお子さんを連れた親子連れでずごく賑わっていた。

飼育員さんたちの手描きのPOPや心がこもった接客がいい感じ。

おしゃれじゃなくって、こういう、ふつうの、昔ながらの水族館がいいんだよな。

珍しい海の生き物に、母はいちいち驚いている。

大水槽ではダイバーさんが潜っての餌やりタイムがあった。

エイは右利きのダイバーさんが餌の小魚を口に入れやすいように、左サイドから体を傾けてダイバーさんに近づく。

それを見た母は、

「エイってなんて賢いがー、頭いいね」(ただ口を開けてやみくもに泳ぐブリとは大違い)と、しきりに感心していた。

子どもの頃、親とこういうところに行ってこういうことがしたかったんだな。当時は両親とも自営業で忙しかったし、親と出かけたよい思い出がない。

友人たちに孫ができるような年齢にもなって、私はまだ満たされなかった子ども心を埋めようとしている迷子みたいだ。

最近は、童心に帰ってはしゃぐ母に、ふと自分が親のような気持ちになっていることもある。

老母と老娘という場違いな二人連れではあるけれど、昔ながらの水族館で和やかなひと時が過ごせて、癒された。

所要時間約4時間。それで50年前に願っていた時間を拾い集め、私の内なる子どもがうれし涙を流さんばかりに喜んでいる。

ありがとう、お母さん

今朝、お墓からお花やお供えものを撤収。2018年のお盆も終わった。

母はお墓に向かって、

「お父さん、私まだそっちには行かんちゃ。まだまだ元気でこっちにおるわ」と声をかけた。

私はほっとし、心強く感じた。

今回の帰省では、母に感謝を伝えたいと思っていたけれど、なかなか口には出せない。

一回ごとの家事や、気遣いに対して、「ありがとう」と言うのが精一杯だ。

ほんとうは、もっと大きな「ありがとう」を感じている。

子どもの頃は、厳格で怖い母を嫌い憎んでいた。だからこそ、そう思えるようになったことが、なにより、ありがたい。

ACIMから最も遠い場所、実家でお盆を過ごす

2018-08-14

実家でお墓参り、高校野球

日曜夜から富山の実家に帰省している。

お墓参りをして、仏舎利塔にもお参りに行ってきた。家の仏壇に精進料理をお供えし、お寺さんの和尚さんが家に読経にも来られた。昔ながらのいろんな風習が残っている。東京とは別世界だ。

昨日は、高校野球、富山県代表の高岡商業の第二回戦で、長野県代表の佐久長聖との対戦を観た。にわかに郷土愛を刺激され、母とテレビの前で手に汗にぎって応援した。

5-4で競り勝った時は、「やったー!」と高揚した。富山県勢が二回戦突破できるのはそんなにはないことだ。第3回戦は、史上初2回目の春夏連覇を目指す大阪桐蔭(北大阪)。勝ったらすごいな。気合が入るなぁ。

普段、勝負事は二元性の最たるものだと思い、わりとクールでいるけれど、そんなことはすっかり忘れ、純粋に「勝てー」となり、それが楽しかった。

夕ご飯は、お刺身や煮物を食べながらお酒を少し。

母と二人だけではあるけれど、なんだか「真っ当なお盆の過ごし方」だな、と感じた。

実家…最もACIMから遠い場所!?

私にとって実家は、最もリアリティがあり、最もACIMから遠い場所だ。

ふだんACIMのワークブックで繰り返し唱えているようなことはすべてぶっ飛び、朝から夜まで話しかけてくる母が私の世界になる。

そして、普段遠ざけている罪悪感と恐怖が浮かび上がってくる場所でもある。

結婚もせず孫の顔を母に見せることもなく、家やお墓を継ぐ人も残せないことに対して、後ろめたさや情けなさを感じてしまうのだ。そして、もっと別の選択肢を選んでいたら、今頃もっと母を喜ばせられたのではないか、と後悔の念が湧いてくる。

高齢の母は、ここが痛い、あそこが辛いと言い、年々小さくなっていく。年の割には元気な方けど、いずれは別れがあるのだ。普段遠ざけていることを思い、そのことに不安や言い知れない恐れを感じてしまう。

いずれもエゴの大好物だ。

東京でひとり暮らしをしている時には、ワークをやって頭で理解できたつもりのことが、ここでは曖昧になりわからなくなってくる。

罪悪感も恐怖も幻想だし、「神からの分離」というお決まりのテーマの、私バージョンを見ているのだと知ってはいるつもりけれど、事が母のことになると、あっという間に複雑な感情に巻き込まれて訳がわからなくなってしまう。

家族、とくに親は、最も神様を投影して見ているのだと思う。だから、恐怖と罪悪感が近いのだ。

たとえ幻想であっても、母にはなるたけ長く元気でいてほしいし、できるなら喜ばせたいと思う。

こんなふうに実家に来たら、ふにゃふにゃになってしまうから、少しは勉強が進んだつもりでも、まだまだまったく机上だけだったな、と思う。

何しろ、いい歳をして、私の心はまだまだ甘えたりない子どものようで、年老いた母を前にしても、そういう感情が出てしまう。

やれやれ、なのだ。でも、こうやって過ごしたお盆に幸せだなと感じているのも、また正直な気持ちだ

背筋を伸ばし、肩を下げて胸をひらく

2018-08-07

「姿勢を正せ」というメッセージ

「聖霊の声が聴こえないと言うのはやめよう」っと決めた。聖霊からのものかどうかわからなくとも、心にアンテナを立ててそれに従ってみようと。

私がワークでくりかえし“聖霊の声”として感じていたのは、「姿勢を正せ」ということだ。

いつ頃から感じていたのか、ノートを振り返ってみたら、今年の2月にはすでに「ワーク中感じたメモ」に、「姿勢を正す」と記されている。

「私たちは肉体ではない」と教えるACIMの導き手である聖霊が、体についてのアドバイスをするかな?と思っていた私は、さほど気にも留めていなかったけれど、その後何度もくりかえし感じた。

聖霊でなくとも、私が無意識に感じていた必要性が表面化したのかもしれない。

4月には、より具体的に、「猫背を正して背筋を伸ばす←そのために体幹を鍛える←そのためにダンベルDVDを再開(そのDVDには腹筋運動も組み込まれている)」と感じ、なんとか再開したものの、なんとその翌日ぎっくり腰に。

そのまま、ダンベル再開プランは頓挫していた。

猫背は防御であり戦闘態勢!?

先月の引っ越し後に再びぎっくり腰になりそのまま腰痛が慢性化している。やはり体幹を鍛えねば。

家でできる腹筋体操付きダンベル、そろそろ再開したい。

最近のワークでは、さらに、「肩を下ろせ、胸を開け」というようなことを感じた。

それによると、私が猫背なのは、それ自体が防御であり、戦闘モードで身構えているのだと。

そして、私は上がり症で緊張しいなのだが、それについて「身構えるから、テンパる」と指摘(されているように感じた)。

猫背になっていると気づいたら、意識的に肩を下ろして胸を開くこと、と。

そう言われてみれば、さもありなん。

その後、猫背になっているとか、テンパっていると気づいた時、意識的に肩を下げて深呼吸するようにした。

姿勢が変わると周りも変わる?

これは、効果てきめん。

一拍置くことで気が落ち着く。

驚いたのは周りの対応が変わること。少し丁寧に扱われるのだ。

おそらく肩を下げて胸を開いた姿勢が、猫背でうつむき加減より自信があるように見えるからかもしれない。

凛として静かで、涼やかであれ。

姿勢を正せというのは、姿かたちというより、在り方なんだろう。

出所はわからなくても、適用はできる。

感じてよさげと思ったことは、やっていこうと思う。

「聖霊の声が聴こえない」と言うのはやめよう、っと

2018-08-04

今朝、散歩して帰ってシャワーを浴びていた時、ふと気づいた。

私、ここに聖霊さんの導きで来たんだった…

今住んでいる家を見つけたのは「父が私の家を作ってくれている夢」を見た日。

夢の中の父は亡き父であり聖霊の象徴でもあると感じた私は、現住まいを聖霊の導きによるものだと感じていたのだった。その思いはこのブログでも書いていた。

昨日「聖霊の声を聴けているかよくわからない」と書いたけど、少なくともここへの引っ越しはメッセージがキャッチしてのことじゃぁ?

せっかく聖霊さんが私でもわかりやすいように夢のメッセージを送ってきてくれて、それで満足できる転居が実現したというのに、「聴けているかわからない」じゃあ、失礼ではないか。

実際、聖霊のメッセージを受け取るぞ、と心に耳を澄ましても、よくわからないのは事実だけど、一刀両断で「わからない」では恩知らずだと思った(「罰あたり」ともいうが、これはACIM的ではない)。

この引っ越しPが私にとってすごくラッキーだったのは、旧居が築40年になる古い物件だったにもかかわらず東京五輪決定後、土地代が上がったらしく、買った時よりもかなり高く売れたこと。

仲介料や登記料など諸々の諸経費を引いても「利益」が出たので、感じていたおカネの不安(パニック)が治まっている。

仕事と収入が不透明で先が見えない私に、いろんな意味で猶予が与えられたのだ。

「私は未来を神の手にゆだねる。」

このレッスン194に身をゆだねる絶好の機会ではないか。

聖霊のメッセージがわからない、は織り込み済みで。

聖霊の声が普通に会話するように聴けたら、それはまた別のはなしだ。

聴けなくても、聖霊はさまざまな方法で私に呼びかけてくれている。

そのことを信頼して耳をふさごうとするのではなくて、真摯にキャッチする気持ちで心にその場を作っていたら、どうだろう。

少なくとも「聖霊の声が聴こえない」と声高に訴えるのはやめよう、と思った。

暑さと、汗かぶれと、塗りぐすり

2018-08-02

30年に一度の異常な暑さに「自分は体」だと感じてしまう

昨日、気象庁が7月の暑さについて「30年に1度以下の頻度で起こる現象で、異常気象に該当する」と総括した。

「異常気象」という言葉は、この10年位頻繁に聞くような気がするが、それでもやはり7月の暑さは尋常じゃなかった。

8月も続くんだろう、この暑さ。

日中の日差しは、暑いというより痛い。

この日差し、日傘を差すとだいぶ和らぐ。男性で日傘をさしている人はあまり見かけないけれど、この異常の下では体裁より実を取ったほうがいい。体力が温存される。

ACIMでは、体を「エゴの偶像」とし、私たちが神から離れたと思い込んだ罪の意識が肉体を生み出して、それが外部に投影したものだと位置づけている。

そして、自分を肉体だと思うことは止めてそれに対する執着やこだわりは手放すように促されている(おそらく)。

しかしー

この尋常じゃない暑さの下では、逆に自分が肉体であることをまざまざと感じさせられる。

ACIMの理解がもっと深くなったら、暑さに対する耐性も高まるんだろうか。

汗かぶれで、負のスパイラル

今夏、生まれて初めて、「汗かぶれ」というのになった。

首から胸にかけて、痛痒ーい(>_<)

汗もかな?と思ったけど、それとはちがうらしい。

汗も」… 汗をかき続けたりした時に、汗を出す管が詰まり、肌の内部に溜まった汗によって水ぶくれや炎症を起こす症状。

汗かぶれ」… 汗をかいた後に、汗に含まれる塩分やアンモニア成分が肌の表面を刺激して起こる炎症。

汗かぶれは、結局、自分の汗が自分の肌を攻撃することで引き起こされるらしい。肌が乾燥しバリア機能が損なわれるとなりやすいのだとか。

まさに、私が体をリアルに感じるために、外に投影した攻撃性によって引き起こしているのだと言える。

いったん痒いのが気になると何も手に付かない。掻いちゃいけないとわかっているけれど、つい誘惑に負けて掻いてしまう。

ふひゃ~、気持ちいぃ~。

しかし、次の瞬間にはさらなる痛みと痒さが襲ってくる。そして肌はまた荒れる。

“負のスパイラル”だ。

あ゛~、手放さねば…。

私は体じゃない。体じゃない…

自分と同胞を分けている(と思っている)肌を、自らが攻撃して一人のたうっているとは、ひとり相撲も極まれり。

母の塗り薬に癒される

母が上京した際に、ある塗り薬を置いていってくれたことを思い出した。

亜塩華軟膏(あえんかなんこう)。

実家では万能の塗り薬みたいになんにでも使っていたが、名前がおどろおどろしい気がして使ったことはなかった。

おそるおそる塗ってみたら、猛烈に痒かったのが少し治まった。

当たり前にみんなが知っている薬なのか。

母が手書きで名前を書いて貼り付けてくれた軟膏。

それを丁寧に塗りこめていくと、母の愛に癒されていく気がする。

これ、感じているのは「特別の愛」かな?

汗かぶれの専門治療薬「アセムヒ EX」も今年発売されたらしいから、少し様子見して買ってみようかな。

引っ越し後、ちょっぴりうれしいこと

2018-07-31

ウォーキングコースも決まってきた

引っ越し直後は、右も左もわからず、多少のいらだち感や不安感があった。

それがだんだんと目が慣れてくると、初見のストレンジャー感覚をもっと楽しめばよかった、と思えてくる。勝手なものだ。

10年前くらいから朝ウォーキングをしている。何せ自宅での仕事なので、寝室から仕事部屋までの歩行じゃあ数歩、あまりに運動不足だったから始めたのだけど、朝歩くと気持ちがいい。

近年は回数が減ってきたけど、なんとか続けている。

旧居のウォーキングコースはお気に入りだった。

道中には、顔見知りの猫(人も)がいたり、川辺沿いを歩いたり、神社でお参りしたり、緑地の滝でマイナスイオンを浴びたり。帰りは格安スーパーに立ち寄るといったコースだった

引っ越し後はよくわからず、適当にぐるぐるしていたが(人はこれを徘徊という)、ようやくウォーキングコースも定まってきた。

今回も、川辺と神社と緑地が入っている50分位の道。

今朝の神社は、ものすごい蝉の声のシャワーだった。

今をかぎりと鳴く蝉たち。

役目を終えて息絶えころがっている者たちもいた。

ちょっぴりうれしいこと

こちらに引越して、ちょっぴりうれしいのが、図書館が近くなったことだ。

前も徒歩10分位で決して遠くはなかったが、今は、運よく信号が青で渡れれば5分。

ほんの数分の違いだが、心理的な差は大きい。図書館が近くにあると、なんとなく心強い。

初めて行った時、ふと目にとまった児童書コーナーの「この夏のおすすめ本」を借りた『川かますの夏』『ほとばしる夏』

どちらも思春期にさしかかる少年少女の夏の物語で、夏のキラキラ感とそこでの成長や出会い・別れというこの世で避けられない変化があり、瑞々しく切なかった。

うだる暑さの中で、これらの本を読んだことが、今年の夏の思い出になっている(これから8月なのに!)。

図書館…そのうちに閲覧室にもすわってみよう、と思っている。

私の中で生かしたい、3つの父の質

2018-07-27

亡き父と引っ越しPのつながり

改めて思い返すと、亡き父と今回の引っ越し(新居)には何かつながりのようなものを感じる。

前にも書いたけれど、新居は、父が私の家を建ててくれる夢を見たその日に見つけた物件だったから。そして自分で決めて手付金まで支払っていた物件をキャンセルして、この物件に決めるという流れになった。

また、旧居の売主さんが見つかってその引き渡しの最終契約日は、父が亡くなって丸三年の命日の翌日だった。共有者である母も臨席が必要だと言うことで、帰せずも母とプチ東京観光する機会にもなった。

ふと、

もしかしたら(本人たちにそのつもりがなくても)、母も私も3年間父の喪に服していたのかな、その喪が明けたのだろうか、

と思った(喪に服するといっても、ただ普通に生活していただけだけど)。

なんとなく、今回の転居に父の後押しがあった気がしてならないのだ。

「私の中で父を生かそう」と決意した3年前

父が腸閉そくで入院、ほどなく認知症も発症、介護が始まったのは、2012年のゴールデンウィークだった。それは振り返ればちょうど、私が『神の使者』と出会った頃でもあった。

その時は、自分の親が亡くなるということがまったく想像できなかった。

3年後の2015年6月、父が亡くなった時、私は「私の中で父を生かそう」と決意した。

父は演説が上手な人で(単に出たがりだったのか)、結婚式の司会やPTAの会長など町のいろんな役を頼まれる人だった。

やり手というのではなく、にこにこぼーっとしているから、妹に言わせれば「要するに、ゆるキャラ」ということだが。

そして、おっとりしているわりには、自分の意見をちゃんと言える人だった。

また、自分に利することでなくても、町の発展のために縁の下の力持ち的な役割をよくこなした。

そこで私は「私の中で父を生かす」べく、

 1.人前で話ができるようになる

 2.自分の理念を表す( ⇒私の場合はACIMという理念)

 3.故郷に貢献する

という3つの柱を決めたのだった。

この3つ、今この日記を書くのに3年前のノートを引っ張り出して確認した。

あの時は「決意」したはずだけど、気づけば3つともフェイドアウトしてしまっている。

父はいまや聖霊とひとつになった

今回、引っ越しPと父のつながりについて思いを巡らし、その時の思いを思い出した。

亡き父は、今や聖霊さんとひとつなんだと思う。

今、ここに越して来られたことは、なにかしら聖霊さんの後押しがあったのだと感じる。

それが意味することはわからないけれど、当初の旧居から逃げるといったPではなく、もっと前向きな影響をもたらしている。

私の中で、お父さんを生かさなきゃな~。

私は顔が父に似ていて、小学生の時“お父さん似”とあだ名を付けられていた(PTA会長だったから、みんな父の顔を知っていた)。

父のよい質を受け継ぎ、この世で生かしたい。それはACIMに反することじゃないよね、と思っている。

ACIMとゲンジツの狭間…ゲンジツでどう適用すべきか

2018-07-25

久しぶりにワーク…ワークブックが難しくなってた

一ヶ月と一週間ぶりでACIMワークを再開したら、ワークブックの内容が難しく感じられた。

自分なりのワークの進め方があったことを思い出し、だけどそのやり方を忘れてしまっていることにも、気づいた。

これまで、この宇宙はリアルではない、私たちの知覚が感じさせているものだと学んできた。それを認めて、神だけが現実であると実感できることが、学習の目標だった。

けれど、マンションを売ること、新しい住まいを探すこと、契約を進めること、リフォーム、引っ越し、それに伴う諸々の手続き、新居を落ち着かせること…、渦中にいる時はそれらすべてが逐一リアルで、ゲンジツゲームの主人公に成りきって登場キャラに助けてもらったり格闘?しながら前進してきた。

とくに自分でも意外だったのは、引っ越ししてから、レイアウトやコーディネート、DIY等、自分なりの“心地よい空間づくり”に夢中になっていたこと。とても、幻のようなものだから頓着する必要はないなどとは思えなかった。

今はそれも一服して、定位置が決まった机でACIMワークブックを前にして、自分がACIMとゲンジツの狭間にいてどっちつかずの状態だと気づく。

いつもどっちつかずだったけど、しばらくゲンジツだけの世界にいたから、そっちに同調しちゃっていたのかな。

教えを踏まえて、どう生きていったらよいかがわからない

『奇跡講座』(ACIM)は、素晴らしい。最高の智恵だと思う。しかも絵空事ではなく、この世に適用することによって、この世での人生もよくなっていく。

そう思っている。

その一方で、この世でワークブックの教えを踏まえて、どう生きていったらよいか戸惑う部分も多い。

適用の仕方がよくわかっていないんだ、私。

たとえば、家族や友だちとのやりとりでも、ACIMの価値観をベースに応えてしまうと、ちぐはぐしてしまう。冷たい人、ドライな人だと思われかねない。

逆に、少々大げさでも「そうだよね~」「それは大変だったね~」と“常識的に”共感すると、受けがいい。

心はACIMを信じながらも、この世では臨機応変ということだろうか。

ACIM原理主義者では無一文になってしまう!?

また、私はこの3年くらい、徐々に経済活動や働くことからも退いてしまい(自然と受注が減った)、預金を崩しながら生活している。

今は他に学びたいこともあるし、それはそれでよしとしてきたけれど、さすがにずっとこのままというわけにはいかない。

私が尊敬するACIMの先輩学習者で、Kindle版でACIM和訳&解説書『A Course in Miracles Workbook精読』を出版なさっている大畑学さんは、レッスン105の解説の中で、

「誤解のないように言っておきたいのだが、ACIMは、たとえばお金のやり取りや経済活動を否定して、それを止めよ、と言っているのではない。それが幻想社会における歪んだやり取りだと認識せよ、と言っているのだ。

もしもACIM原理主義者に陥ってしまったら、無一文になって道ばたの草を食って生きるしかないではないか。それもまた、歪んだ認識なのだ。」

と書いておられる。

経済活動を否定しているわけではまったくないけれど、お金を得るには労働や時間を提供してだれかのニーズを満たすことが必要で、この世を幻想としつつ、どうやってそのゲンジツと絡んでよいか、よくわからないのだ。

今のところ、「道ばたの草を食って生きる道」まっしぐら(*˃ᆺ˂) って感じだ。

今後のお題はACIMをベースに周りと関わること?

対象をリアルにしないで、どう絡めばよいのか。

それがわからない。

0か100に偏りすぎているのかな?

「ACIM原理主義者」と「真っ当なACIM学習者」の違いも不明。

そもそも原理主義者じゃまずいのかな?という気持ちもある。

やはり、自分の中に2つの視点をもつことが大事なんだろう。

私が少しはACIMを学べたかのように感じていたのは、ただ内向きで心の内で学習してきたからなのだ。

ACIMの価値観とゲンジツ社会との折り合いをつけながら、前よりも外向きになって社会や周囲と関わること、が次のお題かな?

転居はがきと、そのリアクション

2018-07-21

連日猛暑のニュースが続き、キャスターの方が熱中症に厳重注意を呼びかける2018年の7月。今日も暑い。これぞ真夏。

熱中症予防に「エアコンを使いましょう」と呼びかけられるが、一日中ともなると電気代が気になってしまう。前は2DKにエアコン2台だったけど今は大きめのワンルームっぽい部屋に1台なので全体を冷やすのがもったいない気も。

幸い風通しがよい角部屋なので、服装で凌いでいる。

パフスリーブの薄いTシャツ、ひらひらのミニスカートに、ポニーテールと10代か20代の女の子みたいな格好で、音楽アプリから流れる夏の歌を聞いている。

外でこんな恰好をしていたらさぞかしイタイ人だと思われるだろうが、ひとりなのだから構わない。熱風を背後から浴びながら南国気分!?で、パソコンに向かっている。

だけど、悲しいかな、こんなに暑くうだるような日でも、腹巻きをしていないと、お腹を壊してしまう。冬はもちろん夏でも腹巻きは必須。

は~、恰好若くして気分もアップするも、所詮胃腸虚弱な50代の私。

転居のお知らせとそのリアクション

先週末、ようやく「転居のお知らせ」はがきを出した。

私が住所を知らせなくてはならない人はほんとうに限られるが、誰に出して誰には出さないなどを考えるのが面倒くさくなり、年賀状を交わしている住所録の方すべてに出した。

私はこれまで「転居のお知らせ」は業務連絡みたいなものだと考えていて、それに反応するという発想をしたことがなかったが、何人もの方がリアクションしてくださって、ちょっとした驚きとなつさしさ、喜びがあった。

「Facebookやってないの~?」とメッセージをくれた昔の友人、「久しぶり」「お引っ越しなさったの?」とメールをくれた方々。前は家でタロット占いをしていたので「またタロットやりたいわ」と言って下さる方。暑中見舞いのおはがきとして返事をくださった方等々。

いとこもメールをくれ、「うちの母がおばちゃんから、たまちゃんは前の住まいの○○や△△がたいへんで嫌で引っ越したって聞いてましたよ」と、話に尾ひれがついて大げさになって伝わっている。おしゃべりな人たち(>_<)

近況を知らせてくださる方々もいて、「仕事が大変だけど頑張っている、これからこうしたい」という目標あり、病気をしてプチリタイアしているという少し心配なお知らせあり、また丁寧な手紙をいっしょにある宗教の小冊子を送ってくださった方もいた。

みんなマメでまじめだな。

ここ3年くらい周りとは没交渉で引きこもっていたけれど、前の私はもっと社交的だったんだな、と思い出したりもした。

何枚かのはがきは、「あて所にたずねあたりません」と返ってきた。住所をまちがえるということはないはずだけど、引っ越しなさったか…。元気ならいいのけど。

ようやくACIMワーク再開

ようやく、マンション売買P→引っ越し&片づけPを済まし平生になってきた。

そしてやぁーっと今朝からワーク(L195)を再開した。

こんなに離れていても平気どころか解放感があって楽しかったなんて、私にACIMは必要ないのかな?と思ったりもしたけど。

なりゆきまかせだけど、またぼちぼちいこうかな。

美しさと強さと情熱のおすそわけ

2018-07-17

生花をもらったので、花かごにした

家の中に、生花の花かごがある。

おととい英会話の美人先生が空手の道場開きをされるというので、受付のお手伝いに行った、そのお祝いの花をおすそわけしていただいたのだ。

ちょうど、友だちからもらった引っ越し祝いのフラワーアレンジメントがしぼんでしまったので、そのスポンジにブスブスッと刺していった。アレンジや刺し方はめちゃくちゃだけど、生花の存在感に勝るものはないと思う。

ゆり、ばら、ガーベラ、カーネーション、グラジオラス、赤い実の何か…

赤とピンクが中心で、なんとも女性的で魅惑的だ。

ゆりがそこはかとない甘い香りを漂わせている。

家に花があるっていいな~

暑いから、あんまり持たないんだろうけど。

色と香りに惹かれ、何度も見てしまう。

赤い花は、美しく情熱的な先生にぴったりな気がした。

先生の生き方に刺激を受ける

私が先生の英会話クラスに参加しだしたのは、去年の4月からだ。1レッスン500円という破格の安さ。月2回。出欠届け不要。来たかったら、500円握ってくればいい、という気安さでゆるく続けてきた。

先生はルーマニアの方だ。

先生が、空手をやっておられるのはなんとなく知ってはいたけど、道場開きなるものに行って、空手を11年も続けておられることを知った。

大勢の空手関係者の方も来ておられ、先生への三段の授与式や、基本の型の演習もあった。何十人かの空手家の方が、そろって型をする姿は、えらい迫力だった。

英会話の先生は、自分の好きなこと、嫌いなことがはっきりしていて、チャレンジングな方だ。姿勢がよく美しく自信にも溢れている。

そういう方だから、異国でも友だちを作り根を這って生きていけるのだろうし、空手の世界でもどんどん自分の道を切り開いていっているのだろう。

きっかけを自分から作って、周りを巻き込みながら実績を作っていく。ご自身のキャラクターで、そういったことが自然にできてしまう。

関係者の方のあいさつや周りの方々とのやりとりから、改めてその先生の生きる姿勢を目の当たりにした。

人と自分を比較しても仕方ないけれど、内向きでチャンスがあってもスルーしてしまいがち、先細りな私とは大違いだ、と思った。

先生が眩しいような、うらやましいような?

いや、私にはとてもそんなパワーはないけど。

だけど、とっても刺激を受けた。

要は、自分の気持ちからなのだ。

これ中学生くらいの時に感じるようなことだけど。

もとい、いくつになっても、その人のいる、そこからだ。

歳を重ね、ますます、社会的な自分に自信がもてない今の私だからこそ、先生の姿勢を見習いたいと思った。

言葉が不自由なく伝えられる日本にいるというのに、私は何をおどおどしているのだろう。

とっても女性的で美しく、かつ、強さと熱を合わせもつ花かごを前に、その甘い香りを嗅ぎながら、私もいまここから自分の道を開いていきたい、と思ったよ。

 

気づけば、『奇跡講座』から離れて1ヶ月

2018-07-12

「それこそが赦すべきこと」

一昨日、オウム死刑囚の死刑執行に「死刑って辛い」と書いたけれど、その夜ふとんに入ってから暑さで寝苦しく何度も寝返りを打ちながら(エアコンつけてない(^o^))、そのたびに「それこそが、私が赦すべきことだ」と感じていた。

オウムも、死も、死刑も、すべて実在のものとして、自分の恐怖心や罪悪感、同情心などが動いていたのだから。それは、私が学んできたことと違う。

『奇跡講座』を離れて1ヶ月、この世の場所づくりに夢中

引っ越し前日から、この1ヶ月、『奇跡講座』(ACIM)から離れていた。最後にワークをやったのは、6月13日のレッスン195だ。

ばたばたしていて心身ともにゆとりがなかったのと、環境が変わり落ち着けなかったので、ワークをする気にならなかった。そして、だんだん「敷居」が高くなってしまっていた。

しかし、ACIMから離れていることが不都合でも寂しくもなかったことに、自分自身ちょっとびっくりでもある。

それどころか感じていたのは、「解放感」だった。ワークをしなくちゃ、というのが、たいして時間を取るワークでなくても、けっこうプレッシャーになっていたのか。かなり緩慢にやっていたのだけど。

そもそも、ACIMは自分の生活になくても困らないくらいの、そんな存在だったのか。

なすがままに任せてみたら…というより

その間、意識が向いていたのは、片づけと家づくりだ。家づくりというと大げさだけど、物干しざおや食器の水切りかご、傘立てといった新居に足りないものを買い揃えたり、Amazonから来たテレビを設置したり、クローゼット内の収納を工夫したりと、家を自分なりに整えること。

新しい場で、なんとか、「これでまぁ、落ち着ける」という状態にしたいとあれこれ試行錯誤し、気づけばACIMから離れて一ヶ月も経っている。

やっと、こうしてパソコンに向かうのにも慣れてきた。

そろそろ、高くなった敷居を超えるため『奇跡講座』の再読を始めようかな、と。

余裕はないはずなのに、余裕である。

あとしばらく、なすがままに任せていたら、どこに向かうのかを見てみたいような気もしている。

というより、動こうにもただ目先のことだけしかできないだけなんだけど。

オウム死刑囚の死刑執行、死刑って辛い

2018-07-10

オウム死刑囚、死刑執行のニュースに思う

先週、7月6日土曜日の午前、オウム真理教の教祖麻原彰晃ら7名の死刑囚の死刑が執行されたとのニュースが流れた。

オウム…。当時のオウム集団の異様さを思い出した。地下鉄サリン事件、松本サリン事件、公証人役場事務長殺害事件、坂本弁護士一家殺害事件…。

これほどの凶悪な事件が、教祖麻原彰晃の教えに導かれて一見どこにでもいる普通の人のように見える信者らによって実行された。

オウムがヨガ教室から組織を拡大させていった頃は、私は20代前半。その頃からいわゆる「スピリチュアル」というものが流行り出していた。

私もそういうことに詳しかった友だちに、シャーリーマックレーン著、『アウト・オン・ア・リム』という本を紹介され、それ以降誘われるままにいろんなセミナーみたいなところにも参加したりしていた。

まかり間違えばオウムのヨガ教室にも行っていたかも?

しかしー。

高学歴の信者が多かったことから、マスコミの人は、口々になぜ彼らが麻原彰晃のような人物に洗脳されのか、と不思議がったが、私も同じように思った。

どうして、あんな気色悪いおっさんに身も心も捧げたのか。洗脳というものはそれほど影響力を持ちえたものなのか。

なぜみんな理想や志はあったはずなのに、道を誤ってしまったんだろう。

私は死刑には反対

死刑とは、もっとも重い刑。文字どおりその人を死なせる(殺す)刑だ。

オウムの教祖麻原彰晃こと、松本智津夫その人以上に、この刑にふさわしい人はいないだろう。

それでも、私は、死刑執行には反対だ。

なぜなら…

ひとつは、テレビに出ていた専門家?も言っていたけど、オウム事件とは何だったのか、事件の核心部分を知っている人たちがいなくなってしまうから。

側近中の側近と言われ、地下鉄サリン事件当時25歳だった井上嘉浩は48歳になっていた。その心のうちでは、今は何を思っていただろう。

日本人はまじめで忠誠心が強いというが、それが間違ったボスの顔色を伺うような事件が最近も頻繁に起きている。オウム事件を特殊なこととして片づけられないような気がする。

二つ目は、死刑とは結局は人を殺すことだから、その執行には、死刑囚とその家族や執行人を初めとする周囲に、新たな恐怖と悲しみ、罪悪感が生まれるから。

以前、ニュースの中で死刑執行の仕方みたいな特集をやっていて、それをつい見てしまった。その残酷さに衝撃を受けた。

死刑囚は、刑の執行を当日の朝言い渡されるという。そんな環境下で人間は正常な精神を保って生きられるのだろうか。生死のコントロール権を握られ、究極の人権侵害下に置かれているようにも、思える。

執行人は、3名のうちの誰のボタンが踏み板を外すしたのかわからないようになっているとか、執行の補佐には特別な休暇が与えられるとか。

見ているうちに、自分が死刑囚の立場になったり、執行人になったりして、とても怖ろしく感じた。

罪を犯した人は、愛情なのか自己肯定感なのか何かが欠けていたから、誤って罪を犯すことになったのだと思う(ここでは『奇跡講座』の考え方からすっかり離れてしまっている)。本当はその欠落感を満たさなくてはならないのに、命までも奪ってしまうとはむごすぎる、と思ってしまう。

もちろん、被害者感情への配慮も必要なのだろうけど、それでも、誰かが殺されたことがよかった、ハッピーとはならないのではないか。

私たちはみな死刑囚?死とどう向き合うのか

私がこんなに死刑に反応するのは、私が死を怖がっているからなのだろう。死をリアルにしている。

これは、言い過ぎかもしれないけれど、広い意味で言えば、私たちはみんな「死刑」を背負って生まれてきて、「死刑」を背負って生きている(もちろん、これは、この世的な見方で、本当は、死はない)。

だた、それがいつかであって、まさか明日言い渡されることはない、と思っているから、正気を保っているだけなのだ。

私が『奇跡講座』に関心を持って学びたいと思った一番大きな理由は、その情報が正しいと感じたからだ。だけど、二番目か三番目には、死の恐怖をやわらげたいと思っているから、というのもあるのかもしれない。

私たちは個々の存在を体験しているが、もしかしたら生が一時の泡のような幻で、死が恒常的な状態なのかもしれない。

それは、本来は怖れるに足らないことだと思う。その過程で苦しむ必要もない。

死をどう見るかは、その人の人生観そのものだ。

『神の使者』では、みんな自分の死ぬ時も(意識下で)決めてきているというけど、オウム死刑囚もそうだったのかな。

私は、さっきまで生きていた7人が法の元に殺されたというのは、やっぱり辛い。執行のその瞬間まで、すごくすごく哀しく、すごくすごく怖かったんじゃないかと思うから。

かわいいお花もらった

2018-07-05

友だちとランチ&おしゃべり

昨日、久しぶりに友人とランチした。

何にもない時にただランチだけしようと会える関係って、私にとっては貴重だ。各々しゃべりたいことをしゃべって、どんどん話題が流れていく。その何でもない話に癒される。

私、ほんとは、もっともっとおしゃべりしたいんだと思う、たぶん。でも奇跡講座を学び出してその価値観が自分のベースになってからは、こんなこと共感し合えないよね、という思いがあって、無口になった。

気づけば、人とどうしゃべればいいのかも、わからなくなっている。

奇跡講座の価値観をベースに話すと、浮きまくること必至だから、決して、そんなふうには話さない。

昨日会った友人には、『神の使者』や『奇跡講座』の話もしている。私のおすすめで『神の使者』も買って読んでくれた。

でも、その価値観はなかなか受け入れがたいと言ってた。その後、あえて本の中身について話題にしたりはしていない。

そうだよね。私も逆の立場だったら戸惑うと思う。

親しい友人にも、奇跡講座の中身の話をすることはない。

私自身、この世の価値観と、奇跡講座の価値観、両方の間を行ったり来たりしている。そして、引っ越ししてからは、奇跡講座から離れているから、この世寄りになっているかな?

きれいなお花、ありがとう

友人から、引っ越し祝いにかわいいフラワーアレンジメントをもらった。

黄色とピンクと、水色と。

色がかわいいな。

生花って、なかなか自分では買えない、ぜいたく品だ。

ベランダにあった植物を全部入れて、ワイルドになった部屋の中で、このお花はひときわかわいく見える。

黄色いガーベラも、ピンクのバラも、きれいなマンダラになっていて、眺めていると、自分もまあるくもどっていく…。

そういえば、歩きながら、まあるくなるのと、総合的にすべてを満たすのとは、別物だな、と考えていた。

学校では総合的に全部を満たすことに力点を置いているけれど、人生では自分なりにまあるくなればいいんだよな、などと意味もなく考えていたことを、今思い出した。

← 戻る

←古い記事を見る 新しい記事を見る→