レッスン20-私はぜひとも真に見たい

2016-06-11

私たちが「真に見たい」のは「心眼(ヴィジョン)」である。

そして、「心眼に必要なのは、見ようとする決断だけである」

私は365のワークを終えたが、まだ心眼というものが見えていない。

今日たまたま『ミッチェル・メイ・モデル』という本を再読していたら、その本のなかに、

「物質界というのは、スピリチュアルな世界、神秘的な世界が目に見えるような形として存在しているものです。その逆ではありません。ですから、私たちがこの物質的なものを解釈するときに、肉眼とか自分の頭だけで解釈しようとすると、本当にそこに在るものが見えない。「幻」なわけですよね。でも、あなたがその本来の姿、本質を見ることができるなら、それは幻ではなくなる。本当の姿が見えてくるのです」(p141)とあった。

心眼と同じようなものを記述したのだろうか。

レッスン20では、「今回、私たちは練習に初めて枠組みを導入する」とある。それは一日を通して、「少なくとも1時間に2回、ほぼ30分間隔で、ゆっくり『私はぜひとも真に見たい』と今日の主題概念を繰り返すことである。

30分ごとにタイマーをかけながら、やった。そのうちに30分経たなくても前倒しして、主題概念を唱えるようになっていた。

だけど、こういう種類のワークは平日働きながらだとけっこう難しいかもしれない。

そして、これはまだ序の口でもっと時間とエネルギーを注力しなくてはならなくなる。

まあ、毎日かならず1つ進めなければならないというものでもないから、ゆったりした気持ちでいこう。