引っ越し前日

2018-06-14

荷づくり、今夜がんばるど

ご近所さんへの挨拶、キンチョーしていたけど、案ずるより産むが安しだった。最初のお宅で、寂しくなるわね~、とあれやこれや1時間も立ち話になり、私も感慨深かった。

しかし、引っ越し前夜だというのにー、

未だ、荷物がまとめられてない(>_<)

あ゛~、今夜、これから頑張らなくっちゃ、

流し台のコンロ下奥には、手づくりで漢方酒を漬けていたはずだけど、あれはどうなっているだろう?捨てようか、そのまま持っていこうか。

悪くなるものではないけど、もう怖くて飲めない。やっぱり捨てていくか。

壁紙職人さん、ありがとう!

新居は、居間だけ壁紙の張り替えのプチリフォームをした。

当日、照明器具やカーテンやカーペットなど、3つの業者から届くことになっており、職人さんに受け取りのお願いをした。翌日来た時には、受け取りだけでなく照明の取りつけ(3ヶ所)も済ましてくれていた!

私が一人でやっていたら、半日かかっただろう。ありがたかった。

その付け方が、私の想定とまるっきり違っていたのには、笑ってしまった。

そうだよね、普通はそっちだよね。

1LDKの間取りで、1のほうは寝室と思われたのだろう、比較的ムーディなやつが付けられていた。

そっちは仕事部屋で、シンプルなやつで…と言ったら、瞬く間にチェンジしてくれた。

壁紙がきれいになり、カーテンと照明、カーペットを敷いたら、一気に住まいらしくなった。

夕飯はお赤飯

さっきは、新居へおせんべいの手土産を買いにいった。

引っ越しだと言ったら、

和菓子屋のおじいさんもまた「寂しくなるね、寂しくなるね」といって、赤飯、大福、プチぜんざいのおまけをくれた。

いや、そーんなに遠くに行くわけではなんです。

日持ちがしないものをくれたのかな?

疲れているから、甘いもの、うれしい。

食器も鍋も段ボールの今、お赤飯がいただけるのもありがたい。

段取りが悪くて、インターネット接続業者さんがなかなか決められず、結局前日の申込みとなってしまった。

しばらく、接続できないのかな。

やっぱり引っ越しって、パワーが要るな。

でも、最強の断捨離手段ではあるな。

収納問題…「過去もの」をどれだけ手放せるか

2018-06-09

収納問題で荷づくり進まず

来週は引っ越しだというのに、まだひとつも荷づくりができていない。

まずは新居の家具などレイアウトを決めて、ものの行き先を決めてから…と考えていたが、その行き先が圧倒的に足りなくて進まない。収納力は今の家の半分~1/3くらいかと思っていたけど、1/4くらいかあるいはもっと少ない。

逆に言えば今の家は昔の作りだから、収納力に優れていたのだと気づいた。別れる時になって良さに気づく。これも、恋愛と不動産の似ているところか。

まずは持っているものを出して…と、手づかずだった押入れを見てみたら、おそらく他の人が取っておいてはいないだろう「過去もの」がたくさん出てきた。

結婚式と新婚旅行のアルバム(1年で離婚した)。むかーし1ヶ月で辞めてしまった三年日記。美術館やイベントなどのスクラップブック。仕事の成果物の表紙…。

ふぁ…。

こんなものまで、というのが古漬けみたいになっている。

「新居収納足りない問題」を祈りの祭壇に捧げた。

すると、降りてきた答えはひとこと。

捨てる

お~!要はそんな簡単なことだったか。

ん?

いや。簡単ではない。

ぜんぶは無理だ。手放したくない。

なにを?

自問してみる。

…若かった自分。未来に向けてチャレンジしていた自分…のイメージかな?

と答えが浮かぶ。

だったら、今、若々しくしてチャレンジしてみたら…と、このブログを書きながら、思った。

私が執着しているのは?

私はほんとうは、何に執着しているのか。

やはり自分は肉体だと思っていて、その価値が高い「若さ」というものにも執着しているのかもしれない。

かもしれない、というより、めちゃくちゃ、そうだ(>_<)

お金が潤沢だったら、高額美容に走ってそうだ。

でも幸いに、そうでないから、今年もウコンを育てウコン葉化粧水を手づくりするのだ。おカネがなくともそれなりに(^_^;)

だから、何の愛想もないウコンの鉢植えも、もちろん持っていく。

肉体への執着、若さへの執着がどうも私の鬼門だ(言葉の使い方が合っているかわからん)。もちろんこれだけではないけれど。

あ~、今日は現マンションの方々へ引越しのご挨拶に伺う予定。皆さん、すでに知っておられるのか、それとも寝耳に水、なのか。ちょっとキンチョーする。

ACIMレッスン192-私には、神が私に全うさせようとする機能がある。

2018-06-06

15年分の垢落とし

昨日、新居に洗面台設置のためリフォーム屋さんが下見に来られた。

リフォーム屋さんが帰った後は、念願の!?そうじを開始。管理人さんに脚立を借りて、レンジフードやエアコンを掃除した。

初夏何もない空間で、音楽アプリから流れる知らない曲を聞きながら、汗だくで掃除をしていると、昔むかしの若い頃の何かが始まる予感…を思い出した。

何もない…

新しい…

ということは素晴らしいことかもしれない。

若ければ…?

今朝は身体が筋肉痛だ。ウォーキング以外からだを使っていないから鈍っているんだ。歳を重ねてこそ体を動かさねば。引っ越ししたら、区のジムが近くなるから、通おう。

今回の引っ越しでは、歴代のノートパソコンや、長年愛用したブラウン管テレビも処分する。

なんでこんなもの持っているんだというものも多い。むかーし取材したカセットテープも大量処分した。

気づけば半年をかけての、人生のクリーニングのようだ。15年分の垢落とし。

新たなものを入れるには、古いものの処分が不可欠だということかな?

あるいは、老い支度だろうか。

ACIM192-私には、神が私に全うさせようとする 機能はたらきが在る。

レッスン192。やっていたのは先月だ。

ここでは、赦しについて、その位置づけと 機能はたらき についてより深い言及がされている。

赦しは、この世での私たち神の子のはたらきであり、真理でないものが取り消されるための手段である。

私たちは肉体を有しているが、肉体こそ攻撃の対象であり恐れの居場所だ。肉体を自らの家だと考えている心がこれらを生み出すのだという。

肉体は、学びが完了すれば横たえられるだけの単なる学習手段であり、学ぶ者を変化させはしない」(L192-4-3)とあるが、ここが私にとっては難しい(なかなかそうは思いづらい)。

ライザップのCMとか見ていても、肉体が変わればまるで別人のように見えるし。

この見方を変換させるのが、赦しだ。

肉体を自らの家だと考えている心を、そうした考えから解放できるのは、赦しだけである。」(L192-5-5)

私…。頭でっかちで、赦しの実践が圧倒的に少ない。

むしろ、赦しの機会から逃げている気がする。

怒らせる出来事をもたらした人に感謝をする

レッスン192でもっとも大事だと思うのは、9節の以下の部分だ。

「この道は単純明快である。突き上げてくる怒りを感じるたびに、自らの頭上に剣を振りかざしていることを理解しなさい。そして、罪を宣告された者となるか、自由な者となるかをあなたが選択するたびに、剣は振り下ろされるか、回避されるかのどちらかである。」(L192-9-3,4,5)

だから、あなたを怒らせるかに見える人々は、あなたを死の牢獄から助け出す救助者を象徴している。だから、あなたが彼らに返すべきものは、苦痛ではなく感謝である。」(L192-9-6,7)

私は、私を怒らせるように見える人に果たして感謝できるだろうか。

ACIMでは繰り返し、繰り返しこれを説いている。

とにかく、この世ではすべての人や、できごとが、赦しに集約されていく。

ここで体験したことを、自分の心の中に引き戻して、そして赦す。今日の出来事はなるたけ今日赦す。

これだけ、赦しについて聞いていても、いざそのチャンスの時には、この理屈がわからなくなってしまう。だからこその繰り返しの実践なんだ。

私にはまだこの世にいながら、この世を赦すという、その正解の感じがいまいち掴めていない。

赦すことが苦手だから、厭世しているような…。そんな気すらする。

引っ越しもまた赦しのレッスン?

2018-06-02

やっぱり健康がいい

昨日ポストに病院から郵便が届いていた。私は検査をしたことさえ忘れていたが、バセドー氏病の疑い血液検査の結果を知らせると言われていたことを思い出した。

封を開く時はちょっぴりドキドキした。

結果は「陰性」=とくに問題なし。

正直、ほっとした。

病気を増やしたくはない。健康でも、そうでなくても体は幻想のだと言われるが、それでもやっぱり健康がいい。

引き渡しを受け、新居の準備

引っ越しPのほうは、新居の月曜日に引き渡しを受けてから、俄然慌ただしくなってきた。

受け取った鍵で初めてひとりで見に行ったら、あら不思議。

購入を検討している時には、ただ日当たりよく風通しよく、OK!すばらしい!と思っていた室内がまったくちがった風に見えてきた。

壁紙の汚れやレンジフード、エアコンの汚れなど、老朽化したところや汚れが目につく。とても汚れている。

自分のものと思う前は、よいところばかり見えて、自分のものとなったとたん粗が見えるというのは、いったいどういう知覚の変化なんだろう。

恋愛や結婚もそうかな?こちらのほうは、私には語る資格なし、だけど。

ともかく入居前に、そうじしなくっちゃ!あとリビングの壁紙くらいは新しくしたい。だれに頼めばいいのかな?いくらくらいかかる?

また、照明器具やカーテンがないこと、洗面台がないこと(売主さんが持っていかれた)など、必要なものが浮かんだ。フローリングって生まれて初めてだ。なんか敷くものも要るかな。

これらは未来に向けて「楽しいこと」に入るのだけど、ここ何年も心のエネルギー不足気味な私にとっては、決めるということにひとつひとつ気合いが要った。

断捨離を邪魔する過去への執着心

その前に旧居の断捨離があった。

新居は押入れがなく収納が半分になるし、壁がとっても少なく本棚や収納家具の置ける場所が少ない。

3月に5本あった本棚のうち1本を分解して粗大ゴミに出した。今週、本棚をもう1本解体して粗大ゴミに出した。

本が溢れてしまった。これらを新居のどこに収納しよう?

いま、ここから、必要なものだけ持っていけ、と言われたら、必要なのは奇跡講座関連の本と、『アナスタシア』シリーズなどの何冊かの気に入った本をすぐに選べる。

だけど、ここにあるものから、どれかを捨てなさい、と言われたら、なかなか捨てられない。

必要な本はわかっている。だからそれ以外はいま必要ではないのかもしれないけれど、なかなか踏ん切りがつかない。

それでもブックオフに何往復かした。(たくさんあるのだから、段ボールに詰めて取りに来てもらえば効率的なのに、少しずつでないと処分ができず、重い物を紙袋に詰めて手を痛くしながら売りに行った。)

本は40冊くらい持っていっても500円にもならないけど、捨てるより手放しやすい。

私にとってとくに処分しづらいのは、自分が昔書いた仕事のノートや人からもらったはがきや手紙だということに気づいた。写真もそうだ。

こういうものは、お金では買えないものだ。自分の過去が投影されている。私はどうもそういうものに執着が強いみたいだ。本が捨てづらいのもおそらく、過去の自分が入っているからだ(本に自分を投影するタイプ?)。

引っ越しもまた赦しのレッスン?

引っ越しというのは、手間がかかるから「細かいことなんか、こだわっとれん」と大胆になれるし、過去でいっぱいになった自分の容量を空けるにはとってもいいチャンスだと思う。

それでも、まだまだ執着心がある。

いずれは、何一つ持たずに旅立たねばならないというのに…

手放す=赦す

今やっているのは、私なりの赦しのレッスンなのかなと思う。