ACIMワークブック第Ⅱ部-3.世界とは何か

2019-02-06

内なる恐怖心の強さったら

おもてなし英語講座4回目。

二人組になって「一人でいる時最近何している」という会話をし、それをみんなの前で発表するというのをした。

私は去年の引っ越しを機にAmazonプライム会員になり、用意されているプログラムをテレビで見るという楽しみを覚えた。

今はまっているのが『ダウントン・アビー』という英国のドラマだ。だからそのことを話した(カタコト)。若い女性パートナーさんは、スノーボードやテニスを楽しんでいると話した。

ド下手でも一度さらしてしまえば楽になる。

参加者の方はみなフレンドリーな方で、私の諸々の引け目のようなものも私の過剰反応だと感じた。

しかし、私は物心ついた頃から人と世間に怯えていた。

その内なる恐怖感の強さったら!

どんだけ怖がっているんだか…。改めて認識した。

すべては私が自身の心を映した鏡なのだ。

『奇跡講座』を学んで、自分が世界というものを少しは知っているつもりになっていたが、知っているだけではだめ。エゴが解体されないことには前進できないのだ…

世界とは何か

世界とは、恐ろしい神から私たちが逃れるために自分にかけている催眠術の舞台ようなものだ。

だから本章は、「世界とは、誤った知覚である。」(第2部、3-1-1)という。

そもそもの誤解は、自分たちが自らの意志で神から離れたと誤解をしたところから始まる。

神はさぞかし怒っているだろう。とんでもないことをした。報復は免れない。

そのあまりの恐ろしさからの逃亡先がこの幻影の世界だ。

世界は神に対する攻撃として作り出された。それは恐れを象徴している。そして、恐れとは、愛の不在以外の何だろうか。」(第2部、3-2-1,2,3)

だから世界とは、神を締め出せる場所、神の子が神から離れていられる場所となるためのものだった。」(第2部、3-2-4)

この催眠術の舞台で、私たちは催眠術の手段である知覚をもって、イリュージョンを見続けている。

それは神から離れたという最初の誤解を強化するものだ。

その誤解をさらに強化するのではなく、解くほうに向わなければ私たちに救いはない。

催眠術を解くのが、私たちの中に今なおある神の記憶だ。

あまりの恐怖に覆われて見えなくなっているが、恐怖の奥には真理がある。

それを誘ってくれるのが、聖霊だ。

聖霊の光に従い、聖霊が見る通りに世界を見なさい。あなたに語りかけるすべてのものの中に聖霊の声だけを聞きなさい。」(第2部、3-4-3)

つまるところ、世界とは自作自演のホラー映画なのだ。ただ私が聖霊に従う決断をすれば神と愛を映すものに変えられる。。。

これが信じられるかどうか。

私は信じる。

私は恐怖心が人一倍強い。でも私という人生のなかでなるたけ軽くしたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る