気づけば初夏の気配

2016-05-21

■久しぶり…

前回のログインから、はや3ヶ月。季節は5月。暑くも寒くもなく、一年でももっとも過ごしやすい季節だ。風にはかすかに夏の気配を感じる。

奇跡講座ダイアリー…完全に放置してしまってた。

『奇跡講座』を自分の根幹として学んでいこう、ブログをその隔週日誌みたくしこう、と思って1月にスタートしたものの、この有り様だ(なさけない)。

朝の瞑想だけはかろうじて続けているけど、『奇跡講座』の本には触れてもいない。

奇跡講座のワークや勉強を中断してしまった時、私はいつも『神の使者』の再読からスタートする。今回も何度目かの再読を、先週から始めている。私の『神の使者』はマーカーだらけだ。

ブログをずっと続けている人って、えらいな~

私は続けることも苦手だし、こと『奇跡講座』に関しては、なぜかキンチョーしてしまって、学びたい、自己表現したいと思うのに固まってしまっている自分がいる。

これもエゴの仕業なのだろうか。

これは、私にとって大事なこと、ちゃんとしたい、と思うと、逆にどうしていいかわからなくなる。バカみたいだ。

「ちゃんとする」がどういう状態かもわからないけど、この1年、ともかく(放置してしまわず)「ログインすること」「一行でも何か書くこと」を目標をしてみようか。

だれも見ていないだろうブログに対して、キンチョーしている私は、何に対してキンチョーしているんだろうか。

これもまた「赦し」の対象なのか。

■『奇跡講座』ワーク2回目をしよう

『奇跡講座』は私にとって大事な生きる根幹…と感じつつ、この半年近く勉強することができなかった。

去年末まで365のワークをこつこつしていた時は、ワークをすることを通して重ねていけたのに。それが終わったとたん、学ぶべきこと、深めるべきことはたくさんあるだろうに、テキスト、マニュアル等ぜんぜん読めなかった。

もちろん、実際の生活、人生での「赦し」がもっとも大事なんだろうけど。『奇跡講座』や『神の使者』に触れていないと、その物事の見方の感覚も薄まってきそうだ。

…ということで、『奇跡講座』のワーク、2回目をやろう、と思う。ワークをやりながら、またテキストや関連図書も読めたらいいと思うし、英語で原文にもなるたけあたりたいと思う。

それから、『奇跡講座』と何度も書くのはくどい感じがするから、『ACIM(=A Course in Miracle)』と書くようにしようか…。