ACIMワークブック360-神聖な神の子である私に、平安がありますように。私とひとつである兄弟に、平安がありますように。私たちの平安を通して、全世界が祝福されますように。

 

2020-06-30

「全世界に平安がありますように」

父よ、私はあなたからの平安を受け取り、それを与えたいのです。私はあなたの子です。大いなる光線が静かに乱れを知らず、常しえに私のうちにとどまるので、私は永遠にあなたに創造されたままです。」(W-pⅡ.360:1.1-2) (さらに…)

ACIMワークブック359-神からの答えは何らかの形をした平安である。苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いにすぎなかったと理解される。

 

2020-06-28

赦せるように助けてください

父よ、今日私はあなたの世界を赦し、被造物をあなたご自身のものとします。私たちはすべてのものを誤解してきました。」(W-pⅡ.359:1.1-2) (さらに…)

ACIMワークブック358-神への呼びかけは聞かれないことも、応えられないままにされることもない。そして私は確信している。神の答えこそ、私が真に望む答えであることを。

 

2020-06-26

私自身は無であっても…

聖霊よ、私の真の本性を覚えているあなただけが、私が真に望むものを覚えています。あなたは神のために語るので、私のためにも語ります。そしてあなたが私に与えるものは、神ご自身からもたらされます。」(W-pⅡ.358:1.1-2) (さらに…)

ACIMワークブック357-真理は、神に対する私たちの呼びかけの一つひとつに応える。はじめは奇跡によって応え、その後、真理そのものとして私たちに戻ってくる。

 

2020-06-24

彼の無罪性を見て、あなたが癒されなさい

真理の反映である赦しが、どのようにして奇跡を差し出せばよいか、どうすれば自分が暮らしている場だと思っている牢獄から抜け出せるかを、私に教えてくれます。 (さらに…)

妹の記憶と洞察に見るかつての家族像

2020-06-22

妹の記憶に残る家族像

しばらく前に、妹にわが家族の思い出を聞いた。私が中学生頃、妹が4,5歳位の頃の風景だろうか。 (さらに…)

6月20日ーある意味「記念日」

2020-06-20

父の命日と帰省

今日は父が亡くなってちょうど5年めの日。昨日「都道府県をまたぐ移動の自粛解除」を受けて、富山の生家に帰省した。 (さらに…)

ACIMワークブック356-病気とは罪の別名である。癒しとは神の別名であり。だから、奇跡は神への呼びかけである。

2020-06-17

奇跡は神への呼びかけ

彼がどこにいようと、彼の問題が何であると思えようと、自分がどのような存在になったと彼が信じていようと、それは問題ではありません。」(W-pⅡ.356:1.2) (さらに…)

ACIMワークを始めると一見人生が悪化するような件について

2020-06-15

ACIMワークを始めると人生が悪くなる!?

先々週の『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』のシェアの会での雑談で、“ACIMを始めると人生が悪くなるように思える件”について話が及んだ。 (さらに…)

ACIMワークブック355-私が神の言葉を受け入れるとき、平安や喜びや、私が与えるすべてに、終わりはなくなる。今日をその日としてもよいのではないだろうか。

 

2020-06-12

奇跡は神の愛の反映

流刑の身のわが子にあなたが与えてくださった約束の御言葉を、あなたは必ず守ってくださいます。私の宝物が私を待っていることを、私は確信しています。」(W-pⅡ.355:1.2-3) (さらに…)

ACIMワークブック354-キリストと私はともに立ち、平安のうちに、目的を確信している。キリストが私の中にいるのと同じように、キリストの中には彼の創造主がいる。

 

2020-06-10

内なるキリストというアイデンティティ

キリストとの一体性が、私をあなたの子として確立します。それは、時間の及ばぬところで、あなたの法則以外のすべての法則からまったく自由なあなたの子です。」(W-pⅡ.354:1.1) (さらに…)

『Journey through the Text of ACIM』(36)-4章3節「イエス」-「教えることと学ぶこと」

2020-06-06

教えることと学ぶことは同じ

ACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の4章「The Illusions of the Ego(自我の幻想)」第3節の「イエス」の見出しの4つめ、「教えることと学ぶこと」について。 (さらに…)

『Journey through the Text of ACIM』(35)-4章3節「イエス」-「赦し」

2020-06-05

続・壺のはなし

そういえば…一昨日「壺のはなし」を書いたけど、その後、気づいたことがある。 (さらに…)

『Journey through the Text of ACIM』(34)-4章3節「イエス」ー「自我を見ること」

2020-06-04

「私たちはどうやって自我を作り出すことができたのか?」という問い

『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』、4章「The Illusions of the Ego(自我の幻想)」、第3節の「イエス」の見出しの2つめ「自我を見ること」について。自我を見ることについてはこれまでにも論じてきたが、これが誤りを認識して正すことの導入部分にあたるので、何度も繰り返すという(ワプニック先生)。 (さらに…)

『Journey through the Text of ACIM』(33)-進捗と4章後半へ

2020-06-03

『Journey through the Text of ACIM』-進捗と壺のはなし

ワプニック先生のテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の“私の旅”は、4章「The Illusions of the Ego(自我の幻想)」の後半、第3節の「Jesus(イエス)」のところ。 (さらに…)