レッスン110-私は神が創造したままの私である。
2017-05-17
チャレンジが大事!? ひとり身だからこそ
“母へiPad mini”プロジェクトは、「こんなもの、もったいない、余計なものを」と言われてしまう危惧もあったけど、2日間の手ごたえはまずまず。興味を持ってくれたみたい。使いこなして、ひとり暮らしの刺激になってくれたらいいと思いつつ、東京に戻った。
iPad miniは私も何年か前にWi-Fiモデルを買ってポケットwifiなるものを契約して使っていたけど、持ちだそうとすると意外に重く感じて実際持ち歩くことはなく、ポケットwifiは2年契約終了を待って解約。
家にはWi-Fiの環境がなかったので、前に入れた大畑学さんの『A Course in Miracles Workbook精読』『A Course in Miracles Text精読 』といったACIM関連の電子書籍を読むためだけのツール(すなわち本)になっていた。けれど、母のおかげで入門書をいっしょに読んで一緒に触って、私も家でいろいろ使えるようになったら楽しいかも、と思った。
50代になって「世の中がひとつ便利になると、自分はひとつ置いていかれ不便に」みたいに思っていたけど、ひとり身だからこそ情報は大事かな、ITやSNS関係のこと、少しずつでもチャレンジしていこうかな、と思えた。
今、ダイアリーを書いているこのブログも、ワードプレスの基本的な使い方やカスタマイズがわからなくて、マズイ状態のまんま放置しているのだった。まずはこれを何とかしなきゃ。
レッスン110-私は神が創造したままの私である。
このレッスン110の主題概念もまた、ACIMの基本となる考えだ。
この言葉だけですべてのことが含まれている。
「あなたが神が創造したままであり続けるなら、見かけだけのものが真理に入れ替わることはできず、健康が病気となることも、死が生の代替となったり、恐れが愛の代理になることもありえない。あなたが神が創造したままであるなら、こうしたことのすべてがもともと起ってはいない。」
と説明がある。
これは短い言葉でACIMの考え方をわかりやすく示しているように思う。また、
「もし、あなたが神が創造したままのあなたであるなら、あなたの心が神から分離したことはなく、あなたの心とほかの者たちの心の間にいかなる分裂もなく、あなた自身の心の中には一体性があるだけである。」とも。
これは私たちが「戻りたい先」を表しているようにも感じる。これは説明があるとおり「もともと起ってはいない」ことだ。
レッスン110のワークでは、
「私は神が創造したままの私である。神の子が苦しむことはありえない。そして私は確かに神の子である。」という言葉をしっかり心に抱き、
「神が創造したままの私」=「内なるキリスト」を、心のうちに探し、認める。1時間に5分のワークで、自分のもっとも聖なるところにアクセスする練習をする。
ワークの終わりには、
「一日を通し、感謝の気持ちで神を思い出し、今日私たちと出会うすべての者たちに、愛に満ちた思いを抱く。私たちはそのようにして神を思い出すからである。」とある。
これはとても美しい文言だし、実践的なアドバイスだと思う。
ワークをして
シンプルなワークだけど、「私は神が創造したままの私である」と受け入れることが、実はもっともむずかしいんだろうな~と思った。
つい、「そんな…、こんな罪深い私を」といった気持ちになってしまう。心の形状記憶合金があるみたいだ。
でも、私は少しずつだけど、ACIMの考え方が浸透してきているし、エゴをベースにした考え方よりこっちの方が理にかなっていて整合性がある、と感じている。加えて副次的効果として、このゲンジツの世に対してよい結果ももたらすと経験しつつある。
だから、世の中からは狂っているように思われるかもしれないけれど、なるたけACIMの教えに沿って毎日をやってみる、という密かな実験を続けていこうと思っている。赦しの機会に直面した時、それができるかどうか自信ないけれど。まぁそれを気にしていても「赦しの機会は突然に」だから仕方ないし…。
アファメーション
私は神が創造したままの私である。そして私は確かに神の子である。なんとありがたいことよ!