『奇跡講座』テキストは読むな!?

2020-12-21

テキストは読むな!?

先日、ふと「ワプニック先生の誕生日っていつだっけ?2月22日じゃなかったっけ?」と思いネットで検索していた。

そうしたら、「奇跡のコースは読むな(笑)」という記事が目についた(そのままそっちに引きずられ、ワプニックさんの誕生日は調べず仕舞い)。

んんっ?

そのブログ記事は、冒頭「奇跡講座(奇跡のコース)のテキストは読んでも何の役にも立ちません!」から始まっていて、思わず目を引いた。

まさに解説書を紐解きながらテキストを読んでいる最中。それが役に立たないとは…!?

記事によると、「読むな」ではなく「普通に読んでも役に立たない」だった。

その理由は、一つにはただ読んでも「ブレインキャンディ」になってしまうから…。難しいテキストを読むことは脳にとって「甘いキャンディ」をしゃぶるようなもので、「良いことが書いてあるなぁ」と自我を喜ばせるだけだと。

そしてもう一つは、鵜呑みにしてはやはり逆効果…だと。イエスは兄弟の一人であって師と小っぽけな弟子みたいに上下関係を作って盲信するのはちがう、と。

な~るほどなぁ、となんかわかる気がした。

「ブレインキャンディ」とは…?この言葉で検索してみたら「知識に限らず活かそうと始めたことをいつの間にか『目的のための手段』ではなく『手段自体が目的』になっていてそのことに自覚がないこと」と説明があった。ざっくり言うと「本末転倒」とも。

効果的なACIMテキストの読み方

先のブログには、その解決法ー聖霊を介して教えてもらったというテキストの効果的な読み方ーも書いてあった。

それは、「一段落ごとでいいので、読んだら軽く目を閉じて、自分のハートの奥深くに入る。」

その際「手のひらを上向きにして座るといい」(瞑想での自分を明け渡すポーズ)。

そして「ハートの奥深く入ったとき、真実であれば、光が降りてきます。」と続いていた。

さらに説明が続いていたが、頭だけで解釈するのではなく自己の心がどう感じるかを大切にしているようだった。

心で読む…

何となく感じるところがあった。

もちろんテキストを読むのがいけないとは思わない。

ただ私のACIMテキスト学習の姿勢はブレインキャンディではないが、思考(考えること)に偏りすぎている気がした。

これまでとにかくワプニックさんがおっしゃることを理解したいとただそれだけだった。

これまではそれでよかったのだと思う。

だけど、これからはやはりもっと「感じること」に重きを置きたいと思った。

私は元々、手段が目的化しやすい質だ。

ものごとをちくちくやっている時間が楽しくてそのうち本来の目的がどっか行っちゃう。

だけど、この記事を目にしたのも意味あるよなぁ。だいたいACIM自体が手段なのだ。目的ではなく…。

ある程度テキストの文章にも慣れてきたから、来年は心で読むこと、感じることも意識しようと思う。。。

“『奇跡講座』テキストは読むな!?” への4件のフィードバック

  1. オーシャン より:

    こんにちは
    『奇跡のコースは読むな(笑)』と書いてあるブログを私も見ました。
    タマさんがこのブログに触発されて、コースの知的な理解だけでは物足りないと思うようになったのは、ご自身の学びの新しい課題が見えてきたのかも知れませんね。

    私は、コースの学びは、読者それぞれが聖霊の導きのもとにあるのですから、どんな読み方をしても(最初は勘違いしてても)全然構わないと思ってます。
    ただ、このブログを読んで感じたことですが、「普通に読んでもあまり役にたたない」と言い切ってしまうと、特定の読み方だけが正しく、それ以外の学習者はみんな間違っていると断じることになり、それこそエゴが大好きな「特別性」を強化してしまうように思います。

    またブログで紹介されている瞑想テクニックは、イエスや聖霊のことを“この世界”に存在している高次元の魂のようなものと捉えてしまっている印象があり、図らずも幻想を実在させてしまっている気がします。
    学習者が聖霊の臨在を感じるために導入する「魔術」としてはいいけど、いずれはこれも聖霊に委ね手放すべきかと考えます。

    コースの学びの進歩は、私たちの知性や努力ではなく、エゴの闇や想念をいかに聖霊のもとに運べるかどうかにかかっているのですから、私は自分が理解力に乏しくても、どんなに見かけ上の時間がかかっても大丈夫だと信じています。

    だって私たちは、コースが出版されたこの時代に生まれ、地球上の一握りの学習者として学んでいるわけで、それ自体がコースの学習者として召喚(笑)されている奇跡だと思っています。

    • タマソニア より:

      オーシャンさん

      こんにちは。ブログ読んでくださって、そして丁寧なコメントくださって、ありがとうございます!
      たしかにおっしゃるとおり…ですね

      どんな読み方をしても、(最初は勘違いしていたとしても)ぜんぜんかまわない。
      特定の読み方が正しいのではない。
      イエスや聖霊はこの世にある存在ではない。
      どんなに見かけ上の時間がかかってもかまわない。
      そして最後の一文も…
      そうですね(^-^)

      ここ数年、どうも頭(思考)に偏りすぎてたという思いがあり、そして私の実際は以前からの「個」の私からほとんど変わってない…という思いがあって、「読んでもあまり役に立たない」という語がキャッチ―に響きました。
      コースの道(馬から落馬する的表現?)ってほんとうにむずかしい。。。
      最初はこの世的なものから流れを逆にすることに気が行っていましたが、今は葛藤のさなかです。
      地球上の一握りの学習者として、こうしてシェアできるってありがたいですね。

  2. オーシャン より:

    クリスマスだというのに、わたしのコメントがタマさんを悩ませてしまったようですね。ごめんなさい。
    今日の日のために、一つだけコースを引用させてください。
    「このクリスマスには、あなたを傷つける一切を聖霊に渡しなさい。あなたも聖霊と一緒に癒やすことができるように、あなた自身を完全に癒やしてもらいなさい。そして、私たちが共にすべての者を解放することにより、私たちの解放を一緒に祝おう。何も後に残してはならない。」…
    良いクリスマスをお迎えできますように(*^_^*)!

    • タマソニア より:

      オーシャンさん

      メリークリスマス!です(^^)/
      ちっとも悩ませてなんてことはないですよ~ご安心を(返信が遅かったかもしれませんが、年末外部的なことで慌ただしくてブログに向かえず)

      「このクリスマスには、あなたを傷つける一切を聖霊に渡しなさい。あなたも聖霊と一緒に癒やすことができるように、あなた自身を完全に癒やしてもらいなさい。そして、私たちが共にすべての者を解放することにより、私たちの解放を一緒に祝おう。何も後に残してはならない。」
      メッセージのギフト、ありがとうございます。
      このメッセージとともに今日の日を過ごします。

      みんながひとつの心だと気づくのに最良の日ですね(^-^)

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