2016-09-28
エゴの誘惑と戦略
「誘惑に陥りませんように」
冒頭に、今日の主題概念は言い換えるとこうだ、と書かれている。
そして、私たちの「肉体の目に見えているように思えるものはどれも、何からの形の誘惑にほかならない。なぜなら、それが肉体そのものの目的だったからである。」とある。
私たちが神から離れた(と思った)時、私たちはあまりにも恐ろしく罪深いことをしてしまった、と思った。きっと神から報復されるにちがいない…
そしてその恐怖から逃れるために、幻の偽りの人格、エゴを生み出した。そして、そのエゴが逃げ場として作ったのが、この宇宙である。一なる神の子は、さらなる「分離」によって個々の肉体をもった人間となった。
だから、肉体そのものの目的が、本来は幻想であり起ってはいない「分離」の世界を強調するものである。
そして、この世が一見「成功」のように見せて私たちの関心を引き付けるもの―大豪邸や高級車、権力、社会的地位、称賛、おカネ、美貌などなど…は、それを追求することが一時は人を幸せにしてくれるかのように見えるが、それは幻想にすぎない。
エゴは肉体とこの世の成功に執着させ、幻想に目覚めさせないようにする。それがエゴの誘惑であり戦略だ。
聖霊の使命
「エゴ」が幻の偽人格であるのに対し、神の元から私たちは一時も離れていないのだと教え今も「正気」を保った私たちの心の奥底にあって、神と私たちをつないでくれるのが、「聖霊」だ。
私たちの人格のほとんどは「エゴ」に支配されてしまっているが、だれもが「聖霊」とのつながりを持っている。聖霊はつねに私たちに今も本当は神と一体なのだと教えてくれている。
だから、私たちのエゴが作った幻想のこの世を用いながら、それを「赦す」ことによって、それをなきことに戻すことを使命としている。
それを示す、本ワーク中の
「聖霊にとって世界は、あなたが自分の罪だと思っているものについて自分を赦すことを学ぶ場所である。」という文言が好きだ。
聖霊はエゴがつくったこの宇宙や地球、個々の肉体というしかけを利用しながら、それを「赦す」ことによって正しい道に導く。
赦せば⇒ | 幻想は消える⇒ | 神に近づく⇒ | 永遠の幸せ |
赦さなければ⇒ | この世の幻想を強める⇒ | 神から離れる⇒ | 一時の幸せ&損失や不安感、恐れ |
シンプルにいうとこうなるのか。
だから、本当の幸せのために
「私が自分の機能(はたらき)を忘れずにいられますように。」となるのだ。
生身の体をもって今ここに生きている、と思っている今の私にとっては、「まぁ、そうはいっても…」と思う部分も多いのだけど。。。
神さまと私をつなぐパイプのおそうじ
今朝は、年一回のマンションの排水管の高圧洗浄の日だった。
あっ、事前にそうじしとかなきゃ!、と思い出して、キッチン流し台の排水溝と、お風呂の排水溝を掃除した。奥の方はかなり汚れてた。
掃除しながら、自分の「エゴ」と「神さま」をつなぐパイプがあるとしたら、私、けっこう汚れていたりほこりがつまったりしているかもな~、見た目はそうじしてるように見えても…、とふっと思った。
そして、
この秋はとくに、
神さまと私をつなぐパイプをきれいにしたい、
そのために聖霊の声に耳をすまし、
自分を濃くしたい、
と思ったのだ。