オバマ大統領広島訪問

2016-05-27

オバマ大統領広島訪問のニュース

オバマ大統領が、今日、現職の大統領として初めて広島を訪問、原爆慰霊碑に献花しスピーチをした。高齢の被爆者の方と言葉を交わし、抱き合う様子が映し出され、胸が熱くなった。

オバマ大統領の訪問を喜び感謝しておられた被爆者の方々。1945年8月6日朝の原爆投下の日から71年。その人生はどんなものだっただろう。自分の人生を狂わせた国のリーダーを、憎しみも恨みも昇華して迎えるまでには、想像を絶する思いがあったにちがいない。

ACIMは、この世でのゲンジツすべてが幻でエゴが見せる投影にすぎないという。この世は映画のようなもので、私たちはそもそも実際には存在しない映画の世界のなかに完全に入り込んでいるのだ、エゴが見せる影をリアルだと勘違いして真実が見えなくなっているから、恐怖や怒り、憎しみを感じているが、完全に目を覚ませばそうした感情を感じえないという(私なりに理解したなかでの見解)。

私はACIMの考えを信じているし、そのものの見方を訓練して少しでも身につけたいと思っている。

一方で、映画の中に入り込んでいるわけだから、そのストーリーに大きく動揺し一喜一憂してしまう自分もいる。

ACIMを観念として学ぶのは、受け入れられるかどうかは別として、そう難しいことではない。だけど、自分や家族が何かに巻き添えになって命を落としたり死に瀕した時に、これは幻影なのだから…と赦せるかと言われれば、非常にむずかしい。もっともっと些細なことでさえ、ACIMの基本的な考え方を忘れ、腹を立ててしまう。

今日見た被爆者の方々の姿は、原爆投下側の国のリーダーに対して感情をぶつけるでもなく穏やかで凛として、立派だったな。

私などが言える立場ではないけど、すごく大きく偉大に見えた。

レッスン5

今日はレッスン5をした。

今日の主題概念は

「私は自分が考えているような理由で、動揺しているのではない」

この主題概念を、心の中の恐れ、心配、憂鬱感、不安、怒り、憎しみ、嫉妬といった感情とその源だと思っている事柄に適用する。

―私は、私が考えているような理由で、71年前の原爆投下について悲しみ、動揺しているわけではない―

私は未熟で、まだこの世の出来事の一つひとつに反応してしまうし、「こんな大変な人」「こんなひどいこと」「こんな恐ろしいこと」…について、ACIMの視点でどう言っていいのかわからなくなることも多い。

怒りはいかなる場合でも正当化されない。

これもACIMに教えてもらった大切な考えだ。

今はただ自分に起こることだけを対象として、教えに沿って1つずつ赦すべきことをなるたけ赦していこう、と思う。

今週パニくりながら、やってた仕事は、夕方なんとか納品できた。

メールでの納品だから、先方の確認メールをいただかないと完了とはいえないけど、とりあえずほっとしている。