レッスン32-私が、自分の見ている世界を作り上げた

 

2016-06-29

疲れやすい…

6月26日(日)レッスン32のワークに入ったが、先週からずっと出かけていたためか疲れがあり、どうも夜の瞑想ワークができず、停滞していた。ここ数年「疲れ」が私のウィックポイントになっている。フリーランスで体力・気力が乏しいなんて致命傷だ。

たいした用事でなくても誰かと会ったり○○講座に出たり、といったことが私にとって「オン」の日で、それが何日か続くとへたってしまって、回復するために誰とも会わない「オフ」の日が必要になる。こんなことを言っているオトナは周りにいないし、およそ人には理解できない感覚だ。たんに怠けグセがついてしまっているのかもしれない。私と同年代で週5日勤務している人や自営で店をやっている人などは、ほんとうにえらいと思う。

月曜日、数年ぶりに「会いませんか」と連絡が入った知人と会った。以前同じくフリーランスで経営関係の仕事に携わっていた男性だ。以前も久しぶりの面会の後ある学校の入学説明会に誘われたことがあり、今度はどんな「用事」なんだろ?とちょっぴりキンチョーして出かけた。60代も半ばになるが変化の波にうまく乗っかりながら頑張っておられる様子。

新宿駅の駅ビルでランチをしたが45分経つか経たないかといったところで「仕事がありますからそろそろ…」と言われ、「お元気で」と別れた。いったい何で呼び出されたのか。実に不可解だった。が、なんでもなくてよかったとヘンにほっとしたりした。

…と帰りにふらっと寄ったブックオフで『神の使者』を見つけた。新装版でなくグリーンの古い方だ。私はこの本を幾度となく節目ごとに読み返している。腰湯でお風呂にも持って入るからぼろぼろだ。家には「予備」もあったけど、さらにその予備も欲しくなり、また買った。とても新しい。1,260円也。これで家には『神の使者』(古いバージョン)が3冊になった。

そして、これをきっかけに『神の使者』を再読し始めた。疲れた時は、家にこもって『神の使者』を読む。これが私にとって一番の「自分たてなおし法」かもしれない。

レッスン32

さて、レッスン32―私が、自分の見ている世界を作り上げた。

これは前レッスン31の続きである。

私は自分が見ている世界の被害者ではない(レッスン31)。(なぜなら)私が、自分の見ている世界を作り上げた(のだから)(レッスン32)

私たちは「結果」の世界にいる。この世は「原因」から投射された「結果」の世界だ。もちろん、この世の中でも「原因―結果」があるように見えるが、本当の「原因」はこの世にはない。私たちの内側も、外側も結果の世界である。

そして本ワークでは「どちらの世界も自分の想像の中に存在しているという考えを導入するよう努める」。持って回った言いまわしだけど、世界は想像の中以外にはない、つまり“バーチャルリアリティ”だと言っているのだ。

自分を悩ます状況に出くわしたら

「私が、自分の見ているとおりのこの状況を作り上げた」と言う、とある。

これをいつも思い出していられたらいいんだけど、つい忘れてしまう。これを覚えていることをマスターできたら、けっこう強いんじゃないかと思う。自分が作り上げたと知れば、それを「容易に手放すことができる」ことも信じられるから。

いつもは深夜にブログを書いていたけど、夜なかなか書けず、今日は日中(今am 12:25)に書いた。やるべき仕事に手が付けられておらず焦る気持ちもあるけど、「私が、自分の見ているとおりのこの状況を作り上げた」

今日の残りの時間、いい日にしよう!

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