『聖霊のレッスン』を読む

2020-10-21

ようやく…『聖霊のレッスン』読んだ

加藤三代子先生著『聖霊のレッスン』を読んだ。

本書の発刊は昨年5月発刊。ちょうどゲイリー・レナードさんの来日ワークショップで出会った仲間でワプニック先生のテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle』を一緒に読んでいこう、となってた頃で、話題にあがっていた。

しかし、それまで一人ワークブックをやっているだけで満足していた私は、仲間からもたらされる情報が多すぎて、また「え゛こんな分厚い英語の本、読んでいくの!?」とそのことで頭がいっぱいで、意識が向けられなかった。

今回『Journey…』のほうで6章6節「聖霊のレッスン」までたどり着いて、ようやく意識が向いた。ちなみにJACIM Bookサイト経由で本を買うのも初めてだった。

電車で読もうかと雨の日に持って出て濡らしてしまい、読む前から表紙をベコベコにしてしまった。残念。

本当は並行して読みたかったが、ブログに「聖霊のレッスン」まとめをした後ようやく落ち着いて読むことができた。

聖霊のレッスン

わかりやすい!理解できる!

「はじめに」のP13「実相世界」と「実相」に絡めて、「特にワークブックでは『神』と表現されているものが、機能的に考えれば明らかに『聖霊』のことを言っていることが明白である例がたくさんあります。」というところまで読んで、「なんてわかりやすいんだろう!」と感動した。これまで何となくぼんやりそうなのかな?と思っていたことが丁寧に説明されていた。

また、テキストの段落に沿って詳細な解説があり、へ~、この一文にそんな深い意味が…と、目からうろこを何枚も落としながら読んだ。

焦点が合うメガネをかけたら世界がくっきりした…かのような気持ちになった。

ワプニック先生もおっしゃっていた「聖霊のレッスンは長期的なプロセス」との言及が本書にもあった。そして、ACIMは理論重視になりがちだけどこの部分は実践面に焦点を合わせたセクションだとの指摘もあった。

だからこそ何度も読むべき本だと思った。

『聖霊のレッスン』メモ

3つのステップ

 レッスンA「所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい。」(T-6.V.A)

 レッスンB「平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい。」(T-6.V.B)

 レッスンC「神と神の国を守るためだけに、警戒していなさい。」(T-6.V.C)

■レッスンA「所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい。」

思考の逆転の第一歩。与えるものは赦し。「すべての人を例外なく赦す」

この世の価値観から照らせば、これはまったくナンセンス…。そう思った時、自分が自我バージョンの価値観を当たり前としていることに気づく。

そこから思考体系の方向を100%逆の方向に向けさせる。

「与えることと受け取ることは同じ」が土台となる価値観。

■レッスンB「平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい。」

望むものの肯定的宣言。

レッスンAの動機づけとなる「平安」。その平安の習慣化を目的とする。

私たちはすでに別の自我の動機を持っている。自我の動機…「神からの分離」を前提とした罪悪感、恐れ⇒逃げ場としてのこの世、肉体⇒プロセスの忘却のための、解離・投影システム

自我の動機を取り消し、聖霊の動機へ。レッスンAで変えた方向が元に戻ってしまわないようにする。しかし、両思考システムのいいとこ取りしたいという本音⇒葛藤

一方は真理で、一方は幻想。真理は真理で、私たちの意志で変わるものではない。

■レッスンC「神と神の国を守るためだけに、警戒していなさい。」

軸足は聖霊の見方になっている。正しい心の状態であり続けるため、自我に対して警戒する。

日々の生活を聖霊の基準で判断する。この世の人や状況に左右されない内なる平安。

赦しに例外を設けない。すべての人が包含されている状態が平安。

自分の考えを吟味して、気づく。無意識の意識化が要。実相世界への根本的変化をめざす。

 

これら3つのステップは行きつ戻りつしながら進む。

心と頭…心からの変化がもたらされているか

本筋のところではないけれど、引っかかったのは、心での理解と頭での理解について。

p91「私たちは『心』と『頭脳』を混同しがちです。というよりも、初めてテキストを読んでいると言う人々にとっては、ほとんど確実に『心』という言葉は、『頭脳』という意味に理解されます。なぜなら、人々は普通、肉体の視点から文章を読み、頭脳レベルの思考をしているからです」

p92「けれども、このコースのいう『心』というのは、頭脳の外、時間と空間の世界の外側にあるものであり、さらに、(4:4)の「思考する者」というのは、頭脳で考えている一人の人間のことではなく、心の中の二つの思考体系のどちからを選ぶ力をもつ心(決断の主体)のことです。」

…というところ。

私も頭だけの(それも漠然とした)理解で、心からの変化についてはよくわからない。もしかしたら、まったく手つかずなのかもしれない。

そして、私は心からの変化をどれくらい本気で望む覚悟があるのかという自問。

『聖霊のレッスン』は、一度読んだだけでアンダーラインだらけになった。表現はわかりやすいもののやはり内容は難しく、とくに後半になるにつれ難しかった。これは私が自我の見方を持ちながら頭だけで理解しようとしているからだろう。何度も繰り返し読みたいと思う。

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