レッスン47-神は強さであり、その強さを私は信頼する。

2016-08-03

小池さんを見習おう

「小池新知事、都庁に初登庁」をやっていた。“戦闘服”だったグリーンではなく、白のパンツスーツにブルーのインナーという夏らしい服装だった。

私は小池さんのことは「うまい」を通り越してどこか「あざとい」感じを受けていて、どちかといえばクールに見ていた。しかし自ら狙い定めた都知事の座をつかみ、都知事の大きな黒い椅子に座って「感無量です」と答える小池さんを見ると「たいしたものだな~」と、改めて思った。

何にもっとも感心したかというと、そのタフさ。気力体力である。

第一線のビジネスウーマンとも言える小池さんと自分を比較すること自体おかしいのかもしれないけど、私はここ数年とみに体力気力が落ちていて、ちょっと遠出をしても翌日動けなくなるくらい。用事を一つこなしただけで疲れている。

それに比べると小池さんの選挙期間中の遊説先の多かったことといったら!八丈島への視察やら都内各地での街頭演説やらこの二週間ものすごい活動量だ。私は自分が昔のようには動けなくなったことを、「年のせいだ」と思っていたのだけど、小池さんは私より10こも年上だ。小池さんを見るかぎりこの認識は改めなくてなるまい。「年のせい」というより、やっぱり「個人のもんだい」なんだ。

今後、小池さんの姿を目にすることは当然多くなるだろうから、さっそうとしたファッションで頑張る小池さんを見習おうではないかと思った。私のように小池さんからパワーをもらった中高年女性は、実はたくさんいるのではないだろうか。

レッスン47-神は強さであり、その強さを私は信頼する

昨日はレッスン47をやった。

レッスン44~47までは連なるレッスンみたい。

44-神は光であり、その光の中で、私は見る(God is the light in which I see.

45-神は心であり、その心とともに私は思考する(God is the Mind with which I think.

46-神は愛であり、その愛の中で私は赦す(God is the Love in which I forgive.

47-神は強さであり、その強さを私は信頼する(God is the strength in which I trust.

このどれもが、私たちが心の内へ内へと沈みこみ、奥底にある神の質に到達しようとするものだ。

47ではとくに自分のうちにある神の力を頼みにするよう求められている。仏教で聞いたことがある「絶対他力」というような言葉、意味はよく知らないのだけど、漢字の字面はこのワークで言っていることを表しているかのような?

私たちが見ている恐れ、不安、憂鬱感、怒り、悲しみなどは、すべて神とともにいる世界では本来ないはずのものだ。でもそれがこの偽創造の世界で見えているのは私たちがエゴの見方をしているからである。そして、それを「結果」の世界であるこのゲンジツで、エゴで何とかしようとしても解決は一時のこと。

エゴの見方をしているかぎり、結果的に恐れと罪悪感は付きまとう。

レッスン47では「あなたは、自分を信頼することで自信を獲得するのではない。そうではなく、あなたの中にある神の強さが、すべてのものごとにおいて成功をおさめるのである」とある。

短い瞑想ワークが4回。うまくできているかどうかわからないけど、自分の恐れの感情をやり過ごし内に深く深く沈んでいくと、自分の中の神様とふっとつながれたような安心感を得られる感じがある。集中して雑念を払いのけることが必要だけど、それがうまくはできず、できたと思えるのは4回のうち2回くらい。なつかしいような、自信が得られるような、だいじょうぶだと思えるような、感覚がある。

ワークの締めには「神の強さを信頼しているのだから、平安は自分の当然の権利だ、ということを覚えておくようにする」とある。平安は自分の権利だ―とは、力強いことばだ。

私はしばしば仕事を初め、いろんな局面で「自信がない」と思う。でも、それは考えてみれば「不遜」なことなのだ。自分を信じた結果、ない自信なのだから。思えば、私の真の拠り所は神なのだ。

私の自信と平安の根拠が神なのだ。

その確信を深めるために、内なる神とのつながりを、もっともっと深めたいと思う。

実際には、神の声ともいえる「聖霊の声やサイン」を受け取る能力がいるかと思うけど、それはまだまだ途上…。

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