ACIMワークブック第Ⅱ部‐8.実相世界とは何か

2019-09-28

実相世界は象徴…

実相世界は象徴の一つである。それは知覚がもたらす他のものごとが象徴であるのと同様である。」(W-pⅡ.8-1:1)から説明文が始まる。

象徴である、ということは、何かを表したものだということだ。

あ゛~、でもむずかしい。

辞書では、

象徴とは…

「抽象的な観念内容を、それと関係がある具体的な事物で表現すること。また、その具体的な事物。シンボル。」(学研漢和大字典)

「本来かかわりのない二つのもの(具体的なものと抽象的なもの)を何らかの類似性をもとに関連づける作用。」(広辞苑)

とあるが、ワークブックでは、抽象的なものをさらに抽象的なもので表しているから。。。

何を表すのか。映すと言ったほうがわかりやすいのかな。

幻想世界は、罪悪感と恐れを原因とし、裁きと咎めを道具として、苦痛・悲しみを映すのに対し、

実相世界は、聖霊の導きによる赦しという修正を経て、罪悪感・恐れが拭われた世界だ。それは苦痛や悲しみの原因がないため、安らぎ、愛、喜びそのものを映す。

それは抽象の世界であり、そこには時間も空間もない。

実相世界は心の路の先にはためく旗…

実相世界は、静かなまなざしと安らかな心を通して別の見方で見られた世界を見せてくれる。そこにあるのは安息のみである。」(W-pⅡ.8-2:2)

自らを赦した心には、幸福な情景と物音だけが届く。」(W-pⅡ.8-2:6)

その心が見る世界は、自らの中に平安を抱く心から生起する世界である。何を見ても、そこには危険は潜んでいない。その心自体が優しく、周囲にも優しさだけを見るからである。」(W-pⅡ.8-3:4-5)

実相世界が象徴しているのは、罪と罪悪感の夢は終わっており、神の子はもはや眠ってはいない、ということである。」(W-pⅡ.8-4:1)

たぶん、こういうのは“百聞は一見にしかず”みたいなことで、その域に達しないといくら聞いても、そういうものか~と、わかったようなわからないような…なんだろう。

赦せば、曇りが取り除かれ、自分の世界には本来ある愛と平和と豊かさの鮮やかさが増す。それは体験的にわかる。

その極みなんだろう。

そして「God is.(神はある。それ以外はない)」に収斂されるその間際の神の子が見る世界ではないか…

赦された世界を私たちが眺めるとき、私たちに呼びかけて、家に連れ帰るために訪れるのは、神ご自身である。そして、神が思い出させてくれるのは、赦しによって私たちが取り戻した私たちのアイデンティティーである。」(W-pⅡ.8-5:4)

この一文もまた象徴というか比喩だ。

今いると思っているところから、聖霊についてくしかない。赦しが進めばそれだけ実相世界に近づいたという幻想が見られる。

果てしない心の路の先のはためくゴール旗が、私にとっての実相世界の象徴かな。

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