赦しのプロセス

2017-05-05

原点回帰!?

とくべつな予定のないゴールデンウィークだけど、街の空気が和み心のスペースが広がるように感じられるという点ではとくべつ。このスペースに何が入ってくるだろうと思っていたら、『神の使者』の何回目かの再読だった!

変わりばえがしない…けど、小間切れで読むことが多かったから、まとまって目を通してみたかったのかもしれない。

そして、私のACIMプロジェクトの始まりはここだから、原点回帰したかったのかも。

改めて読んで思ったのは、私の理解は浅いし中途半端だということ。日常的に、不安や不満、心配を感じているけど、それが見えている時点で、すっぽりエゴの見方に陥っているのだということを、改めて思い出した。

第7章「赦しの法則」にはパーサによる赦しの要素が書かれていたので、私自身がすぐ思い出せるように自分なりにポイントをまとめておきたいと思った。

赦しのプロセス

赦しの要素と書かれているけれど、赦しのプロセスと捉えてもよさそうだ。

赦しのチャンスにぶつかった時とは―すなわち不安、不満、いらだちなどの不快感を感じた時―、取るべき対処は以下の流れ(だと思う)。

①夢だと思い出す

まず、この状況は夢で真実ではない、それは自分自身が見せているものであり、夢の登場人物を動かしているのも自分だと思い出す。

「登場人物はいない。この夢の責任者は自分だ。」

②夢のできごとと相手を赦す

自分自身の罪悪感と恐怖こそが原因で、それを自ら投射しているものだ。だから夢のできごとに反応するのではなくその感情を手放す。

「兄弟がしなかったことを赦しなさい。」

③自分自身を赦す

何も起こらなかったのなら、兄弟だけではなく自分自身だって罪はない。私は無辜だ。

「私は今も神とある。神は私を咎めなかった。もはや私も咎めない。」

④感謝する

本来の自分である聖霊と赦しのプロセス、それの元になってくれたイメージに感謝する。あとは聖霊におまかせする。

「愛は私が感謝の内に歩む道である。」

私に見える一見嫌なこと、不快なことというできごと(イメージ)があってこそ、それを赦す機会があり、赦される。それによって、神と私とを隔てる雲が少し取り除かれる。だから、すべてはこの自分のためにあり感謝すべきことなんだ…。

たぶん、最も難しいのは最初のステップだ。ACIMを学んでいるつもりでも、不快なことを感じた瞬間は感情的になって自分の正当性にしがみついてしまい、わけがわからなくなってしまうから。

次の赦しの機会にこれを覚えていられたらいいと思う。また瞬間的に忘れても、すぐに思い出せますように。