母の絵

2021-03-26

昨夜、故郷に帰省した。

3月末まで新幹線半額という割引企画があってそれに乗った。

私が世の中で最も気がかりなのが、故郷でひとり暮らす母だ。そんな気になるのなら一緒に住めばよさそうなものだが、それができないでいる。

母は、腰が痛い、足も痛い…と電話で不具合を訴えていたが、思ったより元気そうだった。

YouTubeにはまっているらしく毎日けっこう長い時間iPad miniで動画を視聴しているらしかった。

「これ(YouTube)、すごく楽しい。退屈せん。」と喜んでいる。

年のわりに好奇心旺盛なのだ。

母は去年私の色えんぴつ画を見て「私も描いてみたい」と言い出し、私は年末色えんぴつと参考本を買って帰ったのだが、その後どうなったのか聞いてみたら「私、絵なんて描く暇ないもん。やることたくさんあって。」と言う。

それでも2枚描いたのだといって見せてくれた。

なんか上手だな。

私みたいに写真を右から左に定規で写して描くような変なことにはなっていない、素直で温かみがある絵だと思った。

いいじゃん、お母さん、上手!もっと描いたらいいよ、と褒めたら、まんざらでもなさそうだったが、

「忙しくてそんな暇ない。」と答えた。

YouTubeやテレビを見るのに忙しいのだ。何せ母は好きなテレビ番組(日曜美術館やブラタモリ)をメモを取りながら見て、それを清書しているのだから。毎日日記も書いている。

元気で幸せそうに見えた。ほっとした。

 

私のほうは、『奇跡講座』の勉強(主にワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle』読み)からは少し離れている。

ACIMの理論学習のモチベーションが下がっているのかもしれない。

一方、考えを実践する点にかけては意欲はある(つもり)。どんな時でも、心がざわついたりネガティブな感情になっている時はいつでも自我の見方をしていて「間違った前提に立っている」ということなのだから、気づいたら修正しよう、と思っている。

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