レッスン13ー意味のない世界は恐れを生み出す

2016-06-04

レッスン13

私たちは「意味のない世界」「じっさいには存在していない世界」を実在するかのごとく知覚している、と思っている。

無意味だと感じることは、神から分離している者にとっては強烈な不安を引き起こす。

自我は実在しないがゆえに、自分の無能さと非実在性を証明されてしまうことを恐れ、空白に何らかを書きこもうとする。私たちはその書きこまれたものに、意味を見出している。そして、その意味を手放すことができないでいる。

「きわめて重要なことは、あなたが意味のないものを認識して、それを恐れずに受け入れられるようになることである」と記されている。

私は2年半かけてワークをやってきたけど、まだまったく「意味のないものを認識して恐れずに受け入れられるようにはなっていない」と、改めて思う。

世界がなくて、私が自分と思い見えているものが、本当はないのだということは、やっぱり心もとなく思う。私は、この私、見える私にしがみついているんだ。たとえ、どんどん変わっていく一時の存在だとしても。

2分位のワークを何とか3回やった。

キンチョーしていたセミナーの仕事当日

今日の午後は、ずっと前からキンチョーしていたセミナー講師の仕事だった。

時間をかけて準備したし、真摯に務めたとは思う。

だけど、内容を詰め込みすぎて、受講者の方々がワークをしたり意見を交わしあったりといった時間があまり取れず、私ひとりがしゃべっているかたちになってしまった。レジュメに盛り込んだ内容を終えるのに一生懸命で最後の質問の時間さえ取れなかった。

こんなに盛り込みすぎたのは、セミナーで空白の時間が生まれてしまうのが、怖かったからだと思う。

この1冊でテーマ全体を網羅して理解しやすいものを作ろう、と思ってレジュメを作ったことは本当なのだけど、全体で3時間半という時間の中ではやっぱり盛り込みすぎだった。

まるで今日のレッスンの中に書かれている「自我は、その空白が自分の無能さと非実在性を実証するために使われるかもしれないと恐れて、大急ぎで自らの考えをそこに確立しようと躍起になる」を地でいっているようではないか。

私なりにまじめにやったけど、また受講者さんにも真剣に聴いていただけたけど、帰り道「やっぱりだめだ」「私はこの役に十分な力を持っていない」とがっくり重い足をひきずって帰った。ひどく疲れた。こういう知覚も「分離している者」の感じ方なんだろうな。

明日、早朝、父の一周忌で故郷に帰省する。

ちゃんと起きなきゃ。

2度目のワークが意味があると思う。「やっぱり分離しまくっている私」はかなり残念だけど、それとわかるのもワークを通してなのだから。

 

 

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