日々のこと・きもち

“『奇跡講座』の効果”

2019-03-09

SEO講座に行ってきた

全3回のSEO講座の最終日。風は強かったが日差しは暖かかった。

公園の鴨のカップルもいくぶん緩んでいる気がした。

SEOの話は知らないことだらけで、これはこれで奥が深そうな話だった。

検索サイトにサジェスト機能というのがある。ある検索語を入れたら「次の検索語はこれではないですか?」とそのワードを表示してくれる親切な機能だ。

どの検索サイトか忘れたけれど検索窓に「奇跡講座」と入れたら、次にサジェスト機能で「効果」と出てきた。

「奇跡講座の効果って何だ」と検索している方が多いのだろう。

これはおもしろい、と思った。

それだけ奇跡講座が広まってきたということだろうか。

実際に奇跡講座(ACIM)を学んでいる人は、その効果を改めて検索しようとは思わないのではないか。

効果というのは、この世での効果、効用。

奇跡講座を学ぶ → こんな効果がある、という関係が成り立つ。

奇跡講座は、この世を映画のように内側から見せられている幻想だと見る。その真の因果が成り立たない世界での結果と見えるものに執着せず赦すことが、その中核だと思うから、「奇跡講座ってどんないいことがあるの?」という発想は真逆だと思う。

結果を求めるものではないのだ。でも、その学びの姿勢によって副次的にこのゲンジツでの結果も付いてくる。

説明がヘタだけど、そんな気がする。

私が感じた“奇跡講座の効果”

でも、この機会に改めて、“奇跡講座の効果”を考えてみた。私だけの狭い経験だけど。

1.まずひとつめは、スピリチュアルや自己啓発関連の本を読まなくなったこと。効果と言えることかどうかわからないけど。

これまでいろんな本を読んで、ふーむなるほど、と思い、またしばらくして他の本を読んで、ふーむなるほど、と思う。その繰り返しだった。

『奇跡講座』の考えを知って、わからないながらも、「これこそ真実」と感じ、他書に答えを求めることがなくなったのだ。ACIMの本を読むだけで精いっぱいでその時間もない。

2.死への恐怖が和らいだ

私は死への恐怖が強い人間だ。今も怖い。

しかし自分を肉体とは見なさない教えが浸透するにつれて、死への恐怖が少なくなってきた。本来の私は神の子であり死ぬことはない。不死だ。

3.ネガティブな感情を人にぶつけることが少なくなり、自分に嫌なことも起きにくくなった

これまでは、何か嫌な気持ちになると、それはこんな気持ちにさせた○○のせいだと被害者的に感じていたし、その感情をそのまま相手にぶつけてしまうこともあった。

けれど、今はそれは自分自身の内側にあるものを鏡のように相手にかぶせて見ているのだという理屈を学んだ。

渦中にいるときにそれを思い出すのは難しいこともあるが、いったん落ち着いて赦してから行動すると、負のスパイラルに陥ることもなく周りの人との関係性が良くなった。

思いつくまま3つ挙げた。

他にもいいこと、たくさんある。

人生が生きる価値のあるものになった、とか。

一生を懸けられる喜び!とか。

こんなに素晴らしいと思っているのだけど、実践はなかなかむずかしい。

けっこう、すっ転んで感情大爆発させちゃうこともまだまだある(>_<)

もてなし英語講座、最終回

2019-03-07

1月から開催していた全8回の「もてなし英語」が終了した。

最終回は締めとして?英語プレゼンテーションが設定された。グループごとにテーマが定められ、メンバーそれぞれ持ち時間4分程度でスピーチするのだ。

私は半日かけてプレゼンテーションボードとスピーチ原稿を準備。肝心のスピーチの練習はまったくできなかったが、何とか無事?終えることができた。ほっとした。

中にはスティーブジョブズさながらという堂々としたプレゼンテーターもいた。

すごい、いいなぁ。

私は英作文づくりは、(正しいかどうかはともかく)辞書やネットを使って何とか時間をかけてやる。

でも質問されたりフリートークだとかになると、未だカタコトも話せない。一言二言単語をあわあわ言うのが精いっぱいだ。

やっぱり語学習得には時間がかかるなぁ。

今回の収穫は、一般の日本人でも流暢な英語が習得できるとわかったこと。

私は勝手に特別な人だけが英語が話せるんだと思い込んでいたが、そうではないらしい。一見普通の老若男女の区民がみんな流暢に話していた。

脳のどこかが決定的に違うのかな(私は最近人と話すことが少なく日本語も出てこない(^_^;))

私もペラペラになりた~い。

4月13日ゲイリーさんのワークショップ行けることになった時のために(まだ参加費も振り込めてないから不確定)、彼と直接話すことを想定して伝えたいこと英作文作って練習しようかな。

本当はヒアリングもちゃんとできて通訳さんなしでも理解できたら素敵だけど

英会話に対するモチベーション上昇中。

春の訪れとゲイリーさんの来日が相まって、ワクワクする。

ゲイリー・R・レナードさんのワークショップ申し込んだ!♪

2019-03-06

ワークショップ申し込んだよ

ゲイリー・R・レナードさん4月来日ワークショップ、の情報を知ったのが先週土曜。そして一昨日ダイアリーにそのことを書いてた。

そして、昨日、申し込んだ!!(振り込みはまだだけど)

一昨日のブログにくさちゃん(本来ならくさちゃんさんと書くべき?)がコメントをくださって、ご自身が2年前京都でのセミナーに参加なさった際のブログ記事を紹介してくださった。その文章がとても美しかった。

くさちゃんは、ゲイリー・R・レナードさんのワークショップに関するブログ記事2つに加え、申込先のWebサイトアドレスも貼り付けてくださっていて、一日の仕事の後で疲れているだろうに、そういった手間をかけてくれたことがありがたくうれしかった。

私はどうも素直ではなくて、スピリチュアル系のことが好きなわりにシニカルに見てしまう一面がある。

外国人講師の方の来日ワークショップは、当時好きだったソニア・ショケットさんの東京でのワークショップに2007年参加したのが最後。約7万円という参加費を頑張って工面して参加したのを思い出す。思えばもう10年以上経っている。

ソニアさんのポジティブでアクティブなワークショップはとても楽しかった。

反面みんなが一つの雲に乗って限定付き“ポジティブキャラ”になっていくような印象を受け、かすかな違和感も感じた。ソニアさんになにか問題があるとかいうんじゃない、ただ私がワークショップの雰囲気に完全に乗り切るということができなかった。

ものすごく好きでシカゴの自宅までリーディングをしてもらった先生だったのに。個別にリーディングしてもらった時の体験がアメリカへのひとり旅と相まって強すぎたのか。

好きなもののすぐ近くにエゴが張りついている?私

どうも私は自分が好きなもののすぐそばに強固なコンプレックスというかエゴが張り付いているようだ。

だから、好きなものに素直に近づけない(家のパソコンで『奇跡講座』の検索すら気合いを入れないとできないし、スピリチュアル系のブログもめったに読めない)。

何らかの怖れだ。

私は『神の使者』を自分の人生のなかで最も大切な本…と思っている。だからこそこの最も大切…と思っている気持ちも守りたい。

最も重要で大事にしているものにぴったりと貼りついていて自分を制限する恐怖とエゴ。

それこそが赦すべきことなんだろうな~と、思う。

くさちゃんのコメントは、

「めったにお会いできない人ですよ~。

ぜひぜひ~\(^o^)/」

で締めくくられていて(勝手に掲載、くさちゃんすみません)、

そのピュアさと素直さに私の殻が解けていくのを感じた。

ありがとう、くさちゃん。

4月13日というともう1ヶ月じゃないか。その頃はもう桜も散っているね。

わー!

ワークショップが終わって1ヶ月後とかにその情報を知ったら、かなりのショックだったろうなぁ。

よかった。

なんたって、いつかアメリカとかに行ってACIM関係のワークショップに参加できたらと思って英会話をやっているのだから、それが日本語で東京で聞けるのだから!

『神の使者』 著者のゲイリー・R・レナードさん4月来日!?

2019-03-04

週末またまたWeb講座へ

週末、土曜も日曜も東京都主催のWeb関連講座に出ていた。

土曜はいわゆるSEO対策。日曜はWeb環境に関する基礎知識とトピックのような内容だった。

日曜日のテキストは『キーワードで学ぶ最新情報トピックス2019』という先月19日に発刊されたばかりの本。

扱われているキーワードが、「LINE」「TwitterとInstagram」「YouTubeとニコニコ動画」「クックパッドと価格.com」「Webサーバーとブラウザ」「LANとWi-fi」「コンピュータウィルス」などなど。

2019年現在の情報コミュニケーションに関すること何でもかんでも(パソコンやスマホは用いず)座学で広く解説という講座だった。

受講者は私と同様昭和世代が多め。

こういうものはいくら言葉で説明されても、自分が実際やっていなければわからないし、やっている人にとっては、何を今さらだろう。

それを先生が言葉で解説してくださるのが、シュールだった。

でもテキストは最新のベースのベースがよくまとまっていて、勉強になった(問題はそれを私がどう活かせるかだけど(^_^;))

えっ、ゲイリー・R・レナードさん来日!?

土曜日のSEO対策…こちらはパソコンに向かいながら作業を伴う講座だった。

そこで授業の合間、ふだんはしない『奇跡講座』(ACIM)関連のことをGoogleで検索してみた。

私は自分が「奇跡講座ダイアリー」などというブログをやっているくせに、『奇跡講座』やスピリチュアル系のことをネットで見ることはまずない。

エゴのはたらきなのか、心がざわついてしまうのだ。家ではACIMのことを検索したりはしない(できない)のだけど、授業中『奇跡講座』や『神の使者』のキーワードで検索してみた。

そこで発見したのが『神の使者』の著者、ゲイリー・R・レナード氏4月13日来日のニュース

おお、これは…!!

関心のある方なら、こういうことはちゃんとアンテナが立っていてずっと前に情報が入っていることだろうけど。

私はここで知った。

『神の使者』といえば、私が『奇跡講座』に出会うきっかけを与えてくれた本だし、続編も含めてくりかえしくりかえし読んでいる本。いつかゲイリーさんのワークショップにも出てみたいと思っていたけど。

こんな大事なことも知らずにのうのうと生きていたなんて。。

行くべきか…

今からでも申込みできるのか…

心がざわざわ、頭がぐるぐる。

彼個人を崇拝しているわけではないけれど、話は聞いてみたい。アメリカに行かずとも聞けるこれは大きなチャンスなのでは?!

すぐにいろいろ調べればよかったけれど、Web講座受講後心のエネルギー残が乏しく、まだ調べたり、決断したりすることができないでいる。

今回のWeb講座はこ既に申し込んだという友人に誘ってもらい、追加募集の最終日ぎりぎり申し込んだもの。

それはゲイリーさん来日という私にとって重要な情報に気づくためだったのでは…?などと思えてくる。

ゲイリーさんのワークショップ、行ってみたいような、行ってみたくないような…

自分にとって大事と思っているものだから、逆にいろいろ思いがある。

明日エネルギーが少し“充電”されていたら、調べてみようと思う。

色えんぴつ画

2019-02-15

会場まちがえる

今週火曜は月1の色えんぴつ画講座があった。

この一ヶ月まったく画に触らず、先月のまんま。

慌ただしく準備して向かったら、だれもいなかった!

区のサークル活動としてやっていて、AセンターとBセンターのうち会場が取れたところでやっている。その会場をまちがえてしまったのだ。

あ゛~。

先月念押しされたというのに。。汗をかきながらあたふたAからBへと移動し遅れて加わった。

ミスのない日を送りたいと思い、今日こそはと思っているが、財布を忘れたり出がけに鍵が見当たらず遅刻したりとミスばかりしている。

風景画の建物がむずかしい

先月から習っているのが風景画。

いただいた写真と手順のレジュメを元にまず青色を塗る。先生は赤、青、黄色+白黒の5色のみで描かれる。私もそれに倣っている。下描き→青→赤→黄色→黒→調整の順で色を重ねていくのだ。

建造物描くの、難しい。

“情報”が多すぎて鼻から無理と思ってしまう。

「この写真は風景画のなかではうんと簡単なほうです。だって建物に窓がないから」と先生。

たしかに。窓がたくさんあったりした日にゃお手上げだ。

自分が実際には見たことがない風景を写真から絵を描くことも気乗りがせず、なかなか進まない。

「来月は風景画の続きでも自由画でもどっちでも好きなほうを」と先生。じゃあ、途中でやめようかな、それとも苦手克服?のために最後まで仕上げるべきか?

“芸風”をつくるには?

頭のなかでイメージしたものがさらさら描けたら、楽しいだろうに。

下手とはうまいとかはさておき、自分なりの“芸風”みたいなのがあって味があるっていうの、いいなぁ。

“自分なりの味”を出せるようになるには、たくさん描くことなのか…月1度しか画用紙に向かわないって、趣味にしてもなんだかな。

ベストセラーになった『大家さんと僕』のカラテカ矢部さん、たしかあれが初漫画って言ってたけど、上手。いい味出してるなぁ。お父さんが絵本作家さんというから素養がおありなのか。

たまに自分で描いたイラストとか載せておられるブログを見ると、そういうのも素敵だなと思う。

あれは…ペンタブとかいうので描いているのかしらん?私もやってみたいな。

自由に描くということを学んでいる

教えてくださる先生が「自由に描いていいんですよ」とおっしゃるので、描くことに対する縛りが次第に解かれていく。

色えんぴつ画講座は私にとってセラピーみたい。

やっぱり私はもっと自由に表現できるようになりたくて、行っているのかもしれないな。

先生は「絵は手で描くものではなくまず目で描くもの。しっかり見ることが大事」ともおっしゃる。

この世は幻想で五官は「幻影を作り出す器官」だと言いつつ、この世の細部を観察して絵を描く。

それもおもしろいなぁと思っている。

ポジティブでいこう

2019-02-11

大雪注意?

関東には積雪注意報が出ている。

北海道や東北、北陸の雪が多いエリアから見たら「何を大げさな」という感覚だろう。

エアコンが苦手だから、この冬まだ一度もつけたことがないけど、さすがに寒い。

腰には腰巻きケットを巻きつけ、家の中だというのにユニクロのダウンコートを着てる。首には輪っかマフラー(スヌードというらしい)。足元は45㎝角のホットカーペット。これあったかい。

土曜日はWebデザイン講座の最終回。雪の予報にも関わらずみんな頑張って参加していた。

最終回はJavaScriptというプログラミング言語?によってサイト上にアニメーションもどきを創るというもの。

先生のテキストに従って、おまじないのような長いアルファベットと記号をパソコンに打ち込んでいくが、どこかで間違えてしまっているらしくうまく作動しない。

あ゛~間違ってるの、どこ?あ、これ?あ゛、待って。

その繰り返し。

もー、ほとんどお手上げ状態だった。

先生は丁寧なレジュメを下さっているから、自分でも復習できるんだろうけど、戦意喪失。

こういうもんはやっぱり若いもんのものかな、と思ったりする。

ネガティブの住人、やはりポジティブでいこう

ワークをしていて、というわけではないけど、最近ふと思ったこと。

私って、やっぱりネガティブだ。

この二元性の世界に、「Yes」の世界と「No」の世界があるとしたら、まちがいなく「Noの世界」に住んでいる。

「ある」の世界と「ない」の世界があるとしたら、「ない」の世界。

「ネガティブ」と「ポジティブ」だったら、やはり「ネガティブ」。

それは自分がどんな色眼鏡を通して世界を見るかと同じで、クセというか自分が落ち着くと感じるパターンみたいなものだ。けどそれはやはりよいクセではないな~と思う。

何も解決しないけれどグチを言って落ち着くみたいなものだ。

二元性ではなく一元性を目指している。「Yes」も「No」も、「ある」も「ない」も「ポジ」も「ネガ」も越えて「神だけがある」世界が真実だ。

だけど神なるものは豊かさであったり喜びであったり幸せだったりすると思うから、やっぱりこの世でネガかポジかで言えば、ポジのほうが神に近いように思う。

一時ネガを否認して何でもかんでもむやみに明るいのがいいみたいなポジが流行ったけどそれとは違う、静かなあり方として、

「Yes」「ある」「ポジティブ」の世界に住む。

「いえいえ、私なんか」「どうせ」「○○だから」「できない」はもう織り込み済み(そうでしょーよ)。それをわざわざ言わない。そう決めといたら、もっと制限が取れて自由になれるのかもしれない。

そうしたら、JavaScriptだってYesなのだからできちゃうかもしれないのだ。

こう書いてきて、ふっと思った。

私はもしかしたら、私というコンピュータに「私なんか」「どうせ」「○○だから」「できない」という言語をプログラミングしていたのか?

かなり基本的な部分にそれが書き込まれているんだろうか。

それを削除して、

「もしかしたら」「意外と」「○○でも」「できちゃうかも?」みたいなことを上書きできたら、ACIMの赦しの過程をすべて終えるのを待たずとも、見ている世界は変わるかも。たぶん。より自由で楽しいほうに。

年を重ねて新しいことをやるときの心得

2019-02-08

なかなか身に付かないWebサイトづくりのスキル

懲りもせず週末東京都主催のキャリアアップ講習「Webサイトデザイン」に通っている。

三日間午前9時~午後4時半まで、実際にパソコンを操作する実践講習だ。

明日が最終日。あ゛~、今回も操作についていくのにいっぱいいっぱいだったなぁ。

HTML、CSS、ドリームウィーバーなどこの手の講座を何年も前から受講している。だけど、受講したまんまで実際操しないからか身に付かずそのうち忘れてしまう。

また次に受講したときに、そういえば何かあったな、と思い出す。その繰り返し。

Webサイトづくりから言ったら、初歩の初歩のことをやっているんだけど。。ずっと初心者のまんまで足踏みしている。

私はよっぽどこういうことが苦手なのかな?

ばかなんだ。新しいことが覚えられない(*_*) 何年も同じ講座を受講して何やってるんだと我ながら呆れ気味だ。

だけど、去年、ある本のなかの言葉が気に入ってノートの表紙の裏に貼っていたことを思い出した。

確かめてみる。

あった…

歳を取って新しいことをやる時、心得ておくとよい4つのこと

若い時と違う点がいくつかあるけど、その点さえ押さえておけば「年配者でも『やれば新しいこともこなせる』というもの。

このマイナス面を認識した上で取り組めば、できないことはないと。

  1. 覚えるの時間がかかる
  2. 反復練習が必要である
  3. ときには年配者としてのプライドが邪魔をする
  4. 同時進行でいろいろなことができない。

この4つを心得えつつ「歳だから無理」という思い込みは捨て、ゆっくり時間をかけて覚えていけばいいとある。

そう考えたら、私は今、「反復練習」をしているところなのだ、と大いに励まされた。

私はまだそこまでの歳だとは思ってはおらず「年配者でも…」のフレーズが気にならなくもないが。

でも「症状」というか「現象」は同じだ。

残念なのは、感じ入ってコピーしてノートに貼ったのはいいんだけど、誰のどんな本かがまったく思い出せないこと。勝手に流用してすみません。

たしか図書館で借りた本だと思うのだけど。。。

よいことたくさん言っておられたから、同じ著者の他の本も読んでみたい気がするけれどもうわからない。(ネットでそれらしい言葉を入れて検索してみたけれど、さすがに無理だった)

今度貼り付けたいと思うようなことがあったら、出典もメモしておこう。

過去ノートからのヒント

2019-02-01

私はいろんなことを1冊のノートにメモしている。その日やるべきことややったこと、食べたものやワークをして感じたこともこれに書いている。

管理が下手で忘れっぽいので、なんでもかんでもこれに書いておけば何とかなるといった発想だ。食べたものまで書く必要もないのだけど習慣になってしまっている。

過去ノートを見る機会があって、ワークをしていた際の感想を目にした。

2015年5月。レッスン265をやった際の感想。ACIMダイアリーブログを始めたいと思いつくが、どうも行動に移せなかった頃のものだ。

「ACIMブログは聖霊に任せておけばよい。(「承知した」的な応えを感じた)

私は…

  • 目の前に現れることをロールプレイゲームのようにやっていく。
  • 誰がが来たら、愛をもって応じる。
  • 不安はもたないように。
  • 怒りや罪悪感は赦す。

実にシンプルだ。

  • 「できない」と思っている自分も赦す。」

 

これを読んで、なるほどな~と思った。

箇条書きにしている部分は今の自分にとっても指針となりそうだ。

もしかして今の私より当時のほうが理解できてた?あるいは言うことは一丁前だったか。

わかったようなことを言っていても、言うは易し行うは難し。すぐ忘れちゃうんだよなぁ。

それでもこの後ACIMダイアリーブログを作ってACIMを日常的なものにできたことは、私にとってはよかった。

過去の自分にヒントをもらった感じ。

大事なことは標語みたいにどこかに書いて壁に貼り出しておこうか。。

ブログを始めて3年経った

2019-01-22

お~、丸3年

さっきふと思ってこのブログの最初の日を見てみたら、2016年1月20だった。

お~、丸3年経ってる!

そんなに頻繁に更新しているわけではないし、誰かに向けて有益な情報が届けられているわけでもない。

けどけど、私にとっては3年か~としみじみする。

ブログを作りたいとノートに呟いていたのは、たしか2015年の春ごろ。2015年中にはACIMワークが終わりそうだと思い、その後ACIMとつながり自己表現できるものが何か欲しいと思った。

ACIMについて感じたことを文章化していくことが次の学びのステップだと思ったのだ。

だけどそれから実際に始めるまでに1年近くかかった。

その年の6月父が亡くなり自分を取り巻く世界が大きく変わったし、その頃はまだ仕事もしていた。無料ブログサービスがいいのかWordpressがいいのか、どのテンプレートが自分の気分に合うかなどでもかなり足踏みしていた。

何より怖さで固まっていた。

これまでの人生で少数派意見を表明したことはない。自分でもよくわからないものをたとえ実名ではないにせよ、どう書いたらいいのか。まず、どんなスタンスで書くの?

誰かに見られたら?(ブログは見てもらうためのものだけど)

あるいは誰にも見られなかったら?

まだ“ちゃんと”理解できているわけではないし。。

頭おかしいやつと批判されたらどうしよう。。

などなど。

…自意識過剰って疲れる。

人生で「これだ」と思えるもの

実際書いてみると、パソコン画面の外に誰かがいるってことはほどなく意識されなくなり、書くことによって心と頭が整理されてよいことがわかった。

これがただノートにメモする方法だったら逆に続かないかもしれない。

ただブログを更新するということだけでも、私にとってはおおごとだし、私にとっては有益だった。

結局ACIMワークをもう一度やることになり、ただそれに付随して書いているだけで、本当はもっとACIMについていろいろ掘り下げたり感じたりしたかったけど、そういったそもそものことはできず。

でも、まあ、いいのだ。

昔、本多静六さんの本を読んで、「価値のある文書を毎日、原稿用紙1枚(14行32字詰め)以上書く」ということを25歳の時から習慣にしていると知り、すごいな~と思った。

本多静六博士はその結果生涯で376冊もの本を書いている。

「価値のある文書」というところが、私の場合はつらいところだけど、でもいい。

自分のA Couese in Miraclesのスタンプカード的に重なっていく感じがあって、気休めになるから。

何かこれだ、と思えるものが人生にほしいとずっと思っていて、それが得られてない感じがずっとあった。が、今は「ACIM」がそれだと思える。

そういうものに出会えたと思えていることが、幸せだ。

おもてなし英語講座 初回

2019-01-16

おもてなし英語講座が始まった

帰省中に歯の詰め物が取れてしまっていたので、きのう直近でお世話になった旧居近く歯医者さんに行った。

15年住んだ街並みは懐かしかった。スーパーに寄ったら見慣れたお客さんの顔があって、ことスーパーに関してはまだ断然こっちのほうが落ち着くと思った。

よく使っていたけど今の住まいのスーパーでは見かけない、白だしを買ってショルダーバッグに放り込んで店を出た。

きのうは、区のおもてなし英語講座の初回でもあった。

初日はオリエンテーション。案内に「自己紹介のため30分の延長」とあった私は、てっきり英語で自己紹介するものと思い込み歯医者さんの後マクドナルドに寄って、英語での自己紹介文を四苦八苦して作ったが、日本語でだったので、ありゃ、と気が抜けた。

それでよかったんだけど。

第1回目は英会話にはまったく入らず、「外国人居住者が増加しているなか、いかに外国人コミュニティを盛り上げていけるか、多文化共生していけるか」というテーマの講義だった。

グループになって議論して、リーダー役になった人がグループの意見を発表した(初対面の方とこういうことするのがキンチョーする)。

私にとっては、ACIMの価値観を学びつつ自分がこの社会とどう折り合いをつけて生きていくか(ACIMの価値観というのも正しく学べているかわからないし)とのほうが大テーマで、正直そこまで気が回らないよーという気持ちだった。

でも、昨年末入管法の改正案が成立し今後5年間で最大34.5万人の外国人を受け入れることが見込まれているという。多文化共生というのは今度とっても大事なテーマになるだろう。

日本のこともっと知りたい

日本人同士で「あたりまえ」と思っていることは決してあたりまえではない。また日本人がなんとなく慣習的にやっていることで、理解できていないことも多い。

自己紹介のなかで「海外の方に神社とお寺のちがいを聞かれても説明できないから学びたい」と受講動機を語っておられた方がいたが、改めて問われると私も日本のこと文化にしても宗教にしても歴史にしても、よく知らないし説明もできない。

歳を重ねてきた今、そういうことも知っておきたいなと思った。

多層化する社会

世の中には、性別、年齢、職業、考え方、専門分野・関心、趣味、所得層、などなど、さまざまなレイヤー(層)があって、あるものに属したり属さなかったりしている。国籍はそのレイヤーの一つに過ぎないんじゃ?

そしてグローバル化が続くと、国というレイヤーより考え方や関心によって、人の近しい遠いが強くなっていくんじゃ…?

さらにそれによって世界のあり様もどんどん変化していくだろう。

でもやっぱり「国」が根底にあるのかな、

などととりとめもなく考えた。

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