今さらながら “英語アレルギー”に気づく

2019-09-05

翻訳比較サイトを叱咤する

ワプニック博士の『Journey through the Text of A Course in Miracle』を読むのに、“えらい時間をかけて訳しちゃってる件(原文をそのまま読むのが望ましいけれど、時間をかけないと意味が取れない私は全体を理解するのに日本語訳してしまっていた)”は、翻訳比較サイトなるものを知ってから少しだけ早くなった。これは、和訳してほしい文章を入力してボタンを押すと、「Google翻訳」「excite翻訳」など5つの翻訳サイトが同時に和訳を出してくれるという便利なものだ。

翻訳サイト、昔はとんちんかんな訳しちゃって、と思っていただけど、今はかなり進化しててびっくり。中でも「Google翻訳」と「bing」がわりとよさ気だったから、この2つから英文の概略やニュアンスをつかむことに。

しかし、小さな問題が…。ちょいちょい面倒がって?やってくれないのだ。とくに関係代名詞が複数入っているような文は鼻からやる気なし。勝手に文を端折って訳すことも。

「懸命に探しましたが、みつかりませんでした。」

「残念ですが、みつかりませんでした。」とほざく。

なに~っ?

私は急にS気を出し、

「何が懸命にじゃ!もっと頑張れ!!」とはっぱをかけ、再度「翻訳」ボタンを押す。

もうこうなると、日本語→日本語となり英語からはどんどん離れていく。私は翻訳サイトの日本語を読みやすくするだけだ。

ようやく“英語アレルギー”を自覚

先月ようやく自覚できたことだけど、私にはどうも“英語アレルギー”があるようだ。(もっと言えば、“英語”だけじゃなくて“外国人(欧米人)”にもある。彫りが深すぎる顔がコワい。)

もっと早く気づいてしかるべきだったけど、なかなかちゃんと自覚できなかった。昔「英語」はわりと得意な科目だと思っていたから、「話す」のはだめだけど「読む」ほうは少し思い出せば何とかなるんじゃないかと思っていたのだ。

でもー。

「得意な」のは穴埋めとか記号選択とかパズルっぽい問題だけだった。改めて素直になったら、アルファベットがページにずらーと並んでいるのを見ると“キーッ”となって、受け付けない。近づくのにえらい抵抗があるのだ。これはやっぱりアレルギーだ。

一方日本語には当然ながら親しみがある。

一時ライター業の一環として、「リライト」という仕事をしていたことがある。これは、日本語→日本語に書き直すもので、すでに一度書かれているが専門的で難しすぎたり長文すぎたりする文章を、平たく読みやすく書き直す仕事だった。

これもえらい時間がかかる作業だったが、その仕事は「わかりやすく読みやすくする」一点で報酬をいただいていたから、自分の提供できる「付加価値」はそこにあると思っていた。今回もその性がはたらいて、“翻訳”に走ったようだ。

無意識なものは扱えないけれど、気づいたものは対処できるようになる。

気づいた“英語アレルギー”、真剣に「治そう」と思った。

ちなみに、外国人アレルギーのほうは、引っ越ししてようやく地デジ化(やっと薄っぺらいテレビを買った)してからAmazonプライムでアメリカのドラマを見るのが習慣になり、かなり克服できた(やっとおんなじニンゲンだ、と思え怖さが減った)。

「読む」ほうもこの秋から何とかする。

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