2016-09-16
この夏、ポケモンGO 大騒動
2016年夏はポケモンGOが大流行りだった。
まず、先行配信されていたアメリカの様子として、テレビキャスターがポケモンを追いかけて画面を横切る姿にびっくり!
「へ~!大のオトナがそんなに夢中になるものなのか…!?」
日本でも7月22日に配信されるやいなや、全国民を巻き込んだかのような大騒動。珍しいポケモンがゲットできる?とかで、東京墨田区の錦糸公園には夜が更けても大人も子供も大勢の人でにぎわう様子が映し出されていた。
遅れて配信された台湾ではさらに激しい熱狂ぶりで、米TIME誌では「まるでこの世の終わりのよう」と報じたとか。
かくゆう私もみんなから遅れること一週間、7月末どんなものかとダウンロードして、朝のウォーキング時にやってみていた。
ポケモンGOは位置情報(GPS)を使用したポケモンを探してGETしたり育成したり戦わせたりするゲーム。
ポケモンに近づくとスマホの画面越しにポケモンが現われ、それにうまくボールを当てるとゲットできる。なかなか楽しい。私のウォーキング道には川辺の遊歩道があって、「水辺のポケモン」がたくさん採れた。また途中でお参りする神社がジム(戦いの場)に設定されているのにはびっくりした。
私の場合、ゲームでレベルアップしていくおもしろさはよくわからずじまいで、レベル8でお休みとなった。が、自分が世間で話題になっているものに参加できたことに対して、満足を感じた。
地球そのものが巨大なゲーム場に
育てたり戦ったりするゲームはこれまでもあったけど、ポケモンGO の新しさ、魅力は、GPSを使用することによって、ゲンジツとゲームの世界が相互作用するところだと思う。
地球自体が巨大なゲーム場になったのだ。地球をいうゲンジツの上に新しい仮想現実、ポケモンGOのゲームのレイヤー(層)が加わっている。それがゲームをしている人たちだけに見えている。そのことにみんなワクワクしていたのではないだろうか。
ポケモンを捕まえようとするあまり、つい仮想現実だということを忘れて交通事故やケガも多発した。
私はふと、この構造って、ACIMでいうこの世が幻想だということと似ているのかもしれないと思った。
私たちは地盤がしっかりとしたこの地球の今が現実だと思っているが、ACIMの中でイエスは「この世は幻想だ」と言っている。それは、もしかしたら、私たちが「地球のゲンジツ」というポケモンGOゲームもどきをしているようなものなのだろうか、と。
ポケモンGOとACIMの考え
プレーヤーの分身である画面上のキャラクター(トレーナー)は、自分がゲームをしているとは認識していないだろう。その世界で一生懸命生きるだけだ。
私たちも、もしかしたら…もしかしたら…
このキャラクターのように、「ゲンジツ」ゲームの中で生きているだけだと言えるのではないか。そして、それを現実だと思い込むあまり車にひかれる人のように別のレイヤーで「結果」を出したりしている…のでは?
もちろん、ACIMでいう実相とこのゲンジツはこのポケモンGOのしくみとは同じではないと思う。でもこの世もポケモンGOのように仮想のレイヤーなのかも…というと、ACIMを説明しやすくなる気がした。
この9月14日~16日(今日)筑波で「第21回 日本バーチャルリアリティ(VR)学会大会」が開催されている。私はこの分野に詳しくないけれど、専用メガネをつけてマンションで家具やカーテンの仮想コーディネートを体験させるサービスや医療訓練用のバーチャル手術室など、この分野が日進月歩で進化している様子はよく目にする。
VRがさらにさらに進化して、そしてポケモンGOみたいな拡張現実とも融合していくのも時間の問題だろう。
VRがさらに進化したら…
そしてさらにVRが進化して五感をほぼそのままに実現することができたとしたら…?
私たち人間は、今「現実」と言われているものと「仮想現実」を区別することはできるのかな?
そうなった時、はなして今が「仮想現実ではない」と言い切ることはできるだろうか?
ACIMの教えのもっとも特徴的かつ基本、かつ一般に受け入れられがたい点は、「神だけが在る。(それ以外はすべて幻想だ)」という一元性に基づくところだ。
VRがこのままのスピードで進化して脳内でゲンジツと非ゲンジツの区別が難しくなった時、この今いる世の中が「現実でない」「幻想だ」というACIMの考えも突飛とは言えない時代が来るかもしれない。
正直言うと、ACIMの一元性の真偽は私にはわからない。ただ考え方、教えに憧れを感じる。それと腑落ち感のようなものも。
やがて何百年も経った後、「昔の人はこの世がリアルだと思っていた人がほとんどだったんだってね」とか言う日が来ることはあるだろうか(その未来自体が幻想なんだろうけど)
…それとも、やっぱり、それも荒唐無稽な空想だろうか…