読んだ本

「自我を導き手として自我にとっては異邦の旅に出かけた」-その橋の途中で

2019-11-20

イエスからヘレンへのメッセージが心のツボに

晩秋。

朝の空には小さな半月。都内にも落ち葉が目立ってきた。 (さらに…)

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』④ーあたらしい生き方

2019-10-17

『脱・マネーゲーム』の世界観

おとといの『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』③の続きで、私がこの本を“ACIMの副読本”にしている理由④「新しい世界観を学んだあとの生き方についての示唆がある」について、感じたところを書いてみたい。 (さらに…)

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』③ー「赦し」の具体的なプロセス案として

2019-10-15

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』を、なぜ「ACIM副読本」に位置づけているのか

数ヶ月前に2回、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』という本について書いていた。 (さらに…)

『奇跡講座入門』のQ&Aから

2019-05-22

「考え方をただ聞いているときは素晴らしいと思うのですが…」

『奇跡講座入門』は、A Course in Miracle(ACIM)のエッセンスを短く平易な文章で説明しているところに意義があると思った。それに加えQ&Aがありがたかった。

とくにp145 (さらに…)

『奇跡講座入門』

2019-05-21

『奇跡講座入門』を読む

遅ればせながら、奇跡講座(ACIM)の重要な入門書ケネス・ワプニック著『奇跡講座入門』を読んだ。

ゲイリー・レナードさんのワークショップで、同じ参加者の方々からワプニックさんの名を何度も聞いて、そういえば…、と思いだして本棚を探した。 (さらに…)

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』②

2019-05-13

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』で示される4つの方法

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』では、私たちがこの世でやっているのは「制限された自分」の信念を投影している「人間ゲーム」だという。「制限された自分」の信念が、宇宙や私たちが「自分の人生」だと思っている幻像を見せている。 (さらに…)

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』①

2019-05-12

そういえば参考にしている本があった

この本を数年前からACIMの参考本のようにしている。(重要なACIM関連本も見ることができていなかったのに、関係のないこの本を) (さらに…)

『サラバ!』ー感動はしなかったけれど、問いかけてくる

2018-05-07

GW中『サラバ!』を読んだ

GWは美術館に行ったり、Webサイトデザインの講習を受けたり、マンション成約のおかげで緊張感が解け、気力、体力を回復することができた。

3年前の「アメトーーク」の「読書芸人」の回で、オードリー若林が絶賛していた西加奈子著『サラバ!』が読んでみたくなった。図書館に文庫化された本を予約していたら、何ヶ月か待ってGW直前に順番が来た。

上・中・下の3冊(単行本では上下2冊)に分かれた長編小説だ。描写が細かくて物語に入り込みやすく、上・中・下と一気に読んだ(中までは予約してあったけど、下は単行本の方で読んだ)。

主人公の歩(あゆむ)が生まれてから37歳になるまでを描く。過剰な自己承認欲求を持って常にトラブルを起こす姉と、母であることより女としての幸せを優先する母、静かに家族に尽くす父との4人家族を中心に話が進む。

上巻では、イラン、関西、エジプトと父親の赴任先が変わるが、子どもの目を通してみた世界がおもしろく、話に大きな展開がなくとも十分楽しめた。

うまく世渡りしてきた主人公の転落と再生

話が一気に転換するのは、下巻だ。これまで、イケメンで器用で何でもそこそここなし、学校でも常に「人気者の友人」というポジションを得て、「うまく」世間を渡っていた歩だが、頭髪が薄くなり出してから旗色が変わってきた。

強烈に主張しすぎる姉が世間で失敗ばかりしているのを反面教師として、自分は合格レベルをクリアしながらやってきたはずだった。それなのに「剥げ」という「マイナス点」を得てから、一気に自信を失い、フリーランスのライター業にも行き詰ってしまう。

一方で、歩から見てダメだったはずの、姉や母はもがきながらも自分なりの幸せを築いていく。

両親が離婚し家族がバラバラになった背景には、父が過去から引きずっていた罪悪感があった。父は償いとして出家した。

歩は、姉のアドバイスで、出家した父に会って過去の話を聞く。そして、幼少期を過ごしたエジプトに行き、そこで「サラバ!」を合言葉にしていた真の友ヤコブと再開し、小説を書くという自分の使命を見つけて再生していくーという話(自分なりの解釈)。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」

歩が再生するきっかけとなったのは、ずっと馬鹿にしていたはずの姉の「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」というアドバイスだ。これが、このお話のキーフレーズなのだと思う。

この本が気になっていたのは、どちらかと言えばクールに見えた若林さんが、「10代のクズを救う小説はよくあるけど、30代のクズを救えるのもう西さんだけですよ、日本で」「(30代のクズが)ボロボロ泣くんじゃないですかね」「私、泣きましたから」と言っていたからだ。

最後にどんな感動が待っているんだ、どこからか、どこだ、どこだ、と思っているうち、終わってしまった…

あれ、感動ポイントって、どこだったんだろう?

すごくおもしろかったし、こんな長いストーリーを組み立てて臨場感あふれる描写で書くなんて、すごい!

歩が自分の心に従って再び歩み出す姿に、よかったと思った。でも、感動したり、泣く、というのはなかった。

私が感動しなかった理由は?

私が感動しなかったのは、なんでかな?と考えた。

それは、今の私が主人公の歩より社会的に「クズ」だからだと思う。

その上、それに対して歩ほどの焦燥感や後ろめたさは持っていないから。

30歳代半ばの男、無職。性格もいいとは言えなそうだけど、まぁ、いいじゃん。

人のことを言えた立場じゃないのだ、私。

私にも、もちろん、後ろめたさや情けなさはある。世間の常識も知ってはいるつもり。

だけど、それでも、まあ、いいじゃない、と。

歩の奈落の底から再生までの気持ちに共鳴はできなかった。

この、まあ、いいじゃない、は、ACIMワークのおかげで私の内なる罪悪感が前より軽くなっているからなのかな?(社会的にはどんどんダメになっていて、それに対する葛藤もあるにはあるけど)

そして、歩には信じるものがなくそれを求めてエジプトに発ったけど、私にはACIMという信じるものがある、というのが、「ちがい」なのだろうか?

ACIMが信じるものだとしても、その姿勢ってゆるいよなぁ

それにしても、私のACIMへの姿勢はゆるい。歩の父親が出家して業に励むような熱はない。あるいは、歩の姉が毎日ヨガに励むような習慣化もない。

ACIMは私にとって趣味のひとつなのか。ふぁ…。

「僕の神様は、サラバだ。

これ以上ふさわしい言葉が、あるだろうか。

僕は生きている。僕は信じている。

僕は神様に出会い、出会った瞬間、別れを告げることが出来るのだ。

…(中略)…

『サラバ!』

僕たちは、「サラバ!」と共に、生きてゆく。」(『サラバ!』下巻62より)

「サラバ!」って何かな?

どういう意味があるのかな?

サラバ!-で、どうなんだ?

「さらば」は順接の仮定表現だ。「そうならば?」と問いかけてくる。

では、

私の「サラバ!」って―??

 

信じるものがあるなら、旗を揚げねば…ってことかな?

もっと思うところを表現するってこと?

「God is(神あり)」を私はどれくらい大切にできるかな?

それならば?

それならば?

それならば!?

なんなんだ?

『大家さんと僕』

2018-03-21

ひとつ前の日記で「暖かさが安定してきた」と書いたのは、まちがいだった。寒いよ~。

河口湖では昨晩から雪らしく3㎝くらい積もっているとか。

寒い日の定番だった生姜入り甘酒を久しぶりに飲んだ。おいしい、温まる。

『大家さんと僕』

『大家さんと僕』は、前に友だちが「おもしろかった、貸してあげよっか」と勧めてくれていたのを、図書館で予約していたもの。予約者がいっぱいで、忘れていた頃に番が来た。

お笑いコンビ、カラテカの矢部太郎さんが、今住んでいる部屋の大家さんと自身のエピソードを描いた初マンガ。

矢部さんて、ガリガリでおどおどしている印象しかなかったけど、マンガ上手なんだな~とまずびっくり。絵もかわいいけど、ストーリーの持っていき方が絶妙。すごくヒットもしているらしい。

1階に住む87歳のおばあちゃん大家さんの感覚に戸惑いながら徐々に距離を縮め、お茶してランチして、一緒に旅行にまで行く仲に。

「矢部さん、ほんといい人だなぁ」という著者の人柄と、お歳ながら自分の世界観を持ち力むのではなく自然体でしゃんと生きる大家さんが魅力的だった。

矢部さんが大家さんにお歳を聴いた際には「終戦の時17だったから…」と。大家さんは終戦が基準だ。理想のタイプを聴いた時は「マッカーサー元帥なんか素敵だったわ」「哀愁があって どこか遠くへ 連れてってくれそうで」

その時代と今とのちがいを教訓的ではなく改めて感じさせてくれて、それが新たな気づきももたらしてくれた。

そして、歳を重ねることの豊かさと哀しさ、も感じてしまった。

「87歳の夏は今しかない」

友だちは大家さんのセリフ「矢部さんを見ていると なんで日本が 戦争に負けたか わかる気がするわ」「なんてね」ってところを例に出して、おもしろいと言っていた。

私がいちばん印象に残ったのは、大家さんが初恋の人と70年近く経って再開して、昔の恋心を打ち明けたらお相手の方も大家さんに当時思いがあったらしく、それを大家さんが残念に思い「今と違って 女性からなんて そんな時代じゃなかったから」「もっとスレたかったわ…」と言うところ。

矢部さんが「今からスレても いいんじゃないですか」と言い、

大家さんが「そうね。87歳の夏は今しかないのですものね。」と言う。

この「87歳の夏は今しかないのですものね」が最高に好き。

だれにとっても、目の前の「今しかない」ってかんじを思い出させてくれるところが。

そして、この「恋」のいく先にもまた人生を感じた。

このおばあちゃまは「おカネに困っていない」というところが、お人柄や生活に表れていてそこがひとつの特徴にもなっているけど、おカネの有無にかかわらず、「自分なりにいまを生きる」っていうお手本を見せてもらった、と思った。

そして、出会い、っていうのはあるんだな。いろんなかたちで。それを育てられるかどうかも、自分次第…ってことも、大家さんと矢部さんから学んだ。

『マチネの終わりに』

2017-06-30

運命にふりまわされる大人の恋愛

去年11月「アメトーーク」の読書芸人の回で、オードリーの若林さんと、芥川賞作家の又吉さんが「2016年のおすすめ本」として挙げていて興味が湧いた。

38歳のクラシックギタリストと2つ年上のジャーナリストの女性の恋愛のものがたり。

図書館で予約したが、すでに予約がいっぱいでようやく半年後6月に私の番が来た。帰省のお伴に持っていき新幹線の中で読んだ。

2006年の出会いから2012年までお話しで、ノンフィクションではないものの主人公にはモデルがあるのだという。イラクの治安や東日本大震災などバックボーンがしっかり描かれているから、甘い恋愛の話というより現実感がある。

ひとことでいうと、おもしろかった。ふだん恋愛小説というジャンルを読むことがないから比較はできないけど、旅と相まって非日常に入り込めた。

構成がしっかりしていて展開もおもしろく、文章表現も格調高くて、これを書いた作家(平野啓一郎さん)さんはすごい頭がいい方なんだろうな、と思った。

一方で、ひとつの恋愛としてみたら、どこかしら観念的で女というものがいくぶん美化されているように感じた。

ちょっとしたすれ違いと第三者の嫉妬から、恋する二人が真相を確かめることなく誤解が誤解を生み運命に翻弄されていく様子はさながらかつてのメロドラマみたいでもどかしく、はらはらした。とっても大事なことを会って確かめることなく諦めることなんて、実際ににあるもんかな、と不思議に感じた。

たぶん、あるんだろうし、だから美しくお話にもなるのかもしれないけど、、。

自分の嘘から「ライバル」を陥れ主人公と結婚した「妻」が良心の呵責から嘘を主人公に吐露する場面があるけど、実感から言うと、女ってもっと生々しいもので「秘密は墓場まで持っていく」ことができるふてぶてしさもあるように思う。それは善悪というモノサシではなくて、自己の存在を賭けて生きているようなところがあるから。

未来は常に過去を変えている

この話には、「人が変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えている。」という考え方が流れている。

未来のできごとによって過去の意味づけというものは変わる。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細なものなのだという。

そう、過去のできごとは変わらなくてもその意味づけや上塗りされるイメージによって変化する。

過去も未来もほんとうはない、というACIMとは別次元の話だけど。

ヒロインの女性はクロアチア人の映画監督と日本人の母を持つハーフで、シングルマザーに育てられ「父から捨てられその存在を経歴から葬られた」と思って育ったが、文中でそれは誤解だったとわかったところがあった。それによって、彼女の未来も変わった。

それがよかった… 沁みた。

主人公がギタリストだから、作中にはいろんな曲も登場する。そうした曲を集めたタイアップCDが発売されているそうだ。

それも聴いてみたい。

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