『奇跡講座入門』

2019-05-21

『奇跡講座入門』を読む

遅ればせながら、奇跡講座(ACIM)の重要な入門書ケネス・ワプニック著『奇跡講座入門』を読んだ。

ゲイリー・レナードさんのワークショップで、同じ参加者の方々からワプニックさんの名を何度も聞いて、そういえば…、と思いだして本棚を探した。

買って一度は読んだ形跡があるものの、意図的にか、はたまた無意識でか本棚の奥に押しやっていたのだ。

平易な文章でACIMのエッセンスを説明

ACIMが誕生した背景とそのプロセスから始まり、ACIMにおける2つのレベル、自我の思考体系、聖霊の思考体系、イエスの生涯の目的という章立てで、ACIMのエッセンスが平易な文章で丁寧に書かれており、とてもわかりやすかった。

『奇跡講座入門』

私はくりかえし読むべき本にインデックスを付けたくなるという習性があるが、今回この本にもインデックスを付けた。ハードカバーの薄い本だし一生繰り返し読むのに最適だ。

おそらく学習者の学習の深度によって、感じ方や気になるポイントが変わってくるのだろう。読み返すたびに新たな気づきもありそうだ。

神についての記述やイエスについての記述には、少し違和感があった。それは私のこれまでのACIM情報がワークブック、テキストを除いては主にゲイリーさんの著書に限られていたため、ゲイリーさんの本で触れられていなかったところについては、私が独自の解釈をしていて、それとの違いが生じているのだと思う。

ACIMテキスト、ワークブック、マニュアルが「事実」だとすれば、それ以外のACIM参考本、関連本はすべて「意見」と言えるのではないか。

そこには個人の背景や考えも反映されるから「意見」に相違があるのはあたりまえだ。

常に戻るべき原点は、テキスト、ワークブック(そして私をACIMに導いてくれたゲイリーさん本)。解釈がいろいろあるからといって、道に迷うことがないようにしたいと思った。

自我の思考体系と特別な関係

各章の中では第章の自我(エゴ)の思考体系のこの世を動かしている真の動機とそのからくりが、わかりやすく説明され復習になった。

そもそもの始まりは、「私たちが神から分離した」と誤って信じていること。それにまつわる深刻な罪悪感と神に対する恐れ、それが余りにもすさまじいため否認して外に投影するしかないこと、そのため常に「罪」をなすりつけるスケープゴートを求めていること、それが二次的な攻撃と防衛というサイクルを生み出しスパイラル化することでさらに罪悪感が強化されること…。

また、とくに「特別な関係」についての説明にページが割かれており難しい概念が丁寧に説明されていた。

「特別な関係」には、「特別な憎悪の関係」と「特別な愛の関係」がある。どちらも自我の思考形態で攻撃のかたちだが「特別な憎悪の関係」は、憎しみを感じているのだから自我のものだと理解しやすい。

「特別な愛の関係」のほうは、この世で一般的に言われている愛情関係のほとんどがこれに入ってしまうのでは?と思われるし、「愛」と付いているからややこしい。

私たちは神から離れたと思いその欠落感を神ではなく、「特別な誰かの特別な資質」に満たしてもらおうとする。

「したがって、この世が愛と呼ぶものは、実際には特別性であり、真の愛が甚だしく歪曲されたものです。」(p103)とあり「依存」ともいうとある。

そして私たちの心を罪悪感が詰まったガラス瓶とたとえ、「私たちが何より求めているのは、罪悪感を安全に瓶の中に閉じ込めておくこと」で、「特別なパートナーを探すとき、その瓶のフタとなるだれかを探しているのです。」(p106)とあったのがイメージしやすかった。

「特別な愛の関係」は罪悪感から一時的に私たちを守るように見えるが、その実罪悪感を強化する。

親密な関係でも私たちは「特別な関係」ではなく聖霊に導かれた「神聖な関係」をめざすべきだ。

<神聖な関係>というのは、一人の人を愛するにあたって、あなたは他の誰をもそこから除外していないという意味です。」(p108)

聖霊の思考体系と赦し

4章は聖霊の思考体系と赦しについて。赦しは、ACIMが自我の投影を逆手にとって他者のなかに見た罪悪感を手放し誤りを取り消すしくみだ。

赦しの3ステップとして、

①問題は自分の外にあるのではなく、自分の中にあると認め、投影されている怒りを取り消す、②自分の中にある問題とは自分でつくり出したものであり、もはや自分では望まなくなっているものであると認める、③その問題を聖霊に預ける、とまとめられている。

そのうえで、「これらのステップは非常にシンプルなもののように聞こえますが、一生かけて成し遂げられれば運が良いほうだ、と言えるくらいむずかしいことです。」とある。

あ゛~、やはりむずかしいことなんだ…とひどく納得。

赦しの実践なくしてACIMならず

『奇跡講座入門』はACIMの赦しをたんに観念的なとしてではなく、実行すべきこの世の具体的な行動に下ろしてくれている。

そこが素晴らしい。が、自我サイドから見ると恐ろしい。

私はACIMをこの世を赦すためではなく、この世からの逃避のための口実に使っていた(いる)のかな、とも思う。

この先ACIMを学ぶ以上、赦しの実践を先延ばしにはできない。

それを痛感させられた。

気づかないうちにまた本棚の奥にしまってしまうことがありませんように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る