2016-07-09
「王様の耳はロバの耳」の穴
このワークには3日もかかってしまった。1日4回というワークの最後のがなかなかできなかったのだ。
昨日は久しぶりに友だちと夕食を共にした。ひとり暮らしで基本的に仕事もひとりですることが多い私にとって、数少ない友人とのおしゃべりはとても楽しく、またありがたい。やっぱり話をするって大事だ。仕事が慌ただしくなってくると、一日中だれとも話さなかったという日が3日くらい続くこともざら。よくないなと思いながらも、それに慣れてしまっている自分がいる。
最近は思ったことを言葉にしてしゃべるのが下手になっている、と思う。使わない筋肉が衰えるのと同じ理屈だ。やっぱりよくないな。
ところで、私が友人と話していて、びっくりしたのは、「ブログ続いている?4回位見たけど」と言われたこと。
え~!! 見たの~!? (・・;)
「だって自分から言ってたじゃない」と友人。
私はブログを作りたいと言ってはいた記憶はあるけど、タイトルまで言っていたのか…。
もちろんブログとして公開している以上、世間にさらしていたんだ。でも、おそらくだれも気づかないブログだし、まして私を知っている人は目にしない…と勝手に思い込んでいたから、ぎゃあ~と顔に血が上りアワアワしてしまった。
初めはACIMのことを世の中に伝えたいという動機があったはずだけど、途中からこのブログは、私の独りごとを埋める穴のようになったいたことに気がついた。
まるで童話で「王様の耳はロバの耳~」と叫ぶ、地面に掘った穴みたいなやつだ。
「神様はこの世をほんとうは作らなかったんだってー」
「私たちが見ているこの世はじつは幻影だってよー!」
「私たちは、気づいてないけど、誤解しているらしいよ、神様からエイッて自分から離れたって」「だから、神様のことをほんとうは、すごく怖がっていて、いつか捕まって懲らしめられるって」
こういうことを一人話して閉じ込める井戸みたいな役を振り当てていたんだ。とくに近しい人に、あなたも私も実はリアルに見えるけど本当はだれも何もかもリアルじゃないんだって、という本音を知らせるのは抵抗が大きいのだと気づいた。
人の目が怖い。これこそがまさに「私の恐怖」の正体だ。
人と共有できなくて、何がACIMの道だということになる。これから少しずつこの恐怖の幻影壊しに手をつけていくんだろうか。
レッスン38-私の聖性にできないことは何もない。
この主題概念は、実はよくわかっていない。
「あなたの聖性を通して、神の力が顕現される」というのはわかる。
「神の力にできないことは何もない。だから、あなたの聖性は一切の苦痛を取り除き、すべての悲しみを終わらせ、あらゆる問題を解決することができる。」というのは、この世のゲンジツを都合よく変えられると言っているのではないだろう。
たとえ、この世のゲンジツは変わらないとしても、苦痛や悲しみを感じることはなくなり、問題と思っていたことがクリアになるという意味だろうか。
自分の中の損失や不幸の種や困難や問題を見つけ出し「そういった状況の中に自分を見ているが、この状況において、私の聖性にできないことは何もない」と今日の概念をあてはめるのが、ワークの中心だ。
目先の問題で私が解決しなくてはならないのは、提出した資料(今週土曜日のためのセミナーレジュメ)を来週の頭に担当者の方のニーズに合わせて加筆修正して提出すること。電話でお話をしたけれど、どう修正してよいのかイマイチ掴めていないし、もしかしたら能力的に私にはむずかしいのかもと思い、不安だ。今日はともかく資料を集めようと書店や図書館に行っていた。
この卑近な、でも私にとっては「重要な問題」。その中に自分を見ているが、私の聖性にできないことは何もない、とあてはめた。
私の聖性にできないことは何もない。なぜなら、結果であるこの世のゲンジツの中であれやこれや悪戦苦闘するのではなく、この言葉が原因の世界に響いて影響を与えるからである。
今すぐにはもちろん無理だろうし、今世だけでも無理かもしれないけど、ワークを続けたら、原因の世界が少しずつ変化して、その結果としてこの世のゲンジツの感じ方も変わってくるんだろうなと思う。
今宵は雨が降って涼しく過ごしやすい。昼間、参院選挙の選挙カーがうるさかったせいか、今は雨音が心地よく感じる。