ACIMレッスン243-今日、私はどんな出来事も裁かない。

2019-02-16

赦し…言うは易く行うは…

「赦し、赦し」とそればかり口にしているくせに、ささいなことでもひっかかってしまう。

甥っ子にバレンタインチョコを送ったがリアクションがない。甥っ子はとても大人しく口数も少ないが、妹は高3の受験生に「余計なことを」と思っているかも。

妹の誕生日があったから2月初めには妹にもチョコを送っていたが、それに対してもまったくノーリアクションだ。

仲が悪いわけではないけれど歳が離れているのもあって、妹が家庭を持ってからあまり行き来がない。

自分が勝手に送ったくせに…しかもささやかなもの。だけど、なんだか軽んじられている気もしてしまう。

それが自分の“罪”を赦すための赦しの機会だということは知っているくせに…。

気になったなら気軽に電話すればいいだけのことだけど、それもできず。

ACIMワーク243‐今日、私はどんな出来事も裁かない。

滞っているワークについて書こうと、「今日はどこから?お題は何だっけ」と見たら(ワークをやるのとブログに書くのとの間には少しズレがある)、これだった。

今日、私はどんな出来事も裁かない。

そう…、私は裁きたくなっていたのだ。

たかだかチョコレートの受け取り連絡がないくらいで、ネガティブに振れてしまうとは…

ACIM学習者ならずとも小さすぎる。

私は大昔家庭教師をしていたお宅から結婚祝いに高価なランプをいただいたが、お礼の連絡をしそびれたという大失態をしたことがある。

実家に宅配便で送っていただいたのだがその時慌ただしかったこともあって何か紛れて連絡しそびれてしまったのだ。

こう書いているだけで未だにピリピリする。なんでできなかったんだろう。

自分がそんな大それた失礼なことをしておきながら、人には小さなことでも見咎めようとする。それが私…

レッスン243の文言は穏やかに諭す。

今の自分の理解が及ぶはずもないことを、すでに知っていると思わないようにする。知覚の断片から、全体が理解できるなどと思わないようにする。」(L243-1-2,3)

それにより私は、もともと自分にはできない判断を下さずにすむ。」(L243-1-5)

すべては赦しのために…なんだよな。

私の見方が変われば、世界も変わる。それはワークを通して何度も経験している。

私に赦すべきことがあるから、見せてもらっていることなのだ。

私は今も神とひとつなのだから、自分も他者も裁く必要はない。

色えんぴつ画

2019-02-15

会場まちがえる

今週火曜は月1の色えんぴつ画講座があった。

この一ヶ月まったく画に触らず、先月のまんま。

慌ただしく準備して向かったら、だれもいなかった!

区のサークル活動としてやっていて、AセンターとBセンターのうち会場が取れたところでやっている。その会場をまちがえてしまったのだ。

あ゛~。

先月念押しされたというのに。。汗をかきながらあたふたAからBへと移動し遅れて加わった。

ミスのない日を送りたいと思い、今日こそはと思っているが、財布を忘れたり出がけに鍵が見当たらず遅刻したりとミスばかりしている。

風景画の建物がむずかしい

先月から習っているのが風景画。

いただいた写真と手順のレジュメを元にまず青色を塗る。先生は赤、青、黄色+白黒の5色のみで描かれる。私もそれに倣っている。下描き→青→赤→黄色→黒→調整の順で色を重ねていくのだ。

建造物描くの、難しい。

“情報”が多すぎて鼻から無理と思ってしまう。

「この写真は風景画のなかではうんと簡単なほうです。だって建物に窓がないから」と先生。

たしかに。窓がたくさんあったりした日にゃお手上げだ。

自分が実際には見たことがない風景を写真から絵を描くことも気乗りがせず、なかなか進まない。

「来月は風景画の続きでも自由画でもどっちでも好きなほうを」と先生。じゃあ、途中でやめようかな、それとも苦手克服?のために最後まで仕上げるべきか?

“芸風”をつくるには?

頭のなかでイメージしたものがさらさら描けたら、楽しいだろうに。

下手とはうまいとかはさておき、自分なりの“芸風”みたいなのがあって味があるっていうの、いいなぁ。

“自分なりの味”を出せるようになるには、たくさん描くことなのか…月1度しか画用紙に向かわないって、趣味にしてもなんだかな。

ベストセラーになった『大家さんと僕』のカラテカ矢部さん、たしかあれが初漫画って言ってたけど、上手。いい味出してるなぁ。お父さんが絵本作家さんというから素養がおありなのか。

たまに自分で描いたイラストとか載せておられるブログを見ると、そういうのも素敵だなと思う。

あれは…ペンタブとかいうので描いているのかしらん?私もやってみたいな。

自由に描くということを学んでいる

教えてくださる先生が「自由に描いていいんですよ」とおっしゃるので、描くことに対する縛りが次第に解かれていく。

色えんぴつ画講座は私にとってセラピーみたい。

やっぱり私はもっと自由に表現できるようになりたくて、行っているのかもしれないな。

先生は「絵は手で描くものではなくまず目で描くもの。しっかり見ることが大事」ともおっしゃる。

この世は幻想で五官は「幻影を作り出す器官」だと言いつつ、この世の細部を観察して絵を描く。

それもおもしろいなぁと思っている。

ACIMレッスン242-今日一日は神のものである。私はこの日を神への贈り物とする。

2019-02-14

バレンタインデー

バレンタインデー…愛する男性へチョコをというのは残念ながらできないけど、ちょうど母の誕生日。

で、毎年母にチョコレートを送っている。

一緒に洋服を送ったりしていたが、色やデザインが好みに合わないことが続き、2年前ついに「今後一切断じて服送るべらかず」というお達しが出た。

正座するのがきついと言い出したので正座用椅子を送ったら、「余計なことを」とひどく叱られたこともある。

母は正直だから、要らないものは要らないと言う。他の方への贈り物でも「合う」ことは少なくて、きっと私は「余計なもの」を贈っているんだろうなぁ。

今回はまだ北陸は寒さが続くだろうから、レッグウォーマーを添えた。これだったらミスマッチだとしてもダメージは少なそうだ。

ちゃんと届いたらしい。夕方母から、

「おいしいチョコレートありがとう。最近松山千春のCD(前に私が送った)をよく聞きます。今も聞いています。」とメールが来た。

「苦情」覚悟だったから、ほっとした。

ACIMワーク242‐今日一日は神のものである。私はこの日を神への贈り物とする。

私は世界を理解していないのだから、自分ひとりで生きようとすることは愚かである。

しかし、私にとって最善なることを知っている聖霊がある。

そして聖霊は、私のために喜んで、神へと導く選択だけをしてくれる。

私は帰還の時を遅らせたくないので、この日を聖霊に捧げる。

聖霊こそが神への道を知っているからである。」(L242-1-2,3,4,5)

そのとおり、と思う。

問題は、

(自分なりの方法で)ワークがちゃんとできているのか、

聖霊の声がちゃんとキャッチできているのか、

だけど、これも深追いして考えないことにした。

稼げてないことへの不安感、恐怖感、自己否定感がずっとあるけど、これも今しばし棚上げしようと思う。

気づけばすぐゲンジツに巻き込まれ、ザワザワしたりパニクったり、あるいは被害者になったりしているけれど、これも「作っているのは私だ」と思い出すことを心がけている。

日中はすっかり忘れているけれど、思い出した時に「そうだった」と思い返す。

なるたけ聖霊さんのしごとの邪魔にならないようにしたいけど、そういう舌の根も乾かないうちにまた邪魔してしまいそうだ。

私は恵まれている。感謝しよう。

ポジティブでいこう

2019-02-11

大雪注意?

関東には積雪注意報が出ている。

北海道や東北、北陸の雪が多いエリアから見たら「何を大げさな」という感覚だろう。

エアコンが苦手だから、この冬まだ一度もつけたことがないけど、さすがに寒い。

腰には腰巻きケットを巻きつけ、家の中だというのにユニクロのダウンコートを着てる。首には輪っかマフラー(スヌードというらしい)。足元は45㎝角のホットカーペット。これあったかい。

土曜日はWebデザイン講座の最終回。雪の予報にも関わらずみんな頑張って参加していた。

最終回はJavaScriptというプログラミング言語?によってサイト上にアニメーションもどきを創るというもの。

先生のテキストに従って、おまじないのような長いアルファベットと記号をパソコンに打ち込んでいくが、どこかで間違えてしまっているらしくうまく作動しない。

あ゛~間違ってるの、どこ?あ、これ?あ゛、待って。

その繰り返し。

もー、ほとんどお手上げ状態だった。

先生は丁寧なレジュメを下さっているから、自分でも復習できるんだろうけど、戦意喪失。

こういうもんはやっぱり若いもんのものかな、と思ったりする。

ネガティブの住人、やはりポジティブでいこう

ワークをしていて、というわけではないけど、最近ふと思ったこと。

私って、やっぱりネガティブだ。

この二元性の世界に、「Yes」の世界と「No」の世界があるとしたら、まちがいなく「Noの世界」に住んでいる。

「ある」の世界と「ない」の世界があるとしたら、「ない」の世界。

「ネガティブ」と「ポジティブ」だったら、やはり「ネガティブ」。

それは自分がどんな色眼鏡を通して世界を見るかと同じで、クセというか自分が落ち着くと感じるパターンみたいなものだ。けどそれはやはりよいクセではないな~と思う。

何も解決しないけれどグチを言って落ち着くみたいなものだ。

二元性ではなく一元性を目指している。「Yes」も「No」も、「ある」も「ない」も「ポジ」も「ネガ」も越えて「神だけがある」世界が真実だ。

だけど神なるものは豊かさであったり喜びであったり幸せだったりすると思うから、やっぱりこの世でネガかポジかで言えば、ポジのほうが神に近いように思う。

一時ネガを否認して何でもかんでもむやみに明るいのがいいみたいなポジが流行ったけどそれとは違う、静かなあり方として、

「Yes」「ある」「ポジティブ」の世界に住む。

「いえいえ、私なんか」「どうせ」「○○だから」「できない」はもう織り込み済み(そうでしょーよ)。それをわざわざ言わない。そう決めといたら、もっと制限が取れて自由になれるのかもしれない。

そうしたら、JavaScriptだってYesなのだからできちゃうかもしれないのだ。

こう書いてきて、ふっと思った。

私はもしかしたら、私というコンピュータに「私なんか」「どうせ」「○○だから」「できない」という言語をプログラミングしていたのか?

かなり基本的な部分にそれが書き込まれているんだろうか。

それを削除して、

「もしかしたら」「意外と」「○○でも」「できちゃうかも?」みたいなことを上書きできたら、ACIMの赦しの過程をすべて終えるのを待たずとも、見ている世界は変わるかも。たぶん。より自由で楽しいほうに。

年を重ねて新しいことをやるときの心得

2019-02-08

なかなか身に付かないWebサイトづくりのスキル

懲りもせず週末東京都主催のキャリアアップ講習「Webサイトデザイン」に通っている。

三日間午前9時~午後4時半まで、実際にパソコンを操作する実践講習だ。

明日が最終日。あ゛~、今回も操作についていくのにいっぱいいっぱいだったなぁ。

HTML、CSS、ドリームウィーバーなどこの手の講座を何年も前から受講している。だけど、受講したまんまで実際操しないからか身に付かずそのうち忘れてしまう。

また次に受講したときに、そういえば何かあったな、と思い出す。その繰り返し。

Webサイトづくりから言ったら、初歩の初歩のことをやっているんだけど。。ずっと初心者のまんまで足踏みしている。

私はよっぽどこういうことが苦手なのかな?

ばかなんだ。新しいことが覚えられない(*_*) 何年も同じ講座を受講して何やってるんだと我ながら呆れ気味だ。

だけど、去年、ある本のなかの言葉が気に入ってノートの表紙の裏に貼っていたことを思い出した。

確かめてみる。

あった…

歳を取って新しいことをやる時、心得ておくとよい4つのこと

若い時と違う点がいくつかあるけど、その点さえ押さえておけば「年配者でも『やれば新しいこともこなせる』というもの。

このマイナス面を認識した上で取り組めば、できないことはないと。

  1. 覚えるの時間がかかる
  2. 反復練習が必要である
  3. ときには年配者としてのプライドが邪魔をする
  4. 同時進行でいろいろなことができない。

この4つを心得えつつ「歳だから無理」という思い込みは捨て、ゆっくり時間をかけて覚えていけばいいとある。

そう考えたら、私は今、「反復練習」をしているところなのだ、と大いに励まされた。

私はまだそこまでの歳だとは思ってはおらず「年配者でも…」のフレーズが気にならなくもないが。

でも「症状」というか「現象」は同じだ。

残念なのは、感じ入ってコピーしてノートに貼ったのはいいんだけど、誰のどんな本かがまったく思い出せないこと。勝手に流用してすみません。

たしか図書館で借りた本だと思うのだけど。。。

よいことたくさん言っておられたから、同じ著者の他の本も読んでみたい気がするけれどもうわからない。(ネットでそれらしい言葉を入れて検索してみたけれど、さすがに無理だった)

今度貼り付けたいと思うようなことがあったら、出典もメモしておこう。

ACIMレッスン241-この聖なる瞬間に救済が訪れる。

2019-02-07

福袋買った

楽天市場内ショップのお知らせメールから、何気にサイトに飛んでいったら「福袋」が目についた。

レビュー☆4.75は高い。

たいがい福袋には「こんなのもらっても困るよね」っていうものが入っているのだと思っていたけど、「全部ちゃんと着られるものばかりです」「めちゃくちゃお得」等のレビューが気になってしまった。

ニットとカットソー5点でクーポン使って送料込み1839円。ポイントを消化するとすれば実際に払うのは900円。

買ってみる?

服が欲しいというより、福袋を覗いてみたいという衝動。何が来るかわからないのにワクワクして、ポチっとした。

そして来た。

地味だ。モノトーンに近い。

レビュアーさん方のおっしゃるとおり、全部使えそうなものばかり。

グレーのニット着てみたら着心地悪くない。福袋とは思えない実用性だ。

5枚のニット&カットソーにおまけの白いマフラー。これで1839円とは…安っ。

単品で売っていたら買うかどうかは別だけど、何が来るかな、どんなのかな、と思って待って開けてみる、その一連は思いのほか楽しかった。

薄手のものが多いから春先に着ようっと。

ACIMワーク241‐この聖なる瞬間に救済が訪れる。

第2部に入ってから、主題概念を第1部ほど重んじてはいない。

このレッスン241「この聖なる瞬間に救済が訪れる。」も、そっかぁという感じで読んでいた。

「聖なる瞬間」は私にはまだ遠そうだ。

「赦し」の宿題がたくさんあるから。

私はどうも自分がやりたいことや自分がそうでありたいと思うことの近くにコンプレックスがくっついているらしく、やりたいことや好きなことに向かいたいんだけど向かえない。

関心と羨望のそばには同時に強い抵抗感と恐怖もあるのだ。

これこそが私の赦しのお題なんだろう。

は~、今世200年くらい欲しいなぁ。

葛藤しているうちに終わっちゃうよー。

昔読んだ本のフレーズ「これがあなたの人生だ。リハーサルではない。」が頭に浮かんできた。

何だっけこの本、とAmazonにうろ覚えのフレーズを入れたら、タイトルが出てきた。

『誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則』

便利な世の中だ。

なつかしいなぁ。この本。

こういう自己啓発本の類は『奇跡講座』に出会ってからまったく読まなくなったけど、たまには背中を押してもらうのもいいかもしれない。

ひゃあ~、ずっとリハーサルというか「いつか」と思って生きてきたけど、今が本番だよ~気づいたらエンドロールなんてヤダ。

この人生は幻想だからまあいっか、とはならない。

自分の心の抵抗感や恐怖感からもっと自由に生きたい。

第2部-3.世界とは何か

2019-02-06

内なる恐怖心の強さったら

おもてなし英語講座4回目。

二人組になって「一人でいる時最近何している」という会話をし、それをみんなの前で発表するというのをした。

私は去年の引っ越しを機にAmazonプライム会員になり、用意されているプログラムをテレビで見るという楽しみを覚えた。

今はまっているのが『ダウントン・アビー』という英国のドラマだ。だからそのことを話した(カタコト)。若い女性パートナーさんは、スノーボードやテニスを楽しんでいると話した。

ド下手でも一度さらしてしまえば楽になる。

参加者の方はみなフレンドリーな方で、私の諸々の引け目のようなものも私の過剰反応だと感じた。

しかし、私は物心ついた頃から人と世間に怯えていた。

その内なる恐怖感の強さったら!

どんだけ怖がっているんだか…。改めて認識した。

すべては私が自身の心を映した鏡なのだ。

『奇跡講座』を学んで、自分が世界というものを少しは知っているつもりになっていたが、知っているだけではだめ。エゴが解体されないことには前進できないのだ…

世界とは何か

世界とは、恐ろしい神から私たちが逃れるために自分にかけている催眠術の舞台ようなものだ。

だから本章は、「世界とは、誤った知覚である。」(第2部、3-1-1)という。

そもそもの誤解は、自分たちが自らの意志で神から離れたと誤解をしたところから始まる。

神はさぞかし怒っているだろう。とんでもないことをした。報復は免れない。

そのあまりの恐ろしさからの逃亡先がこの幻影の世界だ。

世界は神に対する攻撃として作り出された。それは恐れを象徴している。そして、恐れとは、愛の不在以外の何だろうか。」(第2部、3-2-1,2,3)

だから世界とは、神を締め出せる場所、神の子が神から離れていられる場所となるためのものだった。」(第2部、3-2-4)

この催眠術の舞台で、私たちは催眠術の手段である知覚をもって、イリュージョンを見続けている。

それは神から離れたという最初の誤解を強化するものだ。

その誤解をさらに強化するのではなく、解くほうに向わなければ私たちに救いはない。

催眠術を解くのが、私たちの中に今なおある神の記憶だ。

あまりの恐怖に覆われて見えなくなっているが、恐怖の奥には真理がある。

それを誘ってくれるのが、聖霊だ。

聖霊の光に従い、聖霊が見る通りに世界を見なさい。あなたに語りかけるすべてのものの中に聖霊の声だけを聞きなさい。」(第2部、3-4-3)

つまるところ、世界とは自作自演のホラー映画なのだ。ただ私が聖霊に従う決断をすれば神と愛を映すものに変えられる。。。

これが信じられるかどうか。

私は信じる。

私は恐怖心が人一倍強い。でも私という人生のなかでなるたけ軽くしたい。

神はこの世を創らなかった

2019-02-05

『奇跡講座』の話はこれを真実とぜず、単に「おはなし」として聞いてもとっても興味深いものだと思う。

だけど、原文は英語だし翻訳された内容もきわめて抽象的で難解だ。わざわざこれを読んで理解したいと思う人は限られる。

そこで、自分なりにそのエッセンスをまとめてみたいと思った。これもこのブログを作りたい目的だった。

しかし、平易なことばで書くためには私がしっかり理解していないと…、私の見方が正しいとは限らないし…、とまったく手がつけられないでいた。

そう言っていたら人生が終わってしまう。

私のフィルターを通したものでいいじゃないか、まちがっていても構わない(自分の頭の整理のために)ということで、少しずつ『奇跡講座』のおはなしを書いてみたいと思う。

  *   *   *   *   *   *   *   *   *    *   * 

そこでまず、「神はこの世を創らなかった」。

この世には不幸なできごとや理不尽なできごとが溢れている。

私たちはそんなできごとに巻き込まれたり見たりした時、心のどこかで「この世には神も仏もない」「神さまはひどいことをされる」と思っている。

私たちはたしかにここにいる。お父さんもお母さんも、子どもも、隣のおばさんも総理大臣もいる。外国にもたくさんの人がいる。

人間だけじゃない。ペットの猫もいれば、動物園のゾウもいる。みんな地球という星で空気を吸って水を飲んで生きている。

水中にもたくさんの生き物がいる。動物だけじゃない、木や花もたくさん生えている。みんな生きて子孫に命をつないぐ営みをしている。

昼は太陽が暑く明るく光り、夜は暗闇の中で月と星が輝いて見える。

私たちが住む地球や宇宙は、だれが創ったのだろう。

私たちは自分の意志で生まれてきたわけではない。どうしてここに放り出されているのだろう。

わからないけれどこれらすべてには何らかの崇高な意志がはたらいているにちがいない。

この世を創った崇高な意志。言葉にするなら、それは神さまだと思っている。だから何かが起こった時「助けて神さま」と思う。

だけど、ほんとうは神さまはこの世を創っていない。

これが平たく言った『奇跡講座』の根幹ではないだろうか。

だから、この世でひどいことが起きたとしても、逆に素敵なことが起こったとしても、それは神さまの采配ではない。

神さまはこの世で私たちに起こったことに関知はしていない。

神がいないのではない。

神はある。

だけど神はこの世を創らなかった。

神は空も土も水も地球の一切、宇宙の一切を創っていない。

このおはなしはそこからだ。

過去ノートからのヒント

2019-02-01

私はいろんなことを1冊のノートにメモしている。その日やるべきことややったこと、食べたものやワークをして感じたこともこれに書いている。

管理が下手で忘れっぽいので、なんでもかんでもこれに書いておけば何とかなるといった発想だ。食べたものまで書く必要もないのだけど習慣になってしまっている。

過去ノートを見る機会があって、ワークをしていた際の感想を目にした。

2015年5月。レッスン265をやった際の感想。ACIMダイアリーブログを始めたいと思いつくが、どうも行動に移せなかった頃のものだ。

「ACIMブログは聖霊に任せておけばよい。(「承知した」的な応えを感じた)

私は…

  • 目の前に現れることをロールプレイゲームのようにやっていく。
  • 誰がが来たら、愛をもって応じる。
  • 不安はもたないように。
  • 怒りや罪悪感は赦す。

実にシンプルだ。

  • 「できない」と思っている自分も赦す。」

 

これを読んで、なるほどな~と思った。

箇条書きにしている部分は今の自分にとっても指針となりそうだ。

もしかして今の私より当時のほうが理解できてた?あるいは言うことは一丁前だったか。

わかったようなことを言っていても、言うは易し行うは難し。すぐ忘れちゃうんだよなぁ。

それでもこの後ACIMダイアリーブログを作ってACIMを日常的なものにできたことは、私にとってはよかった。

過去の自分にヒントをもらった感じ。

大事なことは標語みたいにどこかに書いて壁に貼り出しておこうか。。

ACIMレッスン240-恐れはいかなる形においても正当化されない。

2019-01-30

今さらながらの“怯えているエゴ解体講座”

おもてなし英語講座の第3回目。他の参加者の方とのレベル差を知った私は参加するのがイヤになっていた。

なによりコミュニケーション自体が怖かった。

そもそも申込時から想像できたこと。

まず自己紹介的なことがあるだろう。そこでは仕事や家族、趣味などについて質問し合ったりするだろう。その時にプレゼンできる触りのいいことが私には思い当たらない。。。

バツイチ独身家族なし、無職状態、若くない、内向き…

どんな音楽が好きかとか、あるいはどんなスポーツをやっているかとか…そういうのも答えようがなくて、さえないつまんない人だなと思われるのが怖かった。

でも、怯えているのはエゴで、これはそんなエゴを解体することこそ、この講座の目的なのだと気づいたら、見え方が違ってきた。

これは赦しのチャンスに他ならない。恐怖心や劣等感が浮かび上がったらその都度赦し手放せばいいのだ。

先週やった二人組になってみんなにパートナーさんを紹介する他者紹介、私とパートナーさんはまだだった。続き、今週はもうやらないかなと思っていたら、やった。

先生が「Next」と言われるのに躊躇していたら、結局最後になってしまった。

取り繕ってもしゃべれば、英語スキルは丸見え。みんなの前で下手なりに他者紹介を済ませられたら、すっきりした。

来てよかった。

参加しなかったら、低くなっている社会的自己評価がますます低くなっただろう。

「説明できる自分がない問題」だって、エゴが問題だと思っているだけで私の内に恐怖心や罪悪感がなくなれば、見え方はずっと違ってくるのだろう。

ACIMワーク240‐恐れはいかなる形においても正当化されない。

レッスン240は、私にはとくに沁みる主題概念だ。

恐れは偽瞞である。それが証言していることは、あなたが、決してありえない姿の自分自身を見たということと、それにより、あなたがありえない世界を見ているということである。」(L240-1-1,2)

それは、自分自身についてあなたが抱いている幻想を証ししているにすぎない。」(L240-1-5)

私たち一人ひとりが愛そのものの一部なのだから、私たちの中に恐れはない。」(L240-1-8)

重要箇所に線を引いているうちに全部になってしまう。

自分ではACIMを継続して前より恐れを手放せているつもりだけど、私の対人(対世間)恐怖って強いんだな~と改めて思う。

これまではわりとペルソナ(仮面)をうまく使えてきたほうだから、生身の傷つきやすさに直接触れないで済んできたのだ。

でも仮面はいつまで経っても仮面だし、それでは生きたことにならない。

恐れはいかなる形においても正当化されない」は、「怒りは決して正当化されない」(T-30.VI.1)とともに、私にはとっても大事な概念。おまじないと言ってもいい。

よくよく覚えておこうと思う。

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