レッスン59-レッスン41~46の復習

2016-09-14

昨日、おとといはレッスン59をやってきた。主題概念は以下のとおり。レッスン41~46の復習。

41)私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く。

42)神が私の強さである。心眼(ヴィジョン)は神からの贈り物である。

43)神が私の源である。私は神から離れて見ることはできない。

44)神は光であり、その光の中で、私は見ている。

45)神は心であり、その心とともに私は思考している。

               *   *   *

「神がいつでもともに行くというのに、どうして私がひとりになったりするだろう。神の中に完璧な確かさがあるというのに、どうして私が自分を疑ったり、自分に不安に思ったりするだろう… …自分についての幻想を大切にすることはやめよう」(l59)

主題概念のそれぞれの説明文が、いちいち私の心を揺さぶる。だから、とくに気になったところをもう一回書きたいと思うと、結局ぜんぶになってしまいそうだ。

ワークの内容はワークブックに書かれているのだから、私がそれを中途半端に抜粋したり言い換えたりしても、私には復習にはなるけどブログとしては意味ないな、と思っている。まあ、でも成り行きまかせにしよう。

上記のレッスンの主題概念の中で、もっとも好きなのが、l42の「神が私の強さである」というフレーズだ。

God is my strength.

God is my strength.

神が私の根拠だった…

この短い言葉を何度も心で唱えるだけで、なんとも言えない安らぎとなつかしさのようなものを感じる。なんとありがたいことよ!

だけど、一方で、ACIMに沿って生きられているかといえば、それはまた別のこと…になる。私の場合。

とくに誕生日月の今月、そして晩秋の11月あたりは、過去に思いが引きずられ、魂が旅をしたがる。

あの頃はああだった…

あの時ああしていたら…

ACIMには過去という概念はない。過去は幻であり後悔はエゴが仕掛けるトリック、心眼にはほど遠い。

そして5年に一度の免許証の書き換えのお知らせ…誕生日が過ぎたのにまた行けてない。

免許証に映る写真を気にしているのだ。更新手続きは誕生日後の一ヶ月ある。それまでに頬をちょこっと引き締めたいのだ(具体的にはフェイスストレッチ…今は顔ヨガというのか、をする、効果のほどは経験済み)。

姿かたちにこだわるとは、これもまた幻想への執着であってACIMの教えに反しているのでは…と思うけど、一方、少しでも若くと思うのも本音。

ワークを続けていたら、いずれ、私のこういう“煩悩”も薄れていくのだろうか。

何年後かにこのダイアリーを見て、「あの頃はまだ若く未熟だった」と振り返ることがあるか。それだったら、ダイアリーは軌跡として役にたつかのもしれないなぁ、と思う。