2017-03-10
3月10日お昼。外はよい天気。
ワークは少しずつ進んでいて今朝はレッスン90をやった。でもダイアリーブログは少し滞っていて、ワークとブログにちょっとした差ができている。本当はなるたけ近いほうがその時のままの気持ちで書けてよさそうだけど。ダイアリー、追いつかなきゃ。
レッスン71:神による救済計画だけがうまくいく。
本ワークをやったのは先週土曜日だった。
そこで感じたことは、
神による救済計画だけがうまくいく。
…のならば、今みたいに、自分の余力、余時間があればACIMを入れるといった感じじゃなくて、生活全体をACIMを軸として組み立て直すこともできるのではないか。
…と。
いつも「気力体力が乏しくて」とか「生活費をもっと稼がなくちゃ」と言っているけど、それば、私の生き方の結果そうなっていることで、いわば「不満」だ。
もっとACIMを中心にストイックというか意志的になれるのではないか。
ふとしたきっかけで、去年から市川海老蔵さんのブログを見始めた。これまでテレビで見ていた印象と異なって、歌舞伎役者という使命を果たすべく毎日のトレーニングや食事その他すべてが組み立てられているように見受けられた。
特異な立場の方だし、そもそもものすごく体力気力に満ちた人だと思う。また持って生まれた性格なのか育ちなのか、大勢の人の中でも自分のペースでいるのがとても上手い人みたいだ。
私とはタイプが別!スペックがちがいすぎる…と思ってしまうけど、少なくともライフテーマを生きるための習慣づくりは見習えるのではないか。
そして、小刻みで忙しそうなスケジュールの中でも気を抜くところは抜いて、自分のスタンス、リズムを調整し続けているという点では、お手本にすべきでは?
舞台なんてあったら、どんなに小さなものでは私ならば半月も前からキンチョーでコチコチになっていそうだけど。
たぶん、キンチョーのなさというのも、無意識での自己肯定感、罪悪感の少なさと関係がある気がする。
私も、もっとACIMのトレーニングを進めていけば、あがり症や過緊張も緩み、疲れにくくもなるのかもしれない。
とりとめのなく書いたけど、要するに
自分の生活のなかのACIM関係の時間を、ちょこっとずつでも意識的に増やそう、ということかな。
レッスン72:不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃である。
私は、実に“ストライクゾーン”が狭く、不満が多い人間だ。不満を人に言うことは少ないけど、実際そう。
フリーランスで仕事をしていることも、ひとり暮らしをしていることも、突き詰めればわがままな性格で自分の好きなようにやりたいからだ(かといって、実際好きにできたり、また結果的にそれがプラスになったりするとは限らないが…(^_^;))
エゴが見せてくれる「不満」は、巧妙で、
保つべき秩序やマナーだったり、完璧主義だったり、憎むべき社会悪だったり、寂しさだったり、加齢や悪天候へのつぶやきだったり、将来計画だったり…
いろんな形でやってくる。
意識的にならなければ…。
私の心から出る9割が何らかの「不満」だ。
こうだったらいいのに、とか、あと少しこうしてくれたら、とか。
ということは、私は日頃から、神の救済計画を攻撃しているということだ。
「不満」は、「理想」とセットになって、この世で市民権を得ている気がする。
不満を見つけることはビジネスチャンスにもつながる。その不満をつぶして、またひとつ豊かに…
そういう思考も自分の中にあって、つい不満にフォーカスしてしまう。
不満があったから、人間社会というのが発達してきた。だけど、出始めの頃は「すごい」と喜んでいた新機能は、すぐに「あたりまえ」になり、そのうち新しい優れものが出てきて「不十分」となる。そのくりかえしだ。
豊かで便利になったんだよな。そのおかげで。
ィコール幸せ、でないにせよ。
不満は「あたりまえ」と思う気持ちから発しているのかな。
あたりまえでなく、有り難し…
あたまでっかちか。わたし…