奇跡講座ダイアリー
ACIMワークブック315-私の兄弟が与える贈り物はすべて、私にも属する。
2020-01-08
私が兄弟に感謝の気持ちを差し出すことができますように
「私は一日中、自分が思い描ける一切の価値を凌駕するほどの贈り物によって、祝福されている。ひとりの兄弟がもうひとりに向かって微笑み、私の胸は喜ぶ。誰かが感謝や慈しみの言葉を語り、私の心はこの贈り物を受け取って自分のものとする。」(W-pⅡ.315:1.2-4) (さらに…)
金沢の友人宅で話すことは…
2020-01-06
せっかく富山まで来たのだからと、おとといの晩金沢の友人宅まで泊まりに行ってきた。 (さらに…)
83歳母-好奇心とアナログ・エバーノート更新中
2020-01-04
母、お手製エバーノート更新中
昨年のお盆に帰省した際、母がノートを作っているのを見て「あ、これ、エバーノートだ、アナログだけど」と思ったことを、以前ブログに書いた(2019年8月17日日記)。 (さらに…)
ACIMワークブック313-新しい知覚が私に訪れますように。
2019-12-31
新しい知覚が訪れますように
「キリストの目は赦された世界を眺めます。彼の視覚の中では、世界のすべての罪が赦されています。彼の視覚の中では、世界のすべての罪が赦されています。彼は自らが眺めるものの中にまったく罪を見ないからです。」(W-pⅡ.313:1.4-5) (さらに…)
ACIMワークブック311-私はあらゆるものごとを、自分が望む通りのものとして判断する。
2019-12-24
判断せずに生きる…?ん?あまり考えないことにしよう
「判断というものは、真理から身を守る防衛の武器として作り出された。それは判断されている対象を分離させ、あたかも別個のもののように引き離す。それからそれを、あなたが望む通りのものに作り上げる。 (さらに…)
ACIMワークブック第Ⅱ部‐10.最後の審判とは何か
2019-12-23
最後の審判とは訂正という贈り物
「最後の審判」は、この間テキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』2章でも見たところだ。 (さらに…)
『Journey through the Text of ACIM』(16)-2章 最後の審判-プロセスの終着地点
2019-12-17
「最後の審判」…ACIMによる伝統的キリスト教概念の再解釈
[caption id="attachment_7751" align="alignleft" width="380"] 一般的な「最後の審判」のイメージ[/caption]「最後の審判」も時おりACIMで見かける、伝統的なキリスト教概念のイエスによる再解釈だという。 (さらに…)
『Journey through the Text of ACIM』(15)-2章 赦し
2019-12-16
先週末のシェアの会、話すことで腑に落ちていく
土曜日、テキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』のシェアの会があった。 (さらに…)
『Journey through the Text of ACIM』(14)-2章 心の力:原因と結果②
2019-12-13
ワプニック先生のテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の第二章「分離と贖罪」の6節「心の力:原因と結果」の後半のざ~っくりまとめ。 (さらに…)