レッスン12-私が動揺しているのは、意味のない世界を見ているからである

2016-06-03

レッスン12

この主題概念は、昨日のワークと同様に、外の世界が私たちに何らかを感じさせるのではなく、その逆で、私たちの考えが外に見えるものを決めるという事実がベースになっている。

周囲を見渡しながら、私たちがいるこの世界にふさわしいと思う形容詞を付して、

「私は自分が恐ろしい世界、危険な世界、狂った世界を見ていると思っている」

といったように表現する。形容詞には「楽しい」「成功者としての」などポジティブなものも含める。そして、その後で

「けれども、私が動揺しているのは、意味のない世界を見ているからである」とつけ加える。

このわずか1分位のワークを3回やった。

私たちがこの世界を意味のないものとして受け入れることができたら、私たちが自分たちで覆っている偽りの雲を払うことができたら、「それは言葉に尽くせないほどあなたを幸せにすることだろう」と記されている。

今日のワークも、私たちが空虚を恐れて自分で自分を邪魔している偽りの知覚を、それと認識するためのものだ。

明日はキンチョーしていたセミナーの仕事だ

明日、たま~にあるセミナーの仕事。多くの人の前で話すことに自信が持てず緊張感があり、かなり前から文字どおり「動揺」している。

かなり前から意識していたけど、前日になって、やっぱり準備のための時間が「足りない」と思い、「なんでもっと早く手をつけなかったのか」と後悔の念が湧いている。

朝、瞑想した際、こうした動揺を自分より大きなものに預けた。

私は『神の使者』やACIMで説明されている聖霊の声が聴こえるわけではないしうまくキャッチすることもできないのだけど、そこで、なんとなく感じたのは、

『自分が信じている世界を信じろ』ということだった。そして、「そろそろ『ない世界』から『ある世界』に来てもいいのでは?」と。

私は、いつも「(時間やお金や能力やその他いろんなものが)足りない世界」に自分を追いやっている。これは私に似つかわしい「足りない」という思いが投影されて見えている世界だ。そして、いつも「だから(完璧には)できない。つらい」という世界の「住人」でいる。

それについて、もう私はそのからくりを知っているのだから、それを手放しでもいいのでは?と感じたのだ。

いつも、足りない、不足している、できない、と感じ、同じパターンをくりかえしているけど、そこに「安住」している必要はないのだ。

瞑想では、ただ「鎮まって立つこと」だけを意識するよう求められた気がした。もちろん、これはちゃんと準備ができて可能なことなんだろうと思うけど。

実際に、どうなるかはわからないけど、「足りない」状況に追い込んでから、それを言い訳にして、「だめだ、だめだ、やっぱり」のゾーンに後悔や自信のなさとともにいるのは、卒業してもいいのかな。

もう、よる11時過ぎだけど、今ここから、真摯につとめようと思う。

 

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