神はこの世を創らなかった-奇跡講座のおはなし①

2019-02-05

『奇跡講座』の話はこれを真実とぜず、単に「おはなし」として聞いてもとっても興味深いものだと思う。

だけど、原文は英語だし翻訳された内容もきわめて抽象的で難解だ。わざわざこれを読んで理解したいと思う人は限られる。

そこで、自分なりにそのエッセンスをまとめてみたいと思った。これもこのブログを作りたい目的だった。

しかし、平易なことばで書くためには私がしっかり理解していないと…、私の見方が正しいとは限らないし…、とまったく手がつけられないでいた。

そう言っていたら人生が終わってしまう。

私のフィルターを通したものでいいじゃないか、まちがっていても構わない(自分の頭の整理のために)ということで、少しずつ『奇跡講座』のおはなしを書いてみたいと思う。

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そこでまず、「神はこの世を創らなかった」。

この世には不幸なできごとや理不尽なできごとが溢れている。

私たちはそんなできごとに巻き込まれたり見たりした時、心のどこかで「この世には神も仏もない」「神さまはひどいことをされる」と思っている。

私たちはたしかにここにいる。お父さんもお母さんも、子どもも、隣のおばさんも総理大臣もいる。外国にもたくさんの人がいる。

人間だけじゃない。ペットの猫もいれば、動物園のゾウもいる。みんな地球という星で空気を吸って水を飲んで生きている。

水中にもたくさんの生き物がいる。動物だけじゃない、木や花もたくさん生えている。みんな生きて子孫に命をつないぐ営みをしている。

昼は太陽が暑く明るく光り、夜は暗闇の中で月と星が輝いて見える。

私たちが住む地球や宇宙は、だれが創ったのだろう。

私たちは自分の意志で生まれてきたわけではない。どうしてここに放り出されているのだろう。

わからないけれどこれらすべてには何らかの崇高な意志がはたらいているにちがいない。

この世を創った崇高な意志。言葉にするなら、それは神さまだと思っている。だから何かが起こった時「助けて神さま」と思う。

だけど、ほんとうは神さまはこの世を創っていない。

これが平たく言った『奇跡講座』の根幹ではないだろうか。

だから、この世でひどいことが起きたとしても、逆に素敵なことが起こったとしても、それは神さまの采配ではない。

神さまはこの世で私たちに起こったことに関知はしていない。

神がいないのではない。

神はある。

だけど神はこの世を創らなかった。

神は空も土も水も地球の一切、宇宙の一切を創っていない。

このおはなしはそこからだ。

(奇跡講座のおはなし②-この宇宙はバーチャルリアリティへつづく)