ACIMとゲンジツの狭間…ゲンジツでどう適用すべきか

2018-07-25

久しぶりにワーク…ワークブックが難しくなってた

一ヶ月と一週間ぶりでACIMワークを再開したら、ワークブックの内容が難しく感じられた。

自分なりのワークの進め方があったことを思い出し、だけどそのやり方を忘れてしまっていることにも、気づいた。

これまで、この宇宙はリアルではない、私たちの知覚が感じさせているものだと学んできた。それを認めて、神だけが現実であると実感できることが、学習の目標だった。

けれど、マンションを売ること、新しい住まいを探すこと、契約を進めること、リフォーム、引っ越し、それに伴う諸々の手続き、新居を落ち着かせること…、渦中にいる時はそれらすべてが逐一リアルで、ゲンジツゲームの主人公に成りきって登場キャラに助けてもらったり格闘?しながら前進してきた。

とくに自分でも意外だったのは、引っ越ししてから、レイアウトやコーディネート、DIY等、自分なりの“心地よい空間づくり”に夢中になっていたこと。とても、幻のようなものだから頓着する必要はないなどとは思えなかった。

今はそれも一服して、定位置が決まった机でACIMワークブックを前にして、自分がACIMとゲンジツの狭間にいてどっちつかずの状態だと気づく。

いつもどっちつかずだったけど、しばらくゲンジツだけの世界にいたから、そっちに同調しちゃっていたのかな。

教えを踏まえて、どう生きていったらよいかがわからない

『奇跡講座』(ACIM)は、素晴らしい。最高の智恵だと思う。しかも絵空事ではなく、この世に適用することによって、この世での人生もよくなっていく。

そう思っている。

その一方で、この世でワークブックの教えを踏まえて、どう生きていったらよいか戸惑う部分も多い。

適用の仕方がよくわかっていないんだ、私。

たとえば、家族や友だちとのやりとりでも、ACIMの価値観をベースに応えてしまうと、ちぐはぐしてしまう。冷たい人、ドライな人だと思われかねない。

逆に、少々大げさでも「そうだよね~」「それは大変だったね~」と“常識的に”共感すると、受けがいい。

心はACIMを信じながらも、この世では臨機応変ということだろうか。

ACIM原理主義者では無一文になってしまう!?

また、私はこの3年くらい、徐々に経済活動や働くことからも退いてしまい(自然と受注が減った)、預金を崩しながら生活している。

今は他に学びたいこともあるし、それはそれでよしとしてきたけれど、さすがにずっとこのままというわけにはいかない。

私が尊敬するACIMの先輩学習者で、Kindle版でACIM和訳&解説書『A Course in Miracles Workbook精読』を出版なさっている大畑学さんは、レッスン105の解説の中で、

「誤解のないように言っておきたいのだが、ACIMは、たとえばお金のやり取りや経済活動を否定して、それを止めよ、と言っているのではない。それが幻想社会における歪んだやり取りだと認識せよ、と言っているのだ。

もしもACIM原理主義者に陥ってしまったら、無一文になって道ばたの草を食って生きるしかないではないか。それもまた、歪んだ認識なのだ。」

と書いておられる。

経済活動を否定しているわけではまったくないけれど、お金を得るには労働や時間を提供してだれかのニーズを満たすことが必要で、この世を幻想としつつ、どうやってそのゲンジツと絡んでよいか、よくわからないのだ。

今のところ、「道ばたの草を食って生きる道」まっしぐら(*˃ᆺ˂) って感じだ。

今後のお題はACIMをベースに周りと関わること?

対象をリアルにしないで、どう絡めばよいのか。

それがわからない。

0か100に偏りすぎているのかな?

「ACIM原理主義者」と「真っ当なACIM学習者」の違いも不明。

そもそも原理主義者じゃまずいのかな?という気持ちもある。

やはり、自分の中に2つの視点をもつことが大事なんだろう。

私が少しはACIMを学べたかのように感じていたのは、ただ内向きで心の内で学習してきたからなのだ。

ACIMの価値観とゲンジツ社会との折り合いをつけながら、前よりも外向きになって社会や周囲と関わること、が次のお題かな?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る