レッスン16―私に中庸な考えはない

2016-06-07

昨日、iphonからダイアリーを更新できたつもりでいたけど、ミニ旅行から実家に帰宅してパソコンを覗いてみたら、できていなかった。今度またやってみよう。

金沢、加賀温泉の母との小さな旅は、ささやかながらもとっても楽しかった。

旅の道中、土曜日行ったセミナーについて新担当者の方とメールでやりとりし、この前のセミナーはやっぱりお客さんである主催者を満足させたものとは程遠かったんだ、と思い知ったのはピリッときたけど。

今日の主題概念は「私に中庸な考えはない」

気になったフレーズは、

「あなたが見ているすべては、あなたの考えがもたらす結果である」

「あなたの抱く考えの1つひとつが、真理か幻想かのどちらかを助長する」

「救済のためには、自分が抱く考えはどれもが平安か争いか、愛か恐れかのどちらかをもたらすと認識することが必要である」

「恐れの想念については(中略)まずは、それらが等しく破壊的であると同時に等しく実在性がないということを認識することが肝心である」等。

また1分ほど心の中を探索することからワークを始めるのだけど、私の心の中心を占めていたのは、

次回7月のセミナーに対する不安感(今度、ちゃんと満足していただけるものができるか不安だ、こわい)と、

高齢の母がさらに年老いていずれは別れを迎えることに対する恐怖、抵抗感(お母さんにはいつまでも元気でいてほしい、お父さんみたいに死んじゃったらどうしよう?)だった。

前者はこんな心根では「プロ失格」とも言えるし、後者は幼児のような気持ちだけど。

「セミナーに対する不安ついてのこの考えは中庸なものではない」

「いずれは迎えるであろう母に対する恐怖についての、この考えは中庸なものではない」…と ワークした。

いずれも「恐れ」をもたらす考えだ。破壊的で実在性のないものだ。幻想をさらに増幅させるものだ。

恐れを愛に変えたい。恐れを愛に転換する。私は実在するものを選びたい。でも、こわい、いま。

とくに母の死は恐怖から想像することもできず思考停止になってしまう。

「実在性のないこと」なのだけど。

母にはゆっくりゆっくり生きてほしい。

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