2016-09-02
9月か…。まだ蒸し暑い。けど真夏の攻撃的な暑さじゃない。9月、10月はものごとを進めるのにいい季節だと思う。読書の秋、芸術の秋…こころに染みる秋の始まりだ。
ワークを進めながらダイアリー・ブログには何書いたらいいんだろう、と未だ迷走中だ。でも、どんなかたちでもアウトプットをすると、学んだことが定着する気がする。書くことで気づいたり理解できたりすることもある。
レッスン56は次の5つの主題概念を復習した。
26)私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。
27)何にもまして、私は真に見たい。
28)何にもまして、私はものごとをこれまでとは違った見方でみたい。
29)私が見ているあらゆるものの中に、神がいる。
30)私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである。
レッスン26~28
神を自分の意志で離れた、と勘違いしている私たちは、神はひどく怒っており報復があるにちがいないと死ぬほど恐れている。その罪悪感と恐怖はあまりにも大きいため自分で意識することすらできない。だけど常に私たちの根っこにある。
だから私たちは「自分自身を常に攻撃にさらされている者」と感じ、「苦痛、病気、損失、老齢、死などが私たちを脅かしているように見える」(l26)
これがエゴの見方であり、まさに私たちが日々見ているのがこれだ。人生の前半は夢や希望や野心とともにポジティブに人生に挑んでいける。しかし中年期以降になると、夢を実現していようといまいと、おカネがあろうとなかろうと、自分の人生は自分ではコントロールできない何かに翻弄され脅かされ続けている、と感じることが多くなるのではないだろうか。
でも、ACIMは、まったくちがうという。私たちは真に神の延長であり、神の「完璧な安全と完璧な充足感」こそが私たちが神から賜ったものだという。「私自身の真の想念が、それが何であるかを教えてくれる」(l26)
だからこそ、「何にもまして、私は真に見たい」(l27)と思うことが第一歩だ。正しい見方、心眼(ヴィジョン)を得ることによって、真実を見ることができるようになりたいと自分を方向づけするのだ。
今、私たちが見ている世界は、エゴの自己像の投影だ。たとえ病気の世界が見えていても、借金だらけの世界が見えていても、いじめの世界が見えていても、それらはすべて自己イメージをこの世というスクリーンに自己像を映し出しているにすぎない。
今いるこの世界は、映し出された結果の世界だ。私たちはこれを「嫌だ」「困った」「ひどい」「許されない」などとみんなで言い会う。それによって幻想を支えあってリアルにしている。もちろん、一人ひとりの私たちにはそんな意識はないけれど。
罪悪感と恐怖に満ちた自己イメージを手放すことこそが、私たちを真理に導く。真理は失われたわけではなく私たちの心の奥底に息づいて、今もあるのだから。
ただまやかしの自分を幸せにしてくれる種をいくつ手に入れても、効果は一時的で心に奥底にある恐怖と罪悪感が返ってくる。
その間違った見方は、私たちを常にストレスにさらし不安にする。
だから、その見方を矯正したい、「何にもまして、わたしはものごとをこれまでとは違った見方で見たい」(l28)と心から願うのだ。
「今見ているように、世界を見ている限り、私は真理を自覚できるようにはならない。この世界の背後にある扉を、私のために開いてもらおう」」(l28)
「そうすれば、そこを通り越して、神の愛を映し出す別の世界を見ることができるようになる」(l28)それが、実相的な世界を見る心眼(ヴィジョン)だ。
レッスン29、30
私たちが住むこのゲンジツ世界は、真理を覆いかくすベールがかけられた幻影だが、「すべてのベールの背後で、愛の光は今も翳(かげ)ることなく輝いている」(l29)
私が見ているあらゆるものの中に、神がいる(l29)。
私たちが見ているこの世は、神が作られたのではない。これは勘違いした私たちが神の報復を恐れて作った間違った自分=エゴが作った偽りの仮想世界だ。
私たちが恐怖の自己像を手放し、心の奥に持っている神を呼び起こしさえすれば、私たちが目にするものは変わる。そして世の中は変わる。
私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである(l30)。私たちが自分の恐怖や怒り、罪悪感に気づいて赦すと私たちの心の奥にある神の存在に気づくことができる。そして、この仮初めの世に内なる神を投影できた時、目にするすべてのものは神を表すものとなりうる。
* * *
結局、復習しつつ解釈して書き映しになってしまった。
エゴの見方から、実相を見る見方へ、日々訓練。
これって筋トレみたいだな。
最初は負荷が小さい、守られた静かな空間で。理屈が浸透してきたら、負荷をかけて人との関わりの中で。
秋…からだを動かすにもいい季節だな。