ACIMワーク255-私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

2019-04-12

ACIMワーク255-私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

私は、今日、自分が平安だけを選択できるとは思えない。それでも、わが神は私に、神の子は神ご自身と同じだと保証している。

今日は、私が神の子であると語る聖霊を信じよう。」(L255-1-1,2,3)

私は神の名にかけて、父が私のために意志するものを見出すことに、一日を捧げる。」(L255-1-6)

この「4.罪とは何か」の節では、繰り返し真実を思い出させ選択するよう促す主題概念が並んでいる。

まるで「正気にかえれ、思い出せ」と肩を揺さぶられているようだ。

明日ゲイリー・レナードさんのワークショップ

ゲイリー・レナードさん&シンディ・レナードさんご夫妻のワークショップが明日に迫った。

なんかまだキツネにつままれているようなぼわんとした気分で、心の準備がおっつかない。明日ちゃんと会場に行けるだろうか。

参加するまでにゲイリー・レナードさんの新書『イエスとブッダが共に生きた生涯』を読み終えたいと思っていたけれど、それもまだ途中。

この新しい本では、

奇跡講座(ACIM)を机上で学んだだけではACIMを理解したとは言えない、

赦しを実践してこそエゴを解体できる、

それこそが神と私たちを隔てているものを取り除く、

ことが強調されている。

私はACIMを学んでいるつもりで、実は赦しの機会から逃げていた。

『イエスとブッダが共に生きた生涯』を読んで、それではせっかくACIMに出会ったのに遠回りをしていると感じた。

またACIMの核となる純粋な非二元性が、眼前の人の存在を否定するような気がして、周りの人にACIMについて話すこともできなかった。

けれど、それではACIMを生きていることにはならない、堂々と非二元性を話せるようになろうとも感じた。

生身のACIM学習者に会うの初めてだ

私は2013年からACIMのワークブックをやっていて、大畑学さんのACIM解説本を読んだり、このブログにコメントをいただいたりしてACIMを学習されている方々の存在に触れることができた。

だけど直接ACIMに関心を持っていたり学習されている方を見る(へんな言い方だけど)のは、明日が初めてだ(あ゛~、私は同胞を肉体として見ている)。

おととい着た開講前のご案内メールには、

「当日の受付は混雑が予想されます。
 時間に余裕を持ってご来場ください。」とある。

『神の使者』を読みACIMに関心を持っている方がそんなに大勢いるのか!

その方々に会える。

それにもドキドキする。

きのうのワンコインイングリッシュ講座終了後、先生にゲイリーさんへ向けて作った短いメッセージを添削してもらった。これを伝える機会があるかわからないけれど…

「For me, your book “D.U” is the most important book I’ve ever read.

If I can take one thing with me to a deserted island,I would bring your book!

Thank you for writing it.」

(あなたの著書『神の使者』は私がこれまで読んだ最も大事な本です。もし無人島に何か一つだけ持っていくとしたら、この本を持っていきます。『神の使者』を書いてくださってありがとう。)

えっ、1冊持ってくなら、『奇跡講座』じゃないの!?

というツッコミがあるかもしれないけど。

私は自分にとってわかりやすい『神の使者』のほうかな~

今晩の思いーここまで導いてくれた聖霊さんにもっと素直になろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る