「しごと」と「仕事」

2016-05-25

私の中には、「仕事」と「しごと」という2つの概念?がある。

「仕事」は文字通り、通常の意味での、大人になって社会で働いておカネをいただく仕事。

もう一つの「しごと」はおカネをいただくかどうかにかかわらず、自分が人生の中で為したいと思うしごと。

この二つは、できれば重なり部分があって、さらにそれが大きければ、素晴らしいと思う。

私は後者のひらがなの「しごと」に対する欲求というか、渇望のようなものがあって、でもそれが何か、よくわからなかった。でも漠然とこころのどこかで探し求めていたようなところがある。夢というのとも少しちがう。しごとは、ある種の使命のような感覚なのかもしれない。もちろん、自分の中だけのことなんだけど。

もしかしたら、そういうことを考え求める人は、少数派なのかな?いい歳をしてそんなこと言っていると、現実社会ではうまく生きていけそうにない(現にうまく生きてない)。

ただ、私も生活しなけばならないから、「仕事」はしてきたし、「仕事」をしながら、「しごと」を探していたような気がする。産業カウンセラーの資格を取ってみたり、カラーセラピーの勉強をしてみたり、手相占いの学校に行ったり…。いつもずっと生涯しごととして続けられるもの、自分が「これだ」と思えるものを手探りで求めてきたけど、しばらく経つと「やっぱりちがうかな」と思い止めてしまってた。

2012年に『神の使者』に出会い、『奇跡講座』に出会ってからは、これが私のしごとなのではないかと思っている。まずは、ワークを「しごと」としてやった。これをやり始めてから自然のなりゆきで「仕事」のほうは減った。時間とエネルギーが『奇跡講座』のほうに向いていたから、それはそれでよし、とした。

その代わり、気づけば 生活が成り立たなくなってきた。

この「問題」をどうするかな?

いずれ、「しごと」と「仕事」は重なりができるかな?

不安はある。本音をいえば、不安というより恐怖だ。

この先、どうやって生きていこう!?

だけど、それは私のこころの幻だとも思っている。

今日は、レッスン3をやった。

とりあえず、進んでいる。よかった。

今日は涼しかった。晩に窓から入る微風もひんやり心地よい。

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