『奇跡講座(ACIM)』について話すのはむずかしい

2017-12-15

ワンコインイングリッシュ、今年最終回

ACIMのワークブックを始めてから、改めて英語に興味が湧いた。できるなら原書で読みたい。それに加えていつか海外のACIMのコミュニティの方と話をしてみたいという思いがあるから。

運よくNPO法人が主催している1回500円の英会話講座を見つけ、今年の4月から月2回通っている。先生は東ヨーロッパ系の美しい女性で、幾度も丁寧に日本人の発音のくせを直してくださる。月2回ではペラペラ話すというところまではいかないけど、少しずつ英会話に対する苦手意識が少なくなっている。いい講座と出会えた、ラッキー!~と思っている。

きのうはその英会話の今年最後の回だった。たまたまある受講者の方に声をかけてもらって、先生と私を含めた受講者と4人、隠れ家風レストランに行ってランチをした。

「神さまで戦争がなくなる?」

その日の学習テーマが「自分について語る」でそれぞれ自分の関心や経験についての英作文を発表したことから、その流れで、先生に「あなたが今一番関心があることは何なの?」といった質問をされた。

私は少しためらったけれど、iphonでACIMのサイトを見せた。

A Couese In Miracle.奇跡講座。

でも、ACIMについても「奇跡」についても、まったく説明ができなかった。

先生から「それは神さまと関係ある? あなたは神さまを信じる人?」と聞かれ(先生の日本語はややカタコト)、「はい」と答えたら、

「私、神さまを信じる人きらい!あ、ごめんね。でも、神さまに祈っても何も解決しない。神さまで戦争がなくなる?すべては自分と自分の努力よ。自分の力で切り開いていくものよ」と言われた。

私は「そうですね。私も自分の中の神さまを頼みにするのでOKだと思います」と答えるばかりだった。

母国を離れ7ヶ国もの国で仕事をしてきた先生には、特別に強い自負心(と、もしかしたら神さまへのアレルギー?)があるようだった。

私もはなから議論するつもりもないのだけれど、まじめに答えようと思ったところで、「この世は実際はリアルに見えるけれど、自分を映している投影であって、私たちは個々人であるかのように見えるけれど、ひとつであり神の延長であり…赦すことが何より大事で…」なんてことを、どこからどう説明してよいかもわからない。

人と場面を選ばないとやっぱり「頭は大丈夫か」と言われてしまうだろう。

奇跡ってなんだろう?

返りに日本人の受講者の方と二人になりフォローのつもりか、「奇跡ってどういうことだろう」と振ってくださった。けれど、「奇跡」という言葉の意味も、ものの見方の変容をさすACIMのそれと、「信じられないことが起こる」といった一般の「奇跡」ではまったくちがう。

それを説明しようという意欲すら持ち合わせず、ただ「『奇跡講座』の「奇跡」の意味も一般のそれとはちがうんで…」と、もごもごとつぶやき、言葉のキャッチボールのボールをぽとんと足元に落とすだけだった。せっかく話題を振ってくださったのに申し訳ない。

やっぱり『奇跡講座』のことを世間で話すのはむずかしい、と思った。(やっぱり、というけれど、これまで一度か真剣にトライしてみたわけじゃない。友だちに『神の使者』を勧めて読んでもらうところまでいったことがあるのが一度だけ。)

先生の反応は、自分の中のもうひとりの私のACIMに対する思いで、それを見せてくれたのかもしれない。

返り際に私に「奇跡ってどういうことだろう?」と言った方が、「量の質への転換かな?」とご自身の考えを言われた。それが哲学的でおもしろかった。

量の質への転換…。10回では何の変化もない。100回でもわからない。10000回でも変化せず。だけど、10001回で変化が起きる。それって奇跡ってたしかに言うかもしれない。

そういう意味では、一般でいう奇跡も、『奇跡講座』の通じるものがあるかも。

来年2018年のお題は、「奇跡講座を自分を通していかに一般向けにもっと広く表現していくか」というところかな、とふと思う。