ACIMワークブック312-私はあらゆるものごとを、自分が望む通りのものとして見る。

2019-12-27

知覚は判断に従う

知覚は判断に従う。すでに判断したからこそ、私たちは自分が見たいと思ったものを見る。」(W-pⅡ.312:1.1-2)

自分が見たいものを見過ごすことも、自分で見ると選択したものを見損なうこともありえない。見るときに聖霊の目的を自らのゴールとする者の神聖な視覚には、確実に実相世界が訪れることになる。」(W-pⅡ.312:1.3-5)

エネルギー切れで調子を崩している。

クリスマスの街の気に当てられたかな。一夜漬けの色彩ワークショップの資料作成で頑張りすぎたか。はたまた25日の夜ゆうゆう窓口に駆け込んだ年賀状づくりか(どっちにしてもフツーに働いているひとからみたら屁でもないことだ)。

あさって帰省予定でこれまたエネルギー要るから、本当はフル充電しておきたいところだけど。。。

昨日は外出をとりやめて“充電”に努めたけど、まだ3割くらいかな。

とにかく疲れやすいのが弱点だ。

前よりは自分とのつきあい方にも慣れてきた。

あぶないな、と思ったら無理しないでなるたけ消耗しないように家でおとなしくしている。無理そうだと思ったら料理とかもしないでテキトーに済ます。刺激を避けてただぼーっとしている。

…とすこしずつ、あれ、動けるかも?という気分になる。

ちょこちょこ掃除や片付けをしたくなったら、回復の兆しだ。

今日は、掃除機もかけたし洗剤やお掃除グッズなどの買物にも行ってきたから、少し回復してきている。

この中途半端な状態で帰省という長旅をするのがちょっと不安だけど、予定や約束を変更するにもまたパワーが要るから、ともかくこのままで。。明日もう少し充電して。

「疲れはエゴの過剰防衛」!?

今朝ワークをしているとき漠然と疲れやすさのことを考えていたみたいで、「疲れはエゴの過剰防衛」ということばが浮かんだ。

たぶんそうなんだろう。

普段の生活から無意識のうちにどこかしら防衛しているのかもしれない。

それを言うなら、物心ついた頃からかな。

神さまを頼みにして素直なきもちで生きられていたら、疲れる必要なんてないんだよな、本来。

無自覚ながら周りを“敵”にしてしまって、身構えているんだろう。

疲れたという「知覚」は、私の「警戒せよ」という「判断」に由来しているのか。やれやれ。

私は周りのひとによくしてもらっているし、横断歩道でも知らない車にも止まってもらえることが多いし、「外に出れば七人の敵がいる」なんてことはないのに…

来年の目標は、「疲れない自分になる!」かな?

もしかしたら、これが今年最後のワークの日記かな。

いったい2019年いくつワークブックのレッスンをブログにしているのか見てみたら、ちょうど80コだった。

このまま続けられたら令和二年中には、ワークブック終えられるな~、ああ、考えもまとまらない。ブログ更新できてしあわせだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る