2017-03-20
「人生で二番目に大切なもの」と今朝の夢
世間では三連休の三日目。予定なし。春めいてきた。
昨夜のテレビで、ネットで話題になっている珍問答?、として、15日国会での麻生太郎財務相と山本太郎参議院議員とのやりとりを放送していた。
山本太郎議員が「人間が生きる上で、一番必要なものは何か。私は空気だと思います」と言った上で続けて「麻生大臣、人間が生きる上で、二番目に大切なもの。何だと思われますか?」と質問。麻生さんは、初め戸惑いながらも、
「私はこの種のわけのわからん質問が来たときには答えるのはひとつ。」
「人間が生きていくうえで大事なことは、朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝とともに眠る。この気持ちだと思ってます」と答えた。その回答が、「かっこいい」とか「太郎対決の格のちがい」とか言われているのだとか。
私も、ふむ。たしかに、と思って、メモした。
メモするとき、「働き」は勤労だけの意味よりもっと広く「それぞれの人がそれぞれの役割を果たす」みたいな意味がいいとひらがなにした。
朝、希望を持って目覚め、
昼は懸命にはたらき、
夜は感謝とともに眠ること。
シンプルだけど、なんかいい。すごくいいんじゃないだろうか。
これは、山本議員が麻生大臣から二番として「水」の回答を引き出して「水道の民営化」の話につなげたかった質問だったとキャスターの人が解説していた。
そのせいなのか、今朝「貯水施設」の夢を見た。東京都に水を供給する、東京近郊の県内の貯水施設に仕事で行っているらしい。帰り際の雑談で「こういう施設も最近は都内に置くべきだという話がありますからね~」とかいう職員さんの話を聞いている私。
その後、その施設の管理人のおじさん(60代位の男性)と、その飼い犬がそっくりで、「(犬が)メガネをしたらホントそっくりですね」と私が言い、笑っている。
夢は概してヘンだけど。へんな夢。
でも、ふと「水」のことって知らないな、と気になった。水事情ってどうなってるのかな。あたりまえのように思っていたけど、家の水って蛇口まで毎日どこからどう伝わって蛇口に来ているんだろうか、と。
レッスン77:私には奇跡を受け取る資格がある。
3月9日にやった。
奇跡とはいわゆる超常現象のことではない。
不満や問題の向こう側にある、実相的な真実が具現化すること。
「実相的な真実の具現化(大畑学さんの精読版の表現)」のことをイエスが「奇跡」という名で呼んだのは、おもしろいと思う。
このコースのタイトル自体が「奇跡講座」だ。粗くいうと「(ヴィジョンを開いて)真実を見ろ」ということかな。。
レッスン77の文言は、私にはとくに訴えかけてくるものがある。
「私には奇跡を受け取る資格がある。」と唱えると、何かが溶けていくような気がする。
「愛は不満を抱かない。(l68)」とか、「私の不満が、私の中にある世の光を隠している。(l69)」とかの方がわかりやすい気もする。一方で「私には奇跡を受け取る資格がある」は“正気”を思い出せる気がする。
私(私たち)は、罪悪感の着ぐるみなのかな。
炎天下でも、それと知らず汗だくで着ぐるんでいる、そのぬいぐるみ。
「あんたは今ぬいぐるみを着ていて、それは脱いでもいいんだよ」と教えられたような。
でも脱いじゃうことは経験ないよ…
罪悪感は恥という感情とも深くつながっているんだろう。
この主題概念は、理由はわからないけど、私をダイレクトに癒してくれる。
誰でもより真実を思い出させる主題概念があるというけど、私の場合はこれがそうかな。たくさんの主題概念の中でも心に直接響くものだと思う。
それは資格だったか。
そしてそれがあるのか。
ありがとうございます。感謝します。
レッスン78:奇跡が、すべての不満と入れ替わりますように。
午後のワークは気が急いて上滑りしてしまう感じがあった。その日のうちに提出すればいいという仕事でも昼一番から追われている気がして集中しにくくなる。必要以上に焦るのは私の良くない習い性だ。
「奇跡が、すべての不満と入れ替わりますように。」というのは、誘惑に屈しないように、ということかもしれない。
崩れた姿勢を不満という杖で支えてバランスをとっているようなところがあるかも。
仮想悪や仮想敵を作って不満やグチを言い合う。具体的な相手がいなくても、社会とか、時代とか、政治とか、タレントの噂とか。
つい抑えていた不満やグチを出すと、一時は軽くなった気分になるけど、それは幻想の世にブーメランを投げただけのこと。またしばらくしたら、自分の所に戻ってくる。それは堅い。
そうではなく赦して、1つずつ終わらせていくしかない。
少しずつ。少しずつクリアに視る術を身につけていくしかない。