2018-08-19
帰省は“昭和”というくにへの心の旅!?
一昨日、金沢を経由して友だちと会って東京に戻ってきた。これが近年のお盆、お正月帰省のパターンになりつつある。
たった数日母と実家にいるだけで、すっかり東京の自分を忘れてしまう。東京―実家は、他国に行くより遠いような気がする。そんな私にとって金沢は緩衝地帯でもある。
友だちと夕ご飯を食べながら、近況をあれやこれや話すうちに、元の自分の感覚を思い出していく(大げさか(^_^;))。
上野着。深夜12時の山手線には、たくさんの東京人の顔があった。ふだん見慣れているはずの、その顔、顔…。それがちがって見える。
どういったらいいんだろうか。刺激に晒され、順応している顔だ。疲れているだろうが、ぬぼわぁ-んとはしていない。夜の飲み会などの後だからだろうか。
東京と実家はなんて異なる世界なんだろう。
私が行っていたところは、富山県の中でも“昭和”というくにだったのかもしれない。私にとって、遠くて近い、近くて遠いところなのだ。
どこかにある…神が降りる場所
昨日は、趣味の色えんぴつ画の生徒作品展のための絵を仕上げていた。
以前、黒部峡谷のトロッコ電車の車窓(といっても、開放車両で窓はない)から撮ったうなうなづき湖が題材だ。
うなづき湖は、黒部ダムのためのダム湖、つまり人造湖なのけど、深い森とエメラルドグリーンの湖水に神聖さを感じて心惹かれた。
8月の色えんぴつ講座はお盆帰省中で、実家にいた私に「先に作品名を知らせて」とLINEが来た。
タイトル…、私の心の中では、「神が降りる場所」「神が遊ぶ場所」なのだ。もちろん、あくまで私のイメージ。
神は物質ではないから、神性を感じる場所、自分の中の聖霊の存在を感じる場所という意味だ。
だけど、とても、そんな大仰なことは言えない。「『うなづき湖①』『うなづき湖②』でお願いします」と返した。
聖霊が喜ぶ、神聖な、というイメージはあるのだけど、それをどう表現したらいいのかわからなかった。
お気に入りの本に『アナスタシア』(響きわたるシベリア杉 シリーズ)があるが、その女神のような主人公、アナスタシアが湖畔に姿を現しそうなイメージを描きたかったんだけど…。
見えないものを肉眼で見えるように描くのは難しいな。
根気が続かず、「なんか違うけど、まぁ、いっか」と額装に世界堂に向かった。
絵を見て、自分が聖霊を思い出せばいいわけだから、目的は達成されているかな。
わりと涼しくて過ごしやすい。天然の風が心地いい。