「心因性」

2020-12-29

今年、ずっと先延ばししていたお題に着手

再び身体のことー。

今年は、毎年新年のお題に掲げつつ全然手をつけられていなかった案件に着手した。

泌尿器科クリニックに通い、「おトイレが近い」という症状の改善に取り組んだのだ。

この「おトイレが近い」はずっと私のQOLを下げていた。1時間半ないし2時間の講座で我慢ができず途中席を外すのは子どもみたいで恥ずかしかったし、体調のよくない時には行ってもまたすぐに行きたくなる。

ただ何十年も前からずっとのことだったからすでに自分の一部と化し、恥ずかしさもあってお医者さんに行くというアクションが取れず先延ばししてきた。

5月に女医さんのクリニックを探して診てもらったのは、私としては一歩前進だった。

やっぱり女医さんのほうが話しやすかった。「過活動膀胱」に効くという薬をいただいて、おトイレに行く回数を記録している。

これまで、漢方薬A、西洋薬Bを服用したが効果が見られなかったため、ここ2ヶ月は副作用は強いが効果抜群という西洋薬Cを飲んでいた。

しかしそれでもおトイレの回数はさほど変わらなかった。

「心因性」とはシンプルだ

先日今年最後の診察。

K先生、「失礼ですが…」と前置きして、

「この薬が効かないということは膀胱(の病気)ではないです、心因性です。」と結論づけられた。

心因性ー?

ぜんぜん失礼じゃない。

むしろスッキリした。

心に因る。わかりやすい。

病んでいようと健康だろうと身体はただの夢、心の想念が身体に投影されるとどこかに書いてあったがそういうACIMの説明をもちだすまでもなく、この世のレベルで「心因性」とはー。

先生曰く「覚えていなくても、どこかの時点で自分で条件づけしたんです。」

だから治すには条件づけし直すこと。そしてそれはトイレに行きたいと思った時、自分の知覚が勘違いしているのだ、大丈夫なのだと思い直し我慢することだと改めて教えてもらった。

条件づけ?自分の知覚が誤っている?改める?

どこかで聞いたような話だな、と思った。

私はやはり自分を思いっきり肉体だと思っているようだ。

その条件づけは、幼少期…ではなく、ずっとずっと遡るのだろう。

ちらっと本当は起こっていないことが起こったと思った瞬間。そして、その後間違った心を選んだ瞬間。

そして、K先生がおっしゃるとおり新たな選択もできる。

聖霊を選んで心を癒すというー。

そう、すべては心因性なのだー。

今年Kクリニックに行けて先生の話を伺えたことも、現状の気づきにつながった。よかったと思う。

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