2017-03-25
レッスン91からはまた1つの学習の固まりが始まる。
私の今のワーク学習の仕方は、ACIMの学習サイトで英語を聴いて、
大畑学さんの『A Course In Miracles Workbook 精読』で短いパラグラフごとに英単語や解説を見て
『奇跡講座 ワークブック編』で日本語訳を見て、、、と、まるで高校時代の英文読解みたいになっている。
和訳で通しで読んだ方が意味は理解しやすいけど、原文はどうなっているんだろう、と気になるし、2つの日本語訳を見比べると訳し方のちがいもあったりしておもしろい。
そうやっていると、文章読むこと自体にけっこうな時間がかかる。レッスン91からのワークは長文が多く手ごわい。また抽象度が高く、日本語で読んでもよくわからない部分もある。
ちなみに、一回目のワークはいつやってたんだろ、と気になってメモ帳を見たら、2014年の6月だった。6月にレッスン91から113まで仕事と並行しながらけっこう毎日まじめにやってた。少し若い自分が。
レッスン91:奇跡は光の中で見える。
レッスン91は「奇跡には心眼(ヴィジョン)が伴う」というACIMの中心概念から始まる。
奇跡は常にある。それが見えるにはヴィジョンが要る。
光の中では奇跡が見える。
闇の中では奇跡が見えない。
だから光は決定的に重要だけど、私たちの信仰心は今、光ではなく闇に向けられている。それを聖霊(=内なる強さ)のサポートを得て逆転させる必要がある。
レッスン91はその強さを自分の内に感じるワークだ。
どうやってかというと、自分への次の問いかけによって。
「奇跡は光の中で見える。
肉体の目はこの光を知覚しない。
しかし私は肉体ではない。私は何なのだろう?」
この問いに対する答えを心の内に探すことが、自分の強さに気づく方法だという。そして、内なる強さを体験し、神とのつながりの信頼感にくつろぐ。
ワークをして
私の場合は、この「私は何者か」との問いかけに対して、
「神の子」という答えが浮かんだ。
一方で、ACIMの教えどおりの「神の子」を実行することは、命綱なしで高い崖から飛び込むような怖さがある。
ACIMを学べば、安全ネットがあってやさしく受け止められるのだと知っているはずなのに。怖い。。コワイ。こわい。
私は自分の弱さに立つのか。
強さに立つのか。
「私は肉体ではない。」と言う時、それを否定したい気持ちがあった。
今、体のある症状に悩んでいるから、「体ではない」とはやりすごしにくいのだ。困ってはいるけど慣れてもいて医者にも行かず放置している。
その症状は、私の無意識の罪悪感や恐怖の象徴として私がゲンジツ化しているものだ。
だけど、ちゃんとこの世で“手当て”した方がいいかもしれない、とワーク中思った。放置していることが“温存”となっているのかもしれない。
私は奇跡が見たいし、ヴィジョンを得たい。
奇跡は真実の顕在化であり、そこにすでにある真実がヴィジョンによって見えてくるのだという。
私は紙の上で学んでこそいるけど、奇跡もヴィジョンも体感できていない。まだまだよくわかってないんだなと改めて思う。