レッスン168-あなたの恩寵が私に与えられています。私は今、それを自分のものとします。
2017-12-29
冬の北陸に帰省
今年はいつもの年より早く27日の夜に帰省した。着いた日の夜は吹雪いていて、街頭に照らされたところだけ降りしきる雪が光ってみえた。しんしんと静かにずっと雪が降り続いていた。雪を踏みながら歩く感触で子どもの頃を思い出した。
11月に上京した際、杖をついてやっと歩いてきた母。その後どうかと気になっていたけれど、MRIの結果、疑いがあった脊柱管狭窄症ではないとのこと。今は家の中は杖も必要なくしゃかしゃかと歩いていて、前のような強い痛みは引いたらしくほっとした。
ただ今年はとくに雪が多くて外を歩くのは大儀そう。生協に加入して日常の食品調達には困りはしないみたいだけれど、自分の気持ちと体にギャップがあってそれにいらいらしてしまうみたいだった。
私は翌朝久しぶりに家の前の雪かきをして、「ああ、自分は元々雪国の子だったんだ」と改めて思い出した。東京の冬は晴天つづきで明るい。けど、私は山の向こうの雪国に根っこがあった。忘れていても心の芯は変わらないのかもしれない。
冬の北陸で母と二人でいると、そのリアリティがすごくて、『奇跡講座』の世界は遠のいてしまう。『奇跡講座』だけじゃなくて、東京生活や東京の自分もぼんやりしてくる。
ただ母の要請やニーズを聞いて、それを実行するだけ。そのために来たのだから。
今日は、母が近所の接骨院に行っている間にACIMワークをしたが、途中3度も電話がかかってその都度中断した。社交的な母には電話をかけてくれる人がたくさんいて、そのことだけでも安心できた。
レッスン168-あなたの恩寵が私に与えられています。私は今、それを自分のものとします。
レッスン168は、帰省の前一週間くらいやった(ちゃんとはできていないかもしれない)。
いつもメモをしているノートも、切り替わり時期で新しいノートを持ってきたから、何をメモしたかわからない(どうせたいしたことは書いてない)。
「神はわが子を愛している。この世界が消えてなくなるための手段を与えてほしいと、今、神に頼みなさい(L168-4-2)」とあるけれど、この故郷の家の世界はやっぱりリアルで、私は母から朝からずっと近所の知らない人の噂話や、その人のこれまでの人生を聞いたりしている。
この世をリアルに感じるというより、母の存在が圧倒的にリアルだ。それはACIMがちゃんと身についてないということなんだろう。けれど、それがダメだとかイヤだと感じているのではない。
ここにいる間、なるたけ感情的にはならず、できるだけ母にやさしくしたいと思う。あえて言うと「ビジネスライク」にそう思う。
神さまと自分との関係は、この世では親との関係が近いかもしれない。
その親との関係が昔より私の心の中でよくなっていることが、うれしい。
だから本来のACIMの学びとはずれているかもしれないけれど、今私に授けられている「恩寵」は、「母との水入らずの時間」であり、それを「今、自分のものとしている」のだと思う。
それがとてもありがたい。
自分の親にだけ固着するのはまちがっていると思う。
だけどやっぱりお母さんには幸せでいてほしいし、「よかった」「うれしい」「おいしい」「あしがとう」と言ってほしい。
これもまた(いくらリアルに見えても)幻影だと知りながらも、そのつかの間のときを愛おしみたいと思っている。