見た夢のはなし

2017-12-18

夢のはなしをした

「今年も残すところ二週間」とテレビのキャスター、アナウンサーさんが言っていて、「あぁ、そうなんだな~」と思う。「今年最後」の場で、「よいお年を」と挨拶を交わすことも多くなった。

今年最後のユング心理学講座では、私が見た夢を聴いてもらった。この講座では前半が秋山さと子著『ユング心理学』の読み合わせ、後半が受講者が見た夢を話す「夢分析」の時間となっている。

私は見た夢をはっきり覚えておれる質ではなく、断片的だ。

〈11月某日見た夢〉

女性(そんなに親しくはない感じ?仕事関係?)の女性とホテルに宿泊している。部屋に何か不具合があったらしくホテル側からしばらく部屋を移ってほしいと言われ、私たちは大きな荷物を置いたままで代わりの部屋に行く。

新たな部屋ではいつの間にか女性の彼氏が加わり、3人になっている。

ホテルサイドに何か事件があったらしいけれど、それが何かわからない。

なぜかその部屋にはトイレがなく、外に出たところにあるトイレを使うが、鍵が甘くて、何度か外から人に開けられてしまう。何度かめに思いっきりドアを引っ張ったら、ガチャンと音がして安心して用が足せた。

この鍵をちゃんとホテルが直すのを確認するまで帰らないぞと思う。ヘンな障害物ができていたりして元の部屋には戻れず、だったら荷物を持ってくればよかったと思っている。

カップルの方は困っていないらしく楽しそうにやっている。

先生の解釈やアドバイス

先生は私の夢を聴いて、

「自分の意志で部屋を代わっているわけじゃないのよね?」と確認し、自分の意志ではない移動が起こったというのは、私の心の中の何らかの不安要素を表すのだとおっしゃった。

そして「自分の意志じゃなくて場所を変わらなくてはならない」ってことで、思いつくことない?予知夢ってこともあるけど」とおっしゃった。

また、トイレの鍵が甘いというのは、個人生活の境界が甘くなっている、守りが不確か、夢でトイレが落ち着かない状態というのは自分の感情がうまく流せない状況を指すのだという。

私は、母が足が痛み出して歩行困難で、最近脊柱管狭窄症と診断されたことを思い出して、そのことを話した。

父が亡くなり高齢の母がひとり暮らしとなって一段と実家のことが気がかりになっている。そして、ACIMのワークの際、聖霊のメッセージを受け取る際などに、「故郷に戻れ」とアドバイスされている気がしていた。

それが聖霊の声なのか、あるいは私の罪悪感を反映したものかはよくわからなかった。しかし何度か聖霊さんのアドバイスを受けたような気がしていた。そして「実家に行っても、それで引きこもるわけではない、そこから発信もし、いろんな場所を巡るし今以上に活動できるのだ」とも、アドバイスされた気がしていた。

ただ私は、母が朝から晩までしゃべりっぱなしで個の空間がほとんどない実家に戻る決心ができなかった。また保守的な田舎でひとり身はきつい、隣近所のつき合いが濃い地域は苦手…などとマイナス要素を挙げ、「まだお母さんひとりで大丈夫、…まだ大丈夫」と先延ばししてきた。

講座で、内なる自己からのメッセージとして「実家に戻れ」と言われているような気がすること、でもそのアドバイスは自分の意に沿うものではなく耳をふさいでいるような状態なのだということを話した。

先生いわく、一緒に泊っていた女性は、私のシャドウ(もうひとりの自分)、具体的には母を指すのだろうとおっしゃった。そして部屋を移ったということは、私が親元へ移ったということの暗示。部屋を移ってから、女性の彼氏も加わったということは、活発な母の男性性が活性化しているのだろうと。

「でも、荷物は前の部屋にあるのよ。夢は東京生活の全部を引きはらえと言っているわけではないのよ」と先生。

そして、新しい部屋にはトイレがないという夢の状況から、「感情を安心して出せる個人空間は確かに整っていないようだけど、最後にガチャンと鍵をかけられているのだし、それを直すのだと言っているから大丈夫なのよ」とおっしゃった。

解釈のポイントと私の意識

私は途中から先生がおっしゃったことをメモしたけれど、少ししか書きとれず、またどうしてそういう解釈になるのかわからないことも多かった。

けれど、おっしゃった解釈のポイントは、

・もうすでに母の介護が始まっている。

・一緒に住んでも、環境を整備しつつうまくやれる。

・母のパワーを恐れるなかれ。

・ただ母は男性と女性の2倍の心パワーと心づもりして対峙せよ。

・東京の拠点を引き払う必要はない。

ということらしかった。

おそらく大事なのは、このアドバイスをどう私が受け取るかという点なんだろう。

私にとって何より大きかったのは、聖霊さんからのメッセージなのか?と感じていたことを、講座の中で話したことだ。これまでは「いや気のせいだ」と言えたけど、「よくわからないけれど、内なる心の声はこういうんです」とみんなの前で言ってしまった。

だから、まったくそのメッセージは、私の潜在意識から意識へとはっきり移ったし、先生や講座仲間にも共有された。

かといって、母とひとつ屋根の下に住む決心は未だつかない。近くにアパート等借りて住むことは母には意味不明らしく、それも今は選択肢にはない。

来年はどうなるかな?変化が大きな年を迎えようとしているのかな?

いずれにしてもACIMの学習者であることは変わらない。ほんとならば、それが変わらないのなからば、どこにだれといようとOKのはずだけど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る