レッスン108-与えることと受けとることは、真理においてはひとつである。

2017-05-12

カルチャー講座

おとといは月1回のユング心理学のカルチャー講座だった。今は秋山さと子著の『ユングの心理学』の読み合わせをしたり、見た夢の話をしたり。2002年の5月から参加している講座だから、思えばもう15年になる。

先生は秋山先生に直接学ばれ心理学にとどまらず宗教やオカルト的な方面にも造詣が深い。ベテランのカウンセラーでもある。これまで多くを学ばせていただいた。講座に出ていたおかげで、「無意識」や「投影」「否認」「象徴」といったACIMで用いられている概念のベースがわかりやすかったように思う。

一方でユングに限らず他の心理学や宗教とも、ACIMの考え方はまったくちがう、ということも最近ますます感じるようになってきた。

なにせ、すべてが自分の投影でその結果として世界を見ているという考えに立つのだし、「神はある、それ以外はない」となれば、誰とも合わなくなっても仕方ない。ふだん、このACIM的見方を口にすることはない。だけど、私の心にACIM的見方が浸透してきたおかげなのか、自分が浮いているように感じることが増えてきた。

他のACIM独習者はどうなのだろうか。いわゆる世間でうまくやっているかな。

レッスン108-与えることと受けとることは、真理においてはひとつである。

レッスン108は、私たちのこの世とは異なる、真理の世界とそこにおける原理を説明している。

そこでは光に満たされすべての葛藤やまちがった想念が消える。その光とは、肉体の目が見る光ではなく、闇が知覚されることのない心の状態をさす。

ここでは対立するものはなく、すべてが癒され平安を分かち合う。

そして、ここでは与えることと受けとることはひとつ。同じである。

与えることと受けとることの両方が、一なる想念の二つの側面と見なされており」と説明がある。

この「与えることと受けとることはひとつ」ということを体感的に学ぼうとするのが、レッスン108である。

これを体験するために、「自分のものとするために、すべての人に差し出したいと思うもの」について、イメージして、

すべての人に、私は静けさを差し出す。

すべての人に、私は平安を差し出す。

…といった具合に差し出して、その後、自分が与えたものを受けとる。

ワークをして

差し出すものは何でもいいのかな。

まず思いついたものとして、豊かさ、平和、喜び、感謝、穏やかさなどを差し出した。

笑顔、時間…こうしたものは幻想なんだろうか。

健康…からだのことでもいいのかな。

自分が差し出したものは、地球のすみずみまでインターネットの網のように、通っていくようなイメージをもった。

それは、あなたが与えた分だけ、あなたに戻ってくるだろう」と説明されているが、たった5分でも、差し出した方の自分がとっても豊かな気持ちになれるのを感じた。このワークはたとえ短い時間でも心が穏やかになる。

そして何度か5分のワークを繰り返すうちに、「あ、すべての人…は、いないんだ」「私は私に差し出しているんだ」と気づいた。

私は私という個ではなくて、一なる神の子だ。その一なる神の子に差し出しているのだから、当然受けとるのもまた一なる神の子、自分なんだ…

完全に闇が知覚できない心眼(ヴィジョン)が得られたら、この感じはもっともっと明らかになるだろう。

こうやって考えていくと、『奇跡講座』というのは極めて実践的―原因と結果の原因の方を変えることによって、その結果もおのずと変える-だと感じた。

アファメーション

真理の世界をこの世で生きよう。幻想はやりすごし、真理のカケラは自ら発信する。

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