ブログSSL化できた(プロの方が)

2019-04-30

ブログSSL化できた

少し前のこと。

「ブログを、http→httpsにSSL化するも」(4月8日)という記事を書いていた。

ブログのセキュリティを高めるべくネットを見ながら自力でやってみたがエラーが出た、説明どおりにやったのに何がいけないのかちんぷんかんぷんで、Wordpressのプロの方にお願いしたという内容。

その後17日に“症状のヒアリング”を受けて、翌18日には無事“治癒”された。さすがプロ、早っ!Thanks!!うれしい、ありがとう。

SSL化できているサイトに付くという鍵のマークもちゃんと表示された!

お支払いした金額は1万円(税抜き)。「場合によっては追加料金が必要かも」と言われヒヤヒヤしていたけれど、当初の額で収まりほっとした。

画面ごしでのやりとりを初体験

この件で私が初めて経験したのが、パソコン画面上でのやりとりだった。zoomとかいうのを使ったのかな?

アナログ人間の私はノートパソコンを直接お店や会社に持ちこんで、どうおかしくなったのかを説明して直してもらうのだとばかり思っていた。それで近い立地の会社を選んだ。

しかーし、時代はとっくの昔に変わっていた。

「効率を考えましてzoom、スカイプ等ツールを使用し、オンラインで会話や画面共有しながら進行させていただければ」とのメール(そもそも電話番号の記載はなくメールでの依頼だ)。

オンラインで、初対面の方と? (・・;)

パソコンのことを説明!?  (゚ー゚;

ぐぎゃー (>_<)

パソコンに苦手意識があるから解決法を自分で調べることを放棄してプロにお願いしたのだ… ムリムリ

「近いのでノートパソコンを持って御社に伺いますから…どうか」と抗ってみた。

が、「指定した日時に指定されたURLにアクセスするだけで大丈夫ですから」「持ちこみの場合でも高額の出張料金が発生しますので」とやんわり?断られてしまった。

そいで、すごいドキドキしながら指定された日時にアクセス。

「初めまして」と画面越しにあいさつしながら現状ヒアリングを受けた。

画面越しであろうと姿を見せつつ話せば私がどのくらいWordpressをわかっていて(わかっていなくて)どれくらいパソコンスキルがあるかは一目瞭然だし、とっても親切な方で前の日からカチコチになっている必要もなかったかと思った。

そして、画面越しでのやりとりという新しい経験をさせてもらったことに感謝した。

ブログ、テーマの更新が必要…と

変になっていた原因の一つは、やり方を教えてくれていた説明中の記述に「https://example.com」と仮のURLが示されておりその箇所には自分のサイトURLを入れるべきだったところを、私がそのまま記述したことだった。(後で気づいて修正したけれどそれが反映されるまでに何日か時間を要するらしい)

また、もう一つの原因はやはりというか、私が用いているテーマ(テンプレート)が古いこと。

作業完了メールに「(テーマのメンテナンスがされてないようなので)定期的に更新されているテーマを利用されることをおすすめしたいと思います・・・!」との記述。

テーマの変更…が必要か。

テーマ変更。これが次のお題になった。

そして、それも含めてGW中にWordpressの勉強をしたいと思っていたけど、なんか…まだそっちに気が向かない。

テレビでは、平成をふりかえる番組をやっている。なんか平成=人生の中核時期だから、平成をふりかえる雑誌とか欲しくなってしまった。

ACIMワーク257-私の目的が何であるかを思い出せますように。

2019-04-28

ACIMワーク257-私の目的が何であるかを、思い出せますように。

気づけば4月ももう終わりだ。

早いな。

「平成」から「令和」への改元。 (さらに…)

春のとやまの土のにおい

2019-04-26

2週間前の自分と何か変わった気がする

6泊7日の“ゲイリー・レナードさん京都ワークショップ+金沢友人宅+とやま帰省の旅”を終えて、昨日東京の家に戻った。

2週間前にはゲイリーさんの東京ワークショップもまだ参加していなかった。2日間の東京ワークショップに参加して感極まり京都にも行こうと思い立ち…たった2週間だけど、前の自分とは何かが変わった気がする。

まだ平生のひとり暮らしのリズムに戻っていないから、そう感じるのか…

旅の始まりはゲイリーさんの生の声と姿と、奥さんで同じくACIMを教えるシンディさんの聡明さ、美しさに心奪われていたけれど、終わりは母が100%となり戻ってきた。

ワークショップを終えた頃はACIMが深まったように思えていたんだけど…。何かが変わったとは思うものの、結局進化したのかしていないのかわからない。

とやまの春のにおい

とやまの春の田舎道を母と歩けたのがよかった。

土のにおい、、、そうそうこんな感じだった、と幼い頃を思い出した。

三つ子の魂百までも、というけれど。。

無意識に宿る記憶というのはすごい。深くに在り支配する。

ふと、三つ子の魂百までも、の「三つ子の魂」の意味は、今世の「三歳までの育ち」の意味ではなく、無意識に宿るずっとずっと何度もの人生のカルマを言うのではないかと思った。

それが人生と呼ばれるものを動かす。

正しく言えば転生などないから「神から離れたと思った瞬間」ではないか。その勘違いがずっとずっと肉体を離れるまで神の子を縛るのだ。

その勘違いは気づけば修正できる。

帰省して戻ると自分がわからなくなっている

実家に帰省すると母の世界に取り込まれ、いつも心と頭がシャッフルされて、わけがわからなくなってしまう。前の自分を思い出すのに少し時間が要る。

あ゛~、せっかくゲイリーさんのお話を聞けてよかったのに、最終的にはわけがわからなくなって帰ってきた (>_<)

ぎっくり腰は悪化し、よれよれしながら近所の整骨院に行った。

身体全体が硬直し歪んでいるらしく、調整してもらった。たった一回でもだいぶほぐれた。

心もほぐし気を落ち着けて、またACIMに戻りたい。あ゛支離滅裂かも。

故郷でのいとしい時間とぎっくり腰

2019-04-24

故郷での老母との時間


ゲイリー・レナードさんの京都ワークショップから金沢を経由して、富山で母と二人で過ごす時間。

母とおいしいと評判のコーヒー屋さんまで出かけてお茶したり、県内の宇奈月温泉に行き日帰り入浴+バイキング夕食を楽しんだりした。

何げないささやかな時間だったが、そのゆるい時の流れこそ貴重で愛おしいものに感じた。

地味ながら私にとっては最高のGWだ。

せっかくゲイリー・レナードさんに『奇跡講座』(ACIM)について直接お話を聞き理解が深まったように感じていたが、実家に着くと母のおしゃべりに飲み込まれ、1時間もしないうちにACIMや赦しはどっかに行ってしまった。

やはり実家はACIMから最も遠い場所なのだ。

あ゛~、ぎっくり腰

この母との時間に水を差したのが、私のぎっくり腰だった。

京都ワークショップの最中にはすでに痛く怪しくなっていたが、実家に着いてから悪化した。何とか歩けるけど痛い。

近所の接骨院にも行ったが、あまり変わらない。よりによって帰省時に…(*_*;

これは、二次元的視点で見たら、ワークショップ時長時間同じ姿勢で座っていたことや長距離移動がダメージになったように思われた。

一方ACIM的観点から見たら、すべての病や痛みは罪悪感の投影なのだから私の罪悪感が体に投影されたものと捉えられた。

そう、実家というのは私の罪悪感がうずく場所なのだ。

親が望むようにちゃんと結婚して孫の顔を見せるということができなかった。

家意識が強い富山という土地で幼いころから家の継承を期待されていたけどできなかった。

私という人間には到底無理だと思うことだけど、母の顔を見ていると申し訳ない気持ちになりこれまでの来し方に後悔と自責の念を感じてしまうのだ。

ゲイリーさんのワークショップで無意識が動いただろう。それも感情の揺れに拍車をかけたかもしれない。

要するに、日頃は無意識に埋めているもろもろの罪悪感が浮かび上がりぎっくり腰として顕在化しているようだった。

これももちろんエゴ。

老母に対する特別の愛と罪悪感、これは神からの分離をリアルだと主張する私のエゴが見せているオリジナルのストーリーなのだ。

エゴの罠…の甘酸っぱさ

意識からACIMがぶっ飛んでいても、赦しの機会はちゃんとやってくる。

この凝り固まった腰にため込んでいる思いを解放しよう。

この世界はリアルではない。だから自分で自分を赦すのだ。

そう思う一方で、

いやいや母をリアルに思いたい。だから、自責の念や後悔も手放したくない、とも思う。

後悔や自責の念はどこかしら官能的で甘酸っぱい。

エゴの世界のトリックだと頭で認識しながら、その甘酸っぱさにもう少したゆたっていたい。

なんかゲンジツって麻薬的だ。

PS. 翌日、帰りの新幹線でゲイリー・レナードさんの3冊目の著書『愛は誰も忘れていない』を読んでいた。

p218~219にパーサがゲイリーの両親にまつわる記憶に触れたところがあり、ACIMテキストからの引用もあった。

あなたは心の彷徨にあまりにも寛容で、心の誤った創造を受動的に容認している。」(ACIMテキスト2 Vl.4-6)

そしてパーサのアドバイス…

「誤った創造を受容している自分に気づいたら、その責任を取らなくちゃね。エゴと一緒に考えるのをやめて、聖霊のほうに切り替えましょう。そして、その誤った創造を実在させるのをやめなくっちゃ。」

そーだよなぁ、誤った創造を実在させていたなぁ、と思いながら東京に向かった。4年前開通した北陸新幹線は、車窓からの景色をどんどん変えながらすごいスピードで東京に向かっていった。

ゲイリー・レナードさんの京都ワークショップ参加

2019-04-22

美しい春の日の京都ワークショップ

ゲイリー・レナードさん、シンディ・レナードさん夫妻の京都ワークショップは、美しい緑の庭に面した開放的な会場で行われた。

私は前週の東京の時は、初めてゲイリーさんにお目にかかったことと、初めて『神の死者』や『奇跡講座』を学んでいる学習仲間に会えたということでテンションが上がり興奮しすぎていた。

京都ではその最初の興奮状態から一息ついていたことと、参加者が40~50名と東京よりややこじんまりしていたこととで、ようやく落ち着いて話を聞く態勢になれていた。

通訳の幸田良隆さんの京都弁がここ京都では一層マッチしていた。

幸田さんが「A Course in Miracleのこと知らないって人いてない?なんかまちがって来ちゃったわなんて人~?」とジョーダンめかして言ったけど、誰一人手を挙げなかった(あたりまえか)。

「4冊目の本、新著『イエスとブッダが共に生きた生涯』を読みましたっていう人はどのぐらいいてますか」の質問には、約9割くらいが手を挙げた。

私は『神の死者』からのゲイリーさんの著書や『奇跡講座』に関心を持っている方々と時間、空間を共にしているのが、やはり心地よくうれしかった。

本来ならば、ワークショップの内容について書くべきなんだろうけれど、それはまた改めてにしよう。

ワークショップ終了後、金沢に向かった。友人宅に泊めてもらい(ACIM以外の)積もる話をして、翌日曜には富山の実家に着いた。

今は実家という私にとってACIMとは遠い世界にいる(母の存在感が強すぎて、神さまを忘れてしまう。そして考え事がまとまらない)。

ワークショップ参加でフェイズが変わる

今回、東京、京都とゲイリー・レナードさんのワークショップに参加したことは、私にとってとっても意味が大きかった。

これまで、一人でやっていてACIMというものがどこか観念的だったのが、ワークショップに参加したことでこの世の三次元的な活動としてリアリティを感じるものになった。

それは、この世の幻想性を前提にするACIMの見方からいうと逆行しているのかもしれないけれど。実感としてはそうだった。

私は、ACIMを学んでいるつもりで、実のところはACIMをこの世からエスケープするための口実にしているんじゃないか、と常々疑いを持っていた。

そしてエゴを解体するのがACIMの目標なのに、ACIMを学んでいる体で観念の世界でだけ通用するヘンテコなスーパーエゴを作り上げて、内に籠って“勉強している”という隠れ蓑の元にそのスーパーエゴを温存しているような気がしていた。

実のところはわからないけれど、このゲンジツの世で生のゲイリーさんに会ったことや、同時代にACIMに関心をもって勉強している方々と会ったことが、この世からのエスケープから私をゲンジツに引きずり出しただろうことだけは確かだ。

ACIMはニューヨークの雑踏のなかで生まれたものだし、人と関わり合うことを避けてACIMを行くことは無理だ。

私は頭では赦しの必要性を知っているつもりだけど、実のところ赦しはむずかしくエゴは赦したくはないのだ。

だからなるたけその機会からも逃げていたのかもしれない。

それじゃあ、学習者としては浮かばれないよなぁ。

理屈じゃなくて実践。

ワークショップに出て、ACIMってやっぱりむずかしい!と思った。

今回のワークショップで最も幸福感を感じたのは、ゲイリーさんにハグしてもらったとき。なんともいえないやさしさと安心感を感じた。

先のことはわからない。ぼちぼちいこう。

ACIM-8年目の旅に向けて

2019-04-19

一筆書き周りで早めのGW帰省

GWはいつも少しだけずらして帰省している。別に勤め人ではないから暦に合わせる必要はないんだけど。。
 
で、今年は今日から、京都-金沢-富山-東京の一筆書き周りで行く。
 
この切符の存在を知ったのは去年だ。
富山に帰省時友達に会うために時々金沢に行く。東京-富山間往復に富山-金沢往復を加えると、一筆書き周りで京都-金沢を周って富山に行くのと運賃は変わらないのだ。
 
だったら京都を通っちゃえ、と。
 

ゲイリーさんの京都ワークショップ直前申し込み

で、今回はそれにゲイリー・レナードさんの京都ワークショップを足してしまった〜!
申し込みしたのは昨夜!!
 
先週土日の東京ワークショップで十分満たされていた。が、ワークショップ後夕食をご一緒させてもらったなかに、「京都のにも行く」と言ってた方がおられた。
「直接話が聞けることなんてめったないから」と。
 
ん、京都⁈
その時反応した。
どうせ帰省するのだ、行こうと思えば私も行ける。
問題は費用がかかることだけど…、たしかにゲイリーさんにはこの先いつ会えるかわからない。
問い合わせたら申し込みOKとのこと。
あ゛〜、またテンション上がった。体力もつかな。
 

4月20日は私のACIMとの出会い記念日

今回京都ワークショップ参加したいと思ったのにはもうひとつわけがある。
4月20日だから。
 
私は7年前の4月20日に彼の初著者『神の使者』に出会った。
7年前のGW中私は『神の使者』とその続編『不死というあなたの現実』を読み耽っていたのだ。
これを転機に人生が変わったと思っている。
4月20日は私にとってのアニバーサリーディ…。
それを思い出したのだ。
 
日々の記録ノートには、「なんとなく惹かれて手に取ったけど、この本思ったよりむずかしいなぁ」と書いている。
いやいや本書によって導かれた『奇跡講座』のほうがもっともっとむずかしい。さらにその実践たる赦しのほうが…!
けどその時はそれを知る由もない。
 
なつかしい。
時間もまた幻想というけれど、7年の時の変化を感じ振り返りたいという気持ちもある。
 
要は中締めだ、My Course in Miracleの。
先週は舞い上がりすぎてか教えを忘れ、エゴ全開だった気が…だから今回はゲイリーさん個人を偶像視することなくしみじみ話を聞きたいのだ。
 
と言いつつ 遠足気分。
300円まで?のおやつも持ったし。
 
8年目の旅に向けて。
いざ。

ACIMワーク256-今日は、神だけが私のゴールである。

2019-04-18

テンションMaxから気が抜けて

ゲイリー・レナードさんのワークショップでいつになくテンションが上がってしまった翌日はぼわーんとしてしまっていた。

元々外交的なほうじゃない上に近年こもっているから、一人で初めてのところに出かけていくこと自体ハードルが高かったようだ。 (さらに…)

ゲイリー・レナード&シンディ・レナード夫妻ワークショップ(2019年4月14日・東京)

2019-04-15

Q&Aを交えてACIMの基本概念を復習

昨日、13日、14日と2日間にわたったゲイリー・レナード&シンディ・レナード夫妻によるワークショップが終わった。

ワークショップの内容は、神からの分離は一度も起きていない(非二元性)、私たちは今も神とともにある。だからこの世に投影して見てしまっている私たちの罪悪感や恐怖のかたちを赦して真の自分へと近づくという『奇跡講座(ACIM)』の主概念が中心だった。

“問題”はやはり私たちが、この世で投影して見ているものがあまりにもリアルだし、嫌なことはふいにやってくるので、非二元性を忘れてしまいつい幻想に巻き込まれてしまうことだ。

エゴは巧妙だし心の奥の恐怖や罪悪感は深いので、ある出来事で赦したと思っても、また次の瞬間には心が乱れてしまう。

心が乱れていると私たちの正しい道への導き手である聖霊の声が聴き取りづらくなる。

こうしたゲンジツでの困難への対処は、ゲイリーさんの新著にあるとおり、

1.まず、自分のなかでネガティブなスイッチが入っているのに気づくこと。それはエゴだから、エゴと一緒に考えたり感じたりするのをやめて、それを実在させないこと。

2.そして聖霊と一緒に考えること。聖霊は私たちがそれを信じなければ、私たちに影響を与えられないと思い出させてくれる。

3.それから霊的視覚を使って、私たちをイラつかせたり傷つけたりしたように見えた相手は肉体ではなく、完全な霊であり神の子だと見ること(出来事の場合も、自分の恐怖と罪悪感の単なる投影だと認め赦すこと)。

やっぱりこのプロセスなのだ。

知ってはいても、何度も練習が必要なのだ。

ワークショップでは、無意識の罪悪感や恐怖はゲンジツ世界ではいろいろな形でに現れるから、Q&Aがおもしろく参考になった。

あ~(赦しが難しいのは)みんな同じだな、と。

外国からあたかも母国に帰国したような

実は、ゲイリーさんに会えたこと以上にインパクトが強かったのは、同じようにACIMの学んでいる方々の世界に身を置いたことだった。

それはあたかもこれまで外国にいて言葉が通じなかったのに、いきなり母国に帰ってきたかのような感覚だった。

ACIMの世界観を当然とした上で、ACIMの主要教師であるケネス・ワプニックさんの本の話になったり書籍の翻訳の解釈の話になったり。ACIMのオンラインクラスの話やアプリの話…

いつもふわふわと浮いている感じだったけど、ここには地面があると感じた。

当然ながら、ACIMを学習している人にも、若い人あり比較的高齢の方あり、男性もいれば女性もいれば、大人しい人もキャラが立つ人も。職業も悩みもさまざま。

こうしたことすべてが、すごくエキサイティングだった。

しかも私は対人恐怖気味で籠りがちなのに、、、一度にこんなたくさんの人に会って…刺激を受けまくってぐるぐる 

あ゛~もうダメ。完全にオーバーヒート…(@_@)

聖霊の導きかエゴの大狂乱か、その両方か

帰宅後は放心状態で動けず。

テンションが上がりすぎた後の揺り戻しだろう。

テンションが上がりすぎてか、2日目にはACIMの非二元性という基本概念もどこかに行っちゃってた気がする。

ゲイリーさん、シンディさん本人を崇拝するようなことは、ACIMの基本概念から外れているんと思うけど、『神の使者』の著者でACIMの先輩で実践者だから頭を垂れたいと思うのか、この世で執着したい偶像なのかわからなくなってしまった。

最後は聖霊の導きというよりエゴの大狂乱だったかもしれない。

ゲイリーさん、シンディさんとスリーショットまで撮ってもらえてHappyだ。

お二人と写真を撮るかも、ということも思い至らず、先週行った格安カット店で「3ヶ月に一回位しかカットしないから、どーんといっちゃってください」とパッツン前髪にしてしまっていたことが多少悔やまれた。

ともかく行けてよかった。

出会ってコミュニケーションしてくれた方々にも…

ありがとう。。。<(_ _*)>

と言いたい。

ゲイリー・レナード&シンディ・レナード夫妻ワークショップ(2019年4月13日・東京)

2019-04-13

ゲイリーさんのワークショップに初参加

今日『神の使者』の著者、ゲイリー・レナードさん、シンディ・レナードさんのワークショップに参加してきた。明日も参加予定。

とっても素晴らしかった。よい時間が過ごせた。行けてよかった。

私史上最高にすなおでいた気がする(しばしば私はシニカルになる)。

ワークショップの冒頭、シンディさんがアメイジング・グレイスを歌われた。

その歌声はすばらしくクリアでやさしく、私はなぜか涙がこみあげてきてしまった。1回涙が出ると止まらなくなりタオルで拭いながら聴いた。

私は幼い頃から感情を表に出すことをよしとしておらず、いつも「問題ありませんよ」と感情にフタをしていたことに気づいた。

そのフタが解けて何かこみ上げてきたのだった。

生ゲイリーさんに単純に感激

ゲイリーさんのワークショップ初参加の私にはエキサイティングでワクワクしたことが2つあった。(もちろん、ワークショップ内で語られたゲイリーさん、シンディさんのACIMについてのお話や瞑想が今回のワークショップの中核で最も素晴らしいかったのだけど、それ以外に)

1つは、ゲイリーさんに会えたこと。

『神の使者』は、ほんとうに何度も何度も読み返している本だし、私をACIMへと導いてくれた。

その著者である生ゲイリーさんに会えた!(私は、たまたま最前列のゲイリーさんの真ん前だった)という、単純で大きな喜び。

それはミーハーで、もしかしたらゲイリーさんを身体と見てしまっているのかもしれなかったが、「ああ、この目の前にいる人が『神の使者』を9年もかけて書いたのか~」としみじみ感動した。

そして、ゲイリーさん、シンディさんのACIMに対する揺るがない姿勢に感じ入った。

会場は質素でテーブルはなくゲイリーさんらも参加者も同じパイプ椅子に座って、演出らしい演出もなく穏やかにACIMや新著についての話をなさった。

場は気負わない誠実さに満ちていたが、それは訓練されたお二人の心があってこそ作り上げられた雰囲気だと感じた。すごくなく、する。それがすごいと思った。

ACIMの学習者とACIMあるあるで盛り上がる

もう1つはACIMの学習者の方々とお話できたこと。

少し早目の時間に着いたら、ロビーに4,5人の方が待っておられた。一人で待っておられた男性に声をかけたら、静岡からお見えでゲイリーさんのワークショップは今回で3回目だとか。

「自学自習の書っていうのがすばらしいですね」とその方。

「そうですよね」と私。

お昼には、たまたま2人で入った中華屋さんにすでに10名の方がおられ参加者12名で大きなテーブルを囲んだ。

そこで赦しの実践がいかに難しいかとか、いったん赦したと思っても数分後には怒りが戻っていたとか、

ワークブックが厳しくてちゃんとやろうとするとなかなか前に進めなかったとか、あるいは最初からやりたくなるとか、etc「ACIMあるある」で盛り上がった。

私はいつもACIMの教えは、非・常識だと思って世の中に対してビクビクしていたことに気づいた。

今日のワークショップ会場では、神との分離は一度も起こっていない、この世はリアルではなく私たちはこれを赦して真実を見る、ということが、常識となっていた。

そのことが日頃無意識に身に着けていた私の防衛を解き、とても楽ちんにしたのだった。

ワークショップの中身から学んだことについては、これからゆっくり反芻しようと思う。

行けてよかった。感謝。

そうそう、昨日作ったメッセージも伝えられた。

伝わったかはわからないけど、とりあえずメモを見せながら英文を読み上げた。ゲイリーさんは私の手を取り握手してくださった。それもうれしかった。

ACIMワーク255-私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

2019-04-12

ACIMワーク255-私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

私は、今日、自分が平安だけを選択できるとは思えない。それでも、わが神は私に、神の子は神ご自身と同じだと保証している。

今日は、私が神の子であると語る聖霊を信じよう。」(L255-1-1,2,3)

私は神の名にかけて、父が私のために意志するものを見出すことに、一日を捧げる。」(L255-1-6)

この「4.罪とは何か」の節では、繰り返し真実を思い出させ選択するよう促す主題概念が並んでいる。

まるで「正気にかえれ、思い出せ」と肩を揺さぶられているようだ。

明日ゲイリー・レナードさんのワークショップ

ゲイリー・レナードさん&シンディ・レナードさんご夫妻のワークショップが明日に迫った。

なんかまだキツネにつままれているようなぼわんとした気分で、心の準備がおっつかない。明日ちゃんと会場に行けるだろうか。

参加するまでにゲイリー・レナードさんの新書『イエスとブッダが共に生きた生涯』を読み終えたいと思っていたけれど、それもまだ途中。

この新しい本では、

奇跡講座(ACIM)を机上で学んだだけではACIMを理解したとは言えない、

赦しを実践してこそエゴを解体できる、

それこそが神と私たちを隔てているものを取り除く、

ことが強調されている。

私はACIMを学んでいるつもりで、実は赦しの機会から逃げていた。

『イエスとブッダが共に生きた生涯』を読んで、それではせっかくACIMに出会ったのに遠回りをしていると感じた。

またACIMの核となる純粋な非二元性が、眼前の人の存在を否定するような気がして、周りの人にACIMについて話すこともできなかった。

けれど、それではACIMを生きていることにはならない、堂々と非二元性を話せるようになろうとも感じた。

生身のACIM学習者に会うの初めてだ

私は2013年からACIMのワークブックをやっていて、大畑学さんのACIM解説本を読んだり、このブログにコメントをいただいたりしてACIMを学習されている方々の存在に触れることができた。

だけど直接ACIMに関心を持っていたり学習されている方を見る(へんな言い方だけど)のは、明日が初めてだ(あ゛~、私は同胞を肉体として見ている)。

おととい着た開講前のご案内メールには、

「当日の受付は混雑が予想されます。
 時間に余裕を持ってご来場ください。」とある。

『神の使者』を読みACIMに関心を持っている方がそんなに大勢いるのか!

その方々に会える。

それにもドキドキする。

きのうのワンコインイングリッシュ講座終了後、先生にゲイリーさんへ向けて作った短いメッセージを添削してもらった。これを伝える機会があるかわからないけれど…

「For me, your book "D.U" is the most important book I've ever read.

If I can take one thing with me to a deserted island,I would bring your book!

Thank you for writing it.」

(あなたの著書『神の使者』は私がこれまで読んだ最も大事な本です。もし無人島に何か一つだけ持っていくとしたら、この本を持っていきます。『神の使者』を書いてくださってありがとう。)

えっ、1冊持ってくなら、『奇跡講座』じゃないの!?

というツッコミがあるかもしれないけど。

私は自分にとってわかりやすい『神の使者』のほうかな~

今晩の思いーここまで導いてくれた聖霊さんにもっと素直になろう。

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