『相沢忠洋』

2021-03-15

遅ればせながら歴史に興味

愛読書『神の使者』には、主人公のゲイリーさんが「この世界とこの世界のやり方を放棄しなさい。あなたにとって無意味なものにしなさい。」という「声」を聞くくだりがあって、私も「この世のやり方を自分にとって無意味なものにしよう」と思っていたが、最近は逆に仮初の世であってもいろいろ興味を持ってそれを楽しみたいと思っている。

その一つとして日本の歴史を知りたくなった。

今は便利な時代だ。Amazonで「YouTubeで授業を受ける 書き込み式 日本史ストーリーノート」というノートを見つけた。1回30分前後のYouTube解説を見ながらノートを埋めていくのだ。全部で200回の動画授業がある。

日本史はこれまで「主に男子が権力争いをしている」くらいの認識で「つまらない」と思い勉強もしあなかった(高校では世界史を取ったけどこれもわからない)。が、50歳をすぎたあたりから教養として大まかな流れくらいは知りたいと思い始めた。歴史好きな母の話も理解したいし。

主に関心があったのはペリー来航あたりからだけど、どうせならと最初からやることにした。

でゆるゆると1動画ずつ。今はまだ「飛鳥時代」をやっている。

別に受験をするわけではないから暗記はしなくていい。気になるところで脱線してもいいし…と思っていたが、初回から早くも脇道にそれた。

「日本には旧石器時代がないと思われていましたが、相沢忠洋という納豆などの行商をやっていた人が関東ローム層の中から黒曜石で作られた打製石器を発見、それまで否定されてきた日本の旧石器時代の存在が証明されました」とYouTubeで先生が説明なさったあたりで、私はその「相沢忠洋」なる人物が気になった。

で、調べて見たらご自身が書かれた自伝があったので図書館で借りて読んでみた。

これが思いのほか面白かった。

『相沢忠洋』

相沢さんは1926年生まれ。私の亡父より5歳年上。

行商の途中の群馬県岩宿というところで旧石器時代の石器を発見した、ということだったので、偶然見つけたのかなくらいの認識だったが、子どもの頃からずっと土器や石器について独学、発掘経験を重ねての大発見だった。

そもそもは家の裏で土器片を見つけたのが古代への関心を持つきっかけだったという。その土器片は古代に生きていた人々がいろりを囲んで一家団らんをしていた時のものだという説明を聞いて、その頃すでに自分が失っていた「一家団らん」への思慕が古代の土器や石器への思いへとつながっていった。

妹の死、両親の離婚、兄弟もばらばらになって一家離散。その後お寺に預けられたり12歳からは浅草の履物屋に小僧として住み込みで働いたり…日本が戦争に突入してからは海軍へ。呉市の戦艦上での原爆のきのこ雲も目撃している。大学で考古学を学ぶことなど、夢のまた夢の人生だった。それでも「一家団らん」への想いに動かされ行商の傍ら独学で研究を続け…仮説を検証を繰り返し世紀の大発見へ。

すごいな~!と相沢さんのこつこつ努力を重ねるお人柄と波乱の中で心に突き動かされるまま何かへと向かっていく人生に心動かされた。

しかし、父とほぼ同年代の相沢さんの話から、小僧、海軍、きのこ雲、納豆の行商…と伺って、はるか昔のように感じていたことが、急に生々しく感じられた。まさに歴史を感じた(あえてACIM的に見れば、失った家族団らんに象徴される一体性への飽くなき希求の物語といえるだろうか)。

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