分離不安と時間軸のなかでの存在の一瞬

2021-03-30

母との日帰り旅

昨日東京に戻った。故郷は昔の面影が薄れどんどん変化していたが、私は子供の頃や中学の頃の自分を思い出し心が動くのを感じた。

先週末母と新潟県の最も富山県寄りの町、糸魚川市に日帰り旅をした。体力的に経済的に負担なくちょっとした非日常を感じようという目論みだ。

私は歴史をゆる~く学び出してから縄文時代に惹かれていた。縄文時代から古墳時代にかけて、日本の各所から広く出土しているひすいの99%が糸魚川市のひすいでそれが当時の交易の広さを物語っていると知り糸魚川に親しみを持った。石やフォッサマグナの博物館や温泉もあると知ってここを日帰り旅の目的地にしたのだ。

よい天気だった。谷村美術館・玉翆園からフォッサマグナミュージアム、長者ヶ原考古館、温泉と回り、夕食前には家に戻った。

高齢になってから側弯症で背中が曲がり出した母は歩行も少しずつしづらくなっていた。家の中では毎日歩く訓練をしていたものの、電車に乗って県外に出るのは3年ぶりだ。

2階にある飲食店に行こうとしたが階段の上り下りができなくなっていた。家は平屋なので登り下りの筋肉が衰えたようだった。エスカレーターに乗るのも恐怖が先に立ちタイミングがつかめなくなっていた。母は「私、うぞく(=ダメに)なったね」とショックを受けていた。

もう80代半ば。年齢相応…というか気持ちはまだ若いのだから、そのことを喜ぶべきだった。

それでも、私にとっても親の老化は切ない。正直言えば精神的に未熟なままの私は、母が老いて衰えていくことに強い分離不安を抱えている。

もちろんこれは、神との分離という誤解を前提とした思いをこの世に映したものだ、と頭では理解している。母との間にはおそらく意識下に深い愛憎がある。最も強い「特別な関係」だ。

わかってはいるけれど、年老いて柔和な表情を見せるようになった母が笑えば、私もうれしいし、辛そうにしていれば「お母さん…」と何とも言えない気持ちになる。その気持ちは幼い頃、専制君主のようだった母に怯えながら慕っていた気持ちと変わらなかった。

温泉での母のひと言

まだ日差しが明るい午後3時すぎ姫川沿いのホテルで温泉に入った。

ここでも母は怖がって露天風呂には行かなかった。

早めに風呂から上がり脱衣所で身支度を終えた母、お風呂から上がってきた私に一言。

「あんたもお尻の肉落ちて垂れ下がってきたね。もうすぐ60やから、気つけて足腰鍛えられや。」

あ゛あ゛…

お母さんが老いたと切なく思っていた私に、母が案じて指摘したのは、私のお尻が垂れてきたという件だった。

結局二人とも老いつつある…。

肉体を持っている以上自然なこと。それを確認したのだった。

姫川上流の「小滝川ヒスイ峡」のひすいが出来たのはなんと5億年前、カンブリア紀。糸魚川でひすいを使う文化が芽生えたのは約7000年前の縄文時代前期後葉だという。この世という幻想の時間軸の中でも、私たちの存在は一瞬だなと思った。

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