2017-03-06
6、7年前、週に何度かショッピングセンター内で手相鑑定の仕事をしていた。まだACIMと出会う前のことだ。
今日はその時一緒に店に出ていた女性と数年ぶりにランチをご一緒した。その方は今も週3回位占いの仕事をなさっているとのこと。ボランティア精神あふれた人間味のあるベテラン鑑定士さんだ。
この数年間の人生の変化や共通の知人の話などをして、楽しい時間を過ごした。占いではお客さんの重い話を聴くことも多かったけど諸々含めて楽しい仕事だったと、当時を懐かしく思い出した。
今となってはACIMの考え方がベースとなっているから、手相や暦から、「あなたの運はこうですよ」という仕事はできなくなってしまったように感じている。
「この世はリアリティがあるけど、実は幻想なの、あなたが出会う人や出来事を赦すこと。それこそが大事なんですよ」と伝えることは、占いには当たらないだろう。そういうアドバイスを求める人が、世の中にどれくらいいるだろうか。
レッスン69:私の不満が、私の中の世の光を隠している。
私がワークをする時には、ACIMのホームページで該当するワークを英語で聴いて、日本語訳を読んで、大畑学さんの精読版の解説を読んで…というパターンが多い。
大畑学さんの精読版は、英語の訳や解釈もあるしACIMの本質もわかりやすく説明されていて、サブテキストとして重宝している。
その大畑さんの精読版に、「不満とは、直面している自体の責任を外部世界に向かって投射し、怒りの中に自己の責任を回避する行為である」との説明があった。
的を射た説明だな、と思った。
「不満=責任回避行為である」とスパッと言い切っていて、腑に落ちた。
一方で、学び方が浅いのか、自分のゲンジツの状況が不都合な場合の対処は未だによくわかっていない。
例えば、自分が店を経営していたとして店内で万引きをしている人を見つけたら…、
もちろん、それは「不満」ではないよね?
かたちの上では社会規範に則って、警察に通報するなどの行動をしつつ、
一方、心のなかでは、赦すということなのかな。
その辺りの具体的な対応がよくわかっていない。
実際にそんなことがあったら、赦すことを忘れ憤ってしまいそうだけど。
ニュースやワイドショーなどで毎日取り上げられている実際の事件でも、孫がおじいちゃんを殺害するなど残酷なものが目にとまり、被害者に同情し加害者には、なんてひどい愚かな…、と思うけど、これもACIMを学ぶ者としては、赦す、しかないんだろうな。
どう解釈・対応してよいかむずかしく感じることが多いけど、まずは、自分自身の目前のことから…
前よりは、少しは不満が減ったか。。少しずつ、少しずつ。
それでよしとしよう。
レッスン70:私の救済は私の中から訪れる。
自分にはどんなふうに見えても、
自分の救済も、また罪悪感も、自分の中にのみあるのだということを思い出そう。
社会的に酷いことが起こっているように見えるとき、
こう捉えることは無慈悲でクールすぎるように思えることもあるけど。
私の心の中のスタンスとしては、この立場をとることにしよう、思い出せたときには。
そして、しばしば、思い出せるようにしたい。