レッスン107-真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する。

2017-05-08

今ここから、赦す

ゴールデンウィークは、5年前のACIMプロジェクトの原点だった『神の使者』を再読できた。そして、これは邪道なのかもしれないけれど、自分の中でACIMの副読本のように思っている『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』という本がある。これも再読できた。よかった。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法は、言い方、視点こそやや異なるものの、本来の自己に導いてもらい幻想として見ている世界を打ち破って無限の豊かさを感じるという教えが、ACIMと共通するのではないかと考えている。表現が“現代的”でとっつきやすいこともあって、事あることに読み返している。

自分が原点だと感じているこの2冊を読んで、私は勉強しているつもりで、できていない、と改めて思った。“赦しの実践”という最も重要なことを脇に置いたまま、理屈の理解だけをしてきたことに(改めて)気づいたから。

私が今、感じている心配や不安、恐怖感、過去への後悔の気持ち、親への特別な思い、ちょっとしたいらいら、そういったものすべての幻想を赦し、手放し、本来ならばありえない心の雲を払うのが最も大事なはずなのに、そういったものを温存しつつ、それはそれとして理屈を学んでいた気がする。

ネガティブな感情が起こったら、常に赦しを実践しよう、と思った。これはこの世を否定することにもつながるから、これに対してもちょっとした恐れがあるけれど。

レッスン107-真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する。

連休が始まる直前の4月28日、レッスン107のワークをした。

真理は幻想を訂正する、というのがこのワークのテーマだ。

そして、真理に近い心の状態について、以下のように説明してくれている。

わずか1分か、それ以下の時間だったかもしれないが、あなたの平安を邪魔するものが何一つなかったときのことや、自分は愛されていて安全だと確信していたときのことを、思い出してみなさい。

それから、その瞬間が、時間を超えて永遠に届くまで引き延ばされたらどうなるか、想像してみなさい。

それからあなたが感じたその静かな感覚を百倍にし、それからさらにもう百倍にしてみなさい。」と。

そうすれば「限りなく微かにではあるが、推し量る手がかりを得たことになる。」この真理が訪れたときはすべての苦痛がなくなっている。

この真理を真摯に求めて得られないものはいない。そもそも私たちのものだから、それを練習で自覚するのだという。

この練習では、真の自己である聖霊の存在を認めて、聖霊に導いてもらう。

真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する。

そして、携えてきた真理はこの世界にも変化をもたらす。

ワークをして

私がこのゲンジツの世で見ているのは、“私の心のあり方”の結果の世界だ。私がここで苦痛を感じたなら、それは“あり方”を正すべし、ということ。すなわち赦しの機会なのだ。

問題はその瞬間にそれを思い出せないことだ。

私は心が狭い。言い替えたら、エゴがでかい。ちょとしたことでもざわざわ、いらいらしてしまう。

ACIMを学びたいと思っている私と、普段生活している私、別人格でいるのかもしれない。だとしたら、それを統合することが課題なのかな。

せっかく設定されている1時間に5分というワークの枠も、ざわついて心のまま時間だけをこなしていることがある。

それじゃあ、エゴはでかいまんまだ。

少しずつでも実践によって皮を剥いでいかなきゃ。そして、ちょっとでも不快に感じたことがあったら、それはエゴの皮を剥くチャンスだ。ありがたく思おう(覚えていられたら)。

アファメーション

今日一日、ネガティブな感情を見つけたら、赦しを実践しよう

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