奇跡講座ダイアリー

小保方さんの『あの日』

2016-02-11

『あの日』を読んだ

小保方晴子さんの著書『あの日』を読んだ。

この本は発売直後からアマゾンのレビューを覗いていたのだが、そのレビューがどんどん増え、最初は☆1つが多かったのが、そのうち☆1つと☆5つの両極に分かれた(現時点では総レビュー数ちょうど400、うち☆5つ 213、☆1つ 107、残り83が☆2~4)。

レビューの内容も☆1つが「あいかわらず虚言癖、人格障害」や「お金もうけ」「本を書くより科学で証明しろ」、☆5つが「真実がわかった」「科学の世界の闇」「小保方さん、がんばれ」「黒幕は若山教授」等。

本を読んでいないレビューも多く、書籍に対するレビューというより、小保方さんとこの騒動そのものに熱く反応しているのだった。

一体何が書いてあるんだ?

だんだん気になって、ついに日曜近所の書店で買って一気に読んだ。

「STAP細胞」騒動の真相は?

前半は早稲田大学に入って研究者への道を志し、のちにSTAPと名づけられる細胞の変化を見つけ出す若い女性の人生への期待感と野心、後半はあの世紀の発見⇒ねつ造と、一転どんどん袋小路に追い詰められていくサスペンス感、文章も読みやすく本としてはかなりの出来だと感じた。

小保方さんの主張は、STAP現象はある。だけど、「STAP細胞の成功・存在の証明は常に若山先生がいなければなしえないものになっていた(P92)」、その若山先生が会見後いち早く被害者役となって小保方さんにねつ造を押しつけた、それは理解できない、というもの(たぶん)。後半にいくにつれ若山先生の責任を追及する論調が強くなった。

私はどちらかというと「小保方さん、がんばれ」という気持ちがあって本を手に取ったが本を読んだかぎりでは、あの騒動の真相まではわからなかった。

魔女裁判みたい

ただ、どなたかがレビューで書いておられたけど、医学界やマスコミによる「中世の魔女裁判」さながら、といった印象は受けた。

早稲田大学の博士号まではく奪されてしまうのは行き過ぎのような気がする。一度は審査して通ったのだから、教育的措置を施したあと、取り上げる必要まではなかったんじゃないかと。

小保方さんは、たしかに何らかの「魔力」は持っていたと思う。前半、大学から研究者としての人生で、えらい人(年長の男性)と出会うたび「うちに来ませんか」とあれよ、あれよといううちに出世していく。それは、「わらしべ長者」のお話みたいでもあり、発端は実力というよりは「魔力」みたいに感じた。

その彼女が「STAP現象」を発見する。そして「若山先生からの指示を受け~(中略)~論文にまとめ投稿をはじめていた(P96)」

そして笹井先生の助力も得て、ついに、ネイチャー誌の論文受理まで得てしまう。小保方さんが科学的裏づけのない、単なる魔力の使い手だとして、並みいる優秀な頭脳をそこまで騙せるものなんだろうか。そもそも騙し続けられる勝算がないなら、小保方さんの「ねつ造」の動機は何だったんだろう?

「魔力で登りつめた」ハシゴはあろうことか、共著者の一人、若山先生に外されてしまって、後はまっさかさまに落ちてしまう。そこからは、やっぱり「魔女裁判」だ。

その後の検証実験のさまの描写では、まさに「(小保方の)『魔力を使うことを防ぐために』監視カメラや立会人による24時間の監視に加え、行動のすべては立会人によって記録された。…壁にある釘の跡のほんの小さな穴も、セメントで埋められた」(P217)と実験の際のきびしさを記述した部分が続く部分では、ちょっと笑ってしまった。

もしかしたら?

小保方さんの本を読んだ話を何人かの知人に話したが、みんな一様に反応は厳しい。小保方さんの人となりに対するバッシングがすごくて本の話をすること自体がむずかしい。

もう科学者としての道具をすべて剥ぎ取られ消された人だ。この本はそんな人のいわば「たわごと」だ。それをどうして、こんなに本気でやっつける必要があるのかな。小保方さんの何が、人をこんなに不安にさせるんだろう。

もしかしたら、「STAP細胞」は本当に、ほんとうにあるのかな。

そう思ったりもする。

『奇跡講座』の視点から

『奇跡講座』の視点から見たら、魔女裁判は『不死というあなたの現実』でも書かれているように「無意識の罪悪感の投影の典型的な例」といっていいだろう。不安や恐怖を自分以外の投影しやすい人に投影する。いったんやり玉にあがった人は、さらに投影を受けやすくなる。

そして、これは、私が見ている「映画」の一場面でもある。小保方さんを非難するのは論外だけど、どっちが正義だと論じるのもまたちがうのかもしれない。個人的にはどんなメッセージが読み取れるのだろう。

また余裕ができたら、再読してみたい。

だれにむけて、何を?

2016-02-08

 先週の金曜日、電車とバスを乗りついで、知人の元経営コンサルタントの先生のところにおじゃました。先生とは直接仕事で関わったというわけではないが、ご縁があって、近年は年に数回お目にかかっている。

 齢80ウン歳だが、いつも前向きで向上心にあふれ、こういう歳の重ね方をしたいと、尊敬している方だ。現在はひとり暮らしで、施設に入居されている奥様を老々介護しておられる。

 その先生が、以前コンサルティングをしていた会社の社長からの依頼で、その会社の社史を作っているのだと、ラフ原稿を見せてくださった。

 そして、私に、「この原稿の校正をしてくれないか」とおっしゃった。

 私は、たまに「文を書く」仕事もしているが、校正はやったことがない。でも「他に頼む人もないし、出来不出来はいいから」と言われ、原稿とデータを預かってきてしまった。

 しかし…何をしたらいいんだろう。これを抱え込んでじっくりやったところで、正確な仕事ができるわけではない。だったら、私のところで止めるより、早さだ、と週末すごい勢いでやっつけた。 (さらに…)

「母の形見」の指輪への執着

2016-02-04

 まだ小さな問題箇所はあるものの、一応お風呂の改修工事が終わった。今日から自宅のお風呂に入ることができる。

 とても小さなお風呂ではあるけど、やっぱり自宅でお風呂に入れるのはいい。真新しい薄ピンク色の湯船に、今夜浸かろう。

 今日は念を押して出かけたので、工事監督担当者はちゃんと家で待っていてくれた。ほっとした。(まあ、工事終了確認もあるし当たり前ともいえるが)

 昨日の私は、再び「鍵開けっぱなし無人状態」で部屋を後にされてしまうのではないかと不安で、母から形見としてもらったサファイアの指輪をしっかとバッグに忍ばせて美容室に出かけた。

 ふりかえれば、これは『奇跡講座』の基本的考えとは反した行動と言えるだろう。

 父母もまたこの世の幻影に過ぎないのだし(両親を言う前に、この体を持った私自身も幻影だ)、両親とその他の人への愛に区別があると感じていること自体、二元性の考え方だから。 (さらに…)

ゲンジツはワークの応用編

2016-02-03

 解体工事、お風呂本体の組立工事…と続いたお風呂のリフォーム3日目。

 昨日と一昨日、家には職人さんがいてまだ作業中だと思って家に戻ったら、とっくにその日の工事を終わらせていて、家には誰もおらず、鍵も開いたままだった。

 工事監督の担当者は「私がいますから大丈夫です」と言っていたのに!…と連絡したら、数分して「今日の作業は終わりました」と顔を出した。(近くに止めた車の中にいたから、それで)問題ない、と思っていたらしい。

 私はといえば、ゴミだしの短い時間でも鍵をかけていく方だから、近くにいるとはいえ鍵もかけずに家を空ける感覚が信じられなかった。しかし、まともに異議申し立てもできなかった。

 そして、そのことが気になったのか、深夜目が覚めそこから寝付けなくなってしまった。

 「やっぱり家の鍵を開けたままで放っておかれるのはいやだ」「明日は私が戻るまでちゃんと家の中にいてくれるよう頼もう」「嫌な感じにならずに、ちゃんと言えるだろうか」…考えだしたら、ますます眠れなくなった。 (さらに…)

日常生活にちょっとでも負荷がかかったら

2016-02-01

 昨年12月の初め、下の階のお家に水漏れが発生した。管理会社が原因を探ったところ、我が家のお風呂の排水管から漏れていることがわかった。もう築30数年の古マンションだから、本来だったら給排水管全体の工事が必要な時期なのだ。毎年、どこかの家から漏れ、つぎはぎの工事が行われている。

 水漏れを解決するにはお風呂全体の交換が必要だということで私にとってはかなりの出費だが、今日から4日間お風呂の工事が行われることになった。2ヶ月くらいとはいえお風呂がない生活だったから、工事が済んで銭湯に行かなくてすむようになるのは、とってもありがたい。

 工事が始まったのはよかったのだが狭い家に人がいる、という状況にキンチョ―しまくり、何も手につかなかった。午前中に早々に“退散”して図書館に行ったけど、今度は家を知らない人に任せっきりで大丈夫か、冷蔵庫の中を見られたり仕事場を覗かれたりしないか、と気になって疲れてしまった。
(さらに…)

自分を表現するのがこわい

2016-01-30

 ここ数日、仕事の締め切りで慌ただしく気持ちが煽られてしまって『奇跡講座』ダイアリーのほうに向かえなかった。フリーランスで働く私は、仕事が忙しい時とそうでない時の差が大きい。これまでも仕事が詰まるとワークが中断してしまうことが、何度もあった(いくらこの世が幻で私は体ではなく霊だとしても、幻のなかに生きているこの肉体としての私には、たまにやるべきこともたまにある)。

 そうして、しばらく離れていると、そもそも何をやっていたんだっけ?と『奇跡講座』の世界観がわからなくなってしまう。また『神の使者』と『不死というあなたの現実』を読み返しこれまでのワークの復習をして、ワークに戻っていくというのが、常だった。

 『奇跡講座』に惹かれて、ブログを作ることに決めたけど、なかなかスタートできなかったのは、ITが苦手でブログをどう作っていいかわからない、という理由もあったが、それ以上にもう一つの理由、「こと『奇跡講座』に関しては妙に肩に力が入ってしまう」というほうが大きかったように思う。

 だいたい、『奇跡講座』の世界観の概要をブログ内のどこかで説明しておかなければ、日記を書いたところで、「なんのこっちゃ、これ?」ってなるだろう。 (さらに…)

ITにがて

2016-01-26

 昨年6月には『奇跡講座』についてのブログを作りたいと思っていたのだが、思いのほか時間がかかってしまった。

 こと『奇跡講座』については妙に肩に力が入ってしまうことと、ブログをITに含めてよいかわからないけどIT全般に自信がないことで、ぐるぐるしてしまったのだ。

 ブログというのは、10年以上前に数ヶ月だけやったことがあって、その時は「楽天ブログ」で日々思いついたことを気ままに書いただけで、そうむずかしくは感じなかったけど、さて私の「大事な」奇跡講座のブログをどこのブログサービスでやったらいいのだろう?

 ブログの会社比較を見たりして「FC2ブログ」がいいのかな、と思い、「FC2ブログ」の本を買って見てみたりした。

 そのうち、何かで「無料ブログサービスより、独自ドメインをとってWordpressで作ったほうがデザインも自由でサイトが自分のものになるからおすすめ」といった記事を見つけ、「そうかWordpressというのがいいのか」と今度はWordpressの参考書を買ったりした。 (さらに…)

ブログのきっかけ

2016-01-25

 昨日も寒かったが、今日もしんしん冷える。

 締め切りが近い資料づくりの仕事がまだ終えられず、ブログを始めて一週間もたってないのに、早くも途絶えてしまいそうになる。

 家のお風呂が壊れてしまって、先月から銭湯通いをしている。銭湯は徒歩3分と近い。湯量が多いからかお風呂上がりは芯から体が温まり、帰り道は火照った頬に冷たい風が心地いい。だけど今夜は、相当寒い。銭湯に向かうのに、エイッと気合が要りそうだ。

 最近、ひとり暮らしの人のブログをちょこちょこ見て楽しんでいる。

 人がブログを始めるきっかけって、どんなことなんだろう?みんな何を求めてブログを書き続けているのかな。

 そして、私の場合は― (さらに…)

ワークのきまり

2016-01-23

 今夜から明日にかけて、この冬最も強い寒気が流れ込んでくる見込みで、北陸や西日本では大雪になる所もあるとのこと。

 こんな晩はあったかくして家にいるのがいちばんだ。

 最近のマイブームはホットカルピスワイン。少しの赤ワインとカルピスをお湯で割ったもの。色は混ぜたピンクの絵具みたいですごいけど、甘くてけっこう温まる。

 さて『奇跡講座』のワークは、365つある。1日にひとつずつやってちょうど一年分。

 しかし、1日1レッスンと定められているわけではなく、特に惹かれるものにはもっと日数をかけてもよいとされている。ただ、ひとつ「1日に1レッスン以上進もうとしないように」という縛りがある。 (さらに…)

『神の使者』から『奇跡講座』へ

2016-01-22

 『奇跡講座』は、アメリカ人女性ヘレン・シチャッククマンが1965年から75年、イエスキリストのメッセージを受け取り、それを書き取り編集したものだという。アメリカでは1976年米国で出版されて以来、20か国語に翻訳され、累計販売数は200万部以上と言われている。

 テキスト編、ワークブック編、教師のためのマニュアル編と3部に分かれているというが、『神の使者』と続編『不死というあなたの現実』ではいずれも「邦訳なし」となっていた。『不死というあなたの現実』の出版が2008年6月だったから、その時点ではたしかにそうだった。

 しかし私が『神の使者』を知った2012年4月には、すでに日本語版が出ていた。2010年12月に『奇跡のコース』テキスト編が、2012年12月にはワークブック編、教師のためのマニュアル編がナチュラルスピリット社から出版されている。 (さらに…)

転換点

2016-01-21

 毎日いろんなことがあって目の前のことに対応するだけで日々が過ぎていくけど、ふりかえって、

 「ああ、あの時が転換点だったのかな」と思うことがある。

 私にとっては2012年4月20日、『奇跡講座』を紹介した『神の使者』という本を図書館で借りたことが、それだ(同書の中では『奇跡のコース』と訳)。

 最初は、何だか読みにくくてむずかしい本だな、という印象だった。しかしゆっくり読み返すうちに惹かれるものがあり、近くのブックオフで見つけて購入、その後続編となる『不死というあなたの現実』も見つけて買った。

 よくわからないながらも、読み進めるうちに、「すごいことが書いてある」と、興奮したのを覚えている。

 この2冊は、著者ゲイリーの前に、ある日現世から天上界へと上ったアサンティッドマスターの兄妹が現れ、ゲイリーにこの世の「しくみ」を教える、というもの。

 これだけ聴くと、天使とかが出てくる「スピリチュアルな本」という感じだし、そしてアサンティッドマスターの兄妹とゲイリーとの対話形式で進む話は軽妙でもあるのだけれど、内容はあまりに荒唐無稽で衝撃的だった。

 だって、この世はすべて幻で、私たちは壮大なバーチャルリアリティの中にいるというのだから…。

 一方で、腑に落ちる、とも思った。この世はおかしい、どうしてこうなのか、と思えていたことが、アサンティッドマスターが教える見方で見ると、「なるほど、そうだったのか」と納得できるようにも思えた。

 『神の使者』と続編『不死というあなたの現実』でアサンティッドマスターが展開するこの世のしくみは、『奇跡講座』の教えに沿っている。『奇跡講座』の世界観を平たく口語調で表現したのが、『神の使者』と言ってもいいだろう。

 そこから、私の『奇跡講座』への興味が始まった。

ブログを始めてみる

2016-01-20

はじめまして。タマソニアと申します。

2016年1月20日。今日からブログをスタートしたいと思います。

テーマは『奇跡講座ダイアリー』。ひと言でいうと、私の奇跡講座の学習ブログです。

こんなマニアックなブログ、見る人なんているかな?と思うけど。

ともかく始めてみます。よろしくお願いいたします。

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