レッスン143-レッスン125、126の復習

2017-08-31

雨。ぐっと涼しくなった。ベランダから入る風は秋の風になった。昨朝のウォーキングではツクツクボウシが鳴いていた。

季節は移っていく。私が育った北陸では雪がたへんだったけど、四季があるのはいいなぁ。もっと四季を丁寧に生きたいなぁ。

私のなかの「死なない部分」

最近の私のワークでは、その日のワークのお題と一緒に自分のなかに「死なない部分」を探すのが日課になっている。

目をつぶって心を鎮め自分の中に「死なない部分」を探す。

心のなかに「ここがそれだ」というような感じがあるところを探す。

ぴったりくるような感じではないけれど、何となくここかなと感じるところが見つかる。

おそらく、そこがACIMでいう聖霊(ホーリースピリット)の住みかではないか、そしてそれが本来の自分、ではないか。聖霊、本来の自分というより、「死なない部分」という方が「これが本当の自分なんだ」とイメージしやすい。

そして、それから「死なない部分」の性質を思う。言葉では言い表すことはむずかしいけれど、おそらく神さまの性質を受け継いだところだから、無限に優しく、無限に感謝に満ちて、無限に誠実で、無限に穏やかで、無限に豊かなのではないだろうか。

そうやって、本当の自分を確認する。それから、その性質に自分を浸す。そういう風が私に向かってやってくるようにイメージする。

いつもテンパリがちでささいなことで感情もアップダウンしてしまうが、こうやって朝イメージしておくと、少し落ち着けるような気がする。

その「死なない部分」という自分の芯をどんどん育てて、どんなことにも、穏やかで優しく、誠実で感謝に満ちていられたら素晴らしいと思う。そしてかぎりない豊かさを感じていられたら幸せだ。

レッスン143-レッスン125、126の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン143の2つの復習

L125)静けさの中で、今日、私は神の言葉を受け取る。

L126)私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。

ワークをして

一昨日と昨日、このワークをやった。とはいっても、一時間ごとのワークはできておらず、中間のワークをやったのは2、3回。

復習Ⅳを貫くテーマ「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」をイメージする時、気づいたらまったくその時の気がかりごとを考えていることがよくある。

仕事先へのメールの返信をどうしようかとか、打診された仕事はいつ決定するのか、納期はいつ?、バイト、良さげなのを見つけたけど、今すぐには動けない、そのうち埋まってしまうだろうか、「やる気があればどなたでも」とあったけど50代も想定されているだろうか…、面接怖い、バイトは最終的な解決策ではない、、あ゛~、いったいこの先どうやって生きていこう?…とか。ぐるぐる。

「神とともに考えている思い」では決してないことばかりだ。気づいて「もとい!」とするけど、再び気づくとまたさすらっていたりする。

これから、どう生活を支えていけばいいだろうか。そもそもあった「問題」だけど、楽観的に考えて野放しにしてきたことが8月末になって、目前に迫ってきた。

昨日の夜のワークで浮かんできたのは、日曜日に色えんぴつ画の展覧会を見に行った帰りに、一緒にお茶をした心理学のカルチャー講座仲間に見せたスケッチブックの絵だ。それは、10数年前(2003年12月だった)、私がアートセラピーの講座に参加していた時に描いたもので、今アートセラピーを学んでファシリテーターもやっている彼女の参考になるかな、と思い、持っていって見せたのだ。

まず、「不安」を表す絵を描いて、それからそれをポジティブに転換するというお題。その転換した後の絵、それに加えたメッセージが、なんとなくワーク中に浮かんだのだ。

IMG_1402

そのメッセージは、

「自分の真の道にしたがっているとき、旅の途中で必要なものはすべて満たされる。」

どこかで見つけたメッセージかな?当時今と同様に経済的な不安を抱えていた私が、自分自身に向けて書いたものだ。

復習Ⅳのワークの序文に、「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい。」とあるけれど、このメッセージが贈り物なのかな?

それとも、都合のいい私の思いこみか。

そうであって、いい言葉だな。

アファメーション

自分の真の道にしたがっているとき、旅の途中で必要なものはすべて満たされる。

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